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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

経済摩擦と経常収支不均衡(3)―OTOは日本型行政の縮図

 

2014/08/21

 前回は、背高コンテナ問題で、警察、建設両省の抵抗に遭って困っていた私が、ある作戦を講じることにしたというところで終わっていた。

背高コンテナ問題の決着

 私の作戦とは、「味方を増やす」というものだ。それまでの折衝は、「コンテナを通せ」という立場の一人(OTO)が「通せない」という立場の二人(警察と建設)に立ち向かうという図式であった。

 この図式は何かと具合が悪い。まず、1対2だから数で負けている。それにこれは法律問題だ。企画庁の仕事は、経済政策、経済分析が中心だから、あまり法律に縁がなく、はっきり言って法律問題の折衝は不得手である。

 そこで私は、運輸省を折衝に加えてはどうかと考えた。運輸省は次の二つの点で我々の味方になりそうだと思ったからだ。一つは、運輸省は比較的国際的な交渉ごとに慣れていることだ。船舶、航空などの分野では、国際的な交渉が不可避だから、組織的に国際的視野を持っているはずだ。これに対して(そう言っては何だが)、警察、建設両省はドメスティックな雰囲気が強い。もう一つは、運輸省は貨物輸送の合理化という点で、背高コンテナの通行に抵抗が少ないことだ。

 私の狙いはぴったり当たった。打ち合わせに参加した運輸省の担当者(元気で優秀なA氏)は、背高コンテナを通行させて、日米摩擦の種を一つでも減らそうという方向で、我々の議論をサポートしてくれた。

 こうした苦労を経て、警察、建設両省もついに折れて、背高コンテナが通行できる道路であることを確認した上で、特定のルートについては背高コンテナの通行を許可することにした。その旨は1985年4月に決定された市場開放策の中に盛り込まれ、これをもってこの案件は一件落着となったのである。

 なお、この件については、我々も運輸省に感謝したのだが、運輸省の側も我々に感謝していたようだ。どうやら運輸省はこの問題に口を出したかったのだが、関係法律の所管ではないという理由で交渉に参加できないでいたらしい。そこに我々の働きかけがあり、交渉に参加することができたので、我々OTOに感謝したというわけだ。

 余談だが、この話があった何年か後に、全くの別件(規制緩和)で、今度は運輸省に無理をお願いする案件が現われたことがある。私がこの案件を担当していたのだが、この時運輸省サイドを仕切ったのが、かつて背高コンテナの時に議論に参加したA氏であった。A氏は、この時「小峰さんの頼みでは断れませんね」と言って、運輸省内部を調整してくれた。背高コンテナの件で我々から受けた恩義を返したわけだ。外部の人は、官僚の世界はさぞ杓子定規なのだろうと思うだろうが、案外、義理と人情の世界でもあるのだ。

 さらに、本稿の市場開放策のところを書いていたら、突然思い出したことがあるので、せっかくだから書いておこう。前述のように、背高コンテナの件は、市場開放策に織り込まれることになったのだが、最後の最後になってまた警察が面倒なことを言い始めた。背高コンテナの件は、規制緩和の一項目として、他の事項と並んで入っていたのだが、これに対して、「背高コンテナの件は、日米摩擦の重要性に鑑み、行政的な扱いを変更するものであって、規制緩和ではない。よって、他の規制緩和項目と一緒にしないで別建てにして欲しい」と言ってきたのである。

 しかしここで一つだけ扱いを変えると、他の省庁からも「自分も別建てだ」と言い出されたりしたら困るし、対外的な説明もつきにくい。かといって相変わらず警察の姿勢は堅い。そこで私は一計を案じた。要求どおり別建てにしたのだ。ただし、これを企画庁や内閣の上層部に説明する時には「背高コンテナ問題は、特に重要な事項なので別建てにしました」と説明することにしたのだ(事実そう説明したし、ついでに新聞記者にもそう説明した)。これで誰もが満足する結論に至ったのである。私でも、いざとなればこの程度の二枚舌は使うのだ。

実効性のある規制緩和は至難

 さて、今回、改めて背高コンテナの経緯を振り返ってみると、私は次のような感慨を持つ。

 第1は、コンスティテュエンシー・バイアスの存在だ。私は、2006年に出した『日本経済の構造変動』(岩波書店)という本で、日本型公共部門の特徴は、コンスティテュエンシー・バイアスが大きいことだという議論を展開したことがある。コンスティテュエンシー・バイアスというのは、適当な日本語がないのだが、以下では「組織バイアス」と呼んでおこう。それはこういうことだ。

 我々は、特定の組織に属していると、意識するかどうかにかかわらず、個人の考えが、自分の所属する組織に有利になるような論理に引きずられる傾向がある。これが組織バイアスだが、日本は新卒で企業や役所に入ると、基本的にはその組織内でキャリアが形成されていくので(いわゆる終身雇用)、どうしてもこの組織バイアスが強く作用する。

 このバイアスが役人の世界に持ち込まれると、「自分の省庁の利害のためにはとことん戦う」ということになり、役所間の意見調整に多大なエネルギーを費やすことになる。背高コンテナをめぐる議論はまさにその典型例だったと言える。しかし、よく考えてみると、役所間の利害調整というのは、政府部門の内部での話である。国民から見れば、自分たちと関係のないところで無駄なエネルギーを使っているということになるだろう。私もそう思う。組織バイアスが無駄な仕事を増やし、日本の役人の生産性を低くしているのだ。

 第2は、天下りの議論だ。「天下り」という言葉には価値判断が含まれているので、あまり使いたくないが、私の理解する天下りは次のようなことだ。

 日本の役所では、入省年次が重要な意味を持ち、原則として、自分より遅い年次の人の部下になることはないという慣行になっている。この慣行を貫く限りは、課長、局長と進みポストの数が減ってくると、同期入省の全員にポストを割り振ることが難しくなる。すると、必然的にポストにつけなかった人を役所組織の外に出していくことなる。これがいわゆる「天下り」である。この天下りポストを確保することは、役人にとって最重要の課題となる。ましてや新しい天下りポストを開拓した役人は非常に高く評価されることになる(私が役人だったころの話で、現在は役所の再就職斡旋は禁止されている)。

 こうした日本的役人の姿を象徴するような出来事が、背高コンテナの議論の中で現われた。反対する警察、建設両省を何とか説得しようと議論している時、誰かが(私だったかもしれない)、冗談に、背高コンテナ協会を作り、この協会が背高コンテナの日本での運行計画を認可し、監視する。その理事長に警察・建設のOBを迎え入れることにしてはどうかと提案したことがある。すると、警察、建設の担当者が「それは名案だ。その案で行くなら我々も乗ります」と答えて、一座が大爆笑という場面があった。もちろん全員冗談と分かった上での話だったのだが、案外、天下り重視の日本の役人の本質を突いた冗談だったのかもしれない。

 第3は、日本の役所は面従背腹の面があるということだ。例えば、規制緩和をやりますと言っておいて、目立たない細かいところで実質的な規制を続けるといったことだ。背高コンテナ問題でも、私はこの点を感じたのだが、それはごく最近のことである。

 私は、今回の背高コンテナの原稿を書くために、日経テレコンを使って過去の背高コンテナの記事をチェックしてみた。すると、1986年6月の記事に次のようなものが出てきた。それは、米政府の要求を受けて、背高コンテナ通行問題について5項目の規制緩和措置を決めたというものだった。その規制緩和の内容は、①原則的に24時間通行を認める、②年1回だった通行申請の受け付けをひんぱんに実施する、③通行許可有効期限1カ月を1年間に延長する、④高速道路の通行可能区間を指定する――などであった。つまり、85年4月に背高コンテナの通行を認めた時には、①時間制限があり、②年1回しか書類を受け付けず、③許可の有効期間は1カ月しかなく、④高速道路は通れないという条件が付いていたということである。

 これほど細かい条件を付していたということは、私は知らなかった。実効性のある規制緩和を実現するのはかくも難しいことなのである。

 経済摩擦に対する日本政府の対応は、全く日本型行政の縮図だったと感じるのである。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。