貯蓄投資バランスの議論―日米構造協議と経済摩擦(1)
2014/12/24
私は1986年に『経済摩擦』という本を出した。その中で経済摩擦には、三つのトレンド的な変化があることを指摘した。第1は、摩擦の対象品目が高付加価値化しているということであり、第2は、摩擦の中身が、日本からの輸出抑制を求めるものから、日本の市場開放を求めるようになってきたことであり、第3は、日本への市場開放の要求が、次第に貿易以外の制度、経済的慣行、マクロ経済にまで及んできたことである。
以下では、第3の貿易以外の分野に及んできた摩擦について振り返っていくのだが、この問題を調べるため、過去の資料を漁っていたら、当時の日米構造協議の経緯についてのナマの資料がごっそり塊で出てきた。そこで、当初の予定を変更して、今回は、日米構造協議における貯蓄投資バランスについての議論を振り返ってみることにしたい。
日米構造協議の始まり
手元の資料によると、日米構造協議は1989年1月に日本で開かれた日米次官級協議の場で登場した。この協議を後押ししたのは、1988年8月に米国で成立した「スーパー301条」であった。これは、USTR(米通商代表部)が輸入障壁及び市場をゆがめる慣行を持つ国を特定し、交渉の結果、当該国がその障壁・慣行についての改善措置を取らなかった場合には報復措置を取るというものであった。全く乱暴な話で、日本側は「制裁を前提とするような交渉には応じられない」という姿勢を貫いていたのだが、現実にはそうとばかりも言っていられなくなり、日米不均衡をもたらしているとされる構造的な問題についてのハイレベルの協議の場を設けることにしたのである。
ここで、特徴的だったことが二つある。一つは、双方向の議論になったことである。すなわち日本側が「米国が問題を指摘し、日本が対応する」というだけではなく、日本側も米国の構造的な課題を指摘し改善を求めることを主張し、米国側がこれを受け入れたのである。
もう一つは、マクロ経済的な議論が入り込んできたことだ。すなわち、日本側は、日米貿易不均衡の原因は日本ではなく、米国側にあると主張した。当時米国では財政赤字が拡大しており、貯蓄投資バランス上、財政赤字と経常収支赤字が平行して進行していた。いわゆる「双子の赤字」問題である。また米国の産業自体の供給力が足りないのではないかとも主張している。「自分が財政赤字を増やし、産業の競争力も衰えているのだから、貿易赤字が増えるのも当然だ」と主張したわけだ。一方、米国側は米国側で、それまでの個別品目ごとの交渉ではなかなか効果が出ないため、不均衡の背後にあるマクロ経済問題を取り上げるべきだと考え始めていた。
こうして日米構造協議が始まった。米国側から日本に要求してきたのは、価格メカニズム、流通制度、貯蓄と投資、土地政策、系列化、排他的な取引慣行を、日本側から米国に要求したのは、貯蓄投資パターン、企業の投資活動と供給の能力、企業行動、政府規制、研究開発、輸出振興、労働者の訓練と教育である。図らずも、日米双方が相手の貯蓄・投資バランスを攻撃するということになったのである。
貯蓄率をめぐる応酬
貯蓄・投資バランスという観点から経常収支を見ると、国内貯蓄が低く、財政赤字が大きいほど経常収支赤字は大きくなる。また、経常収支は国内需要と国内供給との差だから、供給力に対して国内需要が大きいほど経常収支は赤字になる。
このため、米国側は、日本の貯蓄率の低下と投資の拡大、国内需要の拡大を求め、日本側は米国の貯蓄率上昇と財政赤字の削減を求めることになる。私の印象では、日本側の主張に対して米国側は結構真面目に対応しており、「ご指摘の通りだ。財政赤字の削減にさらに努力しているところだ」「確かに米国の貯蓄率は低すぎるかもしれない。これを高める手段があるかどうか検討したい」などと答えている。
しかし、とにかくこの議論のきっかけになったのは米議会の強硬姿勢であり、その米議会を納得させなければならないのだから、議論の中心はどうしても日本側の対応にならざるを得ない。
では、具体的に米国側はどんなことを言ってきたのか。最初の頃は、米国側は日本の貯蓄率が高い理由として、「住宅価格が高すぎる」「消費者金融が未整備だ」「労働時間が長くレジャー活動が不活発だ」と主張してきた。住宅価格が高いからより多くの住宅資金が必要になる。消費者金融があればもっと家計が借金をするから貯蓄率が下がる。もっとレジャー活動にお金を使えば貯蓄率は下がるというわけだ。
しかしこれはいかにも筋が悪い議論だ。別に日本は好き好んで住宅価格を高くしているわけではない。日本人の多くはもっと住宅が安ければいいなと思っているはずで、それが簡単にできるなら苦労はない。「もっと借金をしろ」というのも、借金大国である米国に言われたくない議論だ。もっとレジャーを楽しめというのも日本側からすれば余計なお世話だとしか思えない。
実を結んだ公共投資による内需拡大
実際に議論が進んで行ったのは、公共投資の拡大である。米国側は、日本は貯蓄超過なのだから、この貯蓄を利用してもっと道路、下水、公園などの社会資本を充実すべきだと主張した。この時、米国側の材料として経済企画庁作成の『89年版経済白書』が登場している。すなわち、89年版経済白書では、第4章第5節「ストック化と日本経済の課題」で、「我が国の社会資本の整備状況を部門別に国際比較してみると、‥下水道普及率、都市公園面積、高速道路延長などでは依然として他の先進国に比較して低い水準にあるといわざるをえない」と書いてあった。「日本の政府の公式文書で社会資本が不十分だと認めているではないか」と言ってきたわけだ。敵もなかなか勉強してるなと感心したものだった。
その結果決まったのが、1990年の「公共投資基本計画」であった。この計画では、下水道、都市公園などについての、整備目標が提示されるとともに、1991~2000年度まで公共投資総額を概ね430兆円とするという総額が明示された。交渉の過程では、米国側から、「日本の公共投資の事業別配分は硬直的だから、もっとこれをフレキシブルにすべきだ」という注文もついた。これは日本国内でもしばしば指摘されていた点で、「御説ごもっとも」という感じの議論だが、日本側は「配分の問題は貯蓄投資バランスとは関係しないので、そこまで言うのはやめて欲しい」と言って断っている。「もうこの辺で勘弁してくれ」というのが正直なところだったろう。
この公共投資基本計画は、総額も明示されたことから、具体的な成果として米国側も高く評価したようで、構造協議の最終報告書にも取り込まれている。その後日本は、バブル崩壊後の景気後退の中で、公共投資を積極的に景気対策として使い始める。公共投資は、地域開発の有力な手段としても位置付けられていたし、最近ではアベノミクスの第2の矢としても活躍している。その公共投資は日米摩擦を解決する立役者でもあったのだ。「何かというと公共投資を使う」というのは日本のお家芸なのかもしれない。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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