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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

大規模小売店舗法の議論―日米構造協議と経済摩擦(2)

 

2015/01/23

 実際に交渉の過程に参加した人間から見ると、経済摩擦を巡る議論は、「相手側の言い分がおかしい部分」「相手側の言い分は正しいが、立場上反対しなければならない部分」などが複雑に入り組むことになる。更に細かく言うと、「相手方の言い分はおかしいが、それでも要求を容れたほうが、日本のプラスになりそうな部分」「自分たちもかねてからやりたいと思っていたことを、相手側が言ってくれた部分」などがあるので、事態はもっと複雑である。

 そんな複雑な状況を理解するために、日米構造協議における「大規模小売店舗法」を巡る議論を紹介しよう。

大規模小売店舗法とは

 「大規模小売店舗法(以下、大店法)」というのは、1973年に制定された法律(施行は74年から)である。その目的は「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗における小売業の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業の事業機会を適正に確保し、小売業の正常な発達を図り、もって国民経済の健全な進展に資すること」となっている。

 「消費者利益」と明示されているから、消費者のための法律かというとそうではなく、全く既存の中小小売業を保護するための法律である。この法律は78年に改正されているので、改正後の法律で具体的に説明すると、①店舗面積が5百平米を超える小売店は事前に届出が必要、②地元小売業者から届出があった場合は、審議会が調整して、必要な場合は計画の変更を勧告する、③審議会では、地元の商工会などが参加する「商業調整協議会」の場で意見を聞く、というプロセスが規定されている。

 これに自治体の上乗せ規制や行政指導が加わって、事実上は地元の商店街が大規模スーパーの進出を阻む仕組みとして機能していたのである。この法律の存在によって、大規模店の進出は遅れに遅れ、京都市で計画から進出まで13年かかったという伝説的な事例さえあった。

米国の論点、原則論と実利

 ではなぜ米国はこの法律を問題にしたのか。

 米国の論点は二つあった。一つは原則論で「日本の国民生活を豊かにするために必要」という主張だ。第1回の構造協議で、米国側は「米国の指摘している問題は毎日の生活につながっており、言われなくても日本として取り組むべきものだ」と述べている。確かに、日本は86年に発表した『前川レポート(国際協調のための経済構造調整研究会報告書)』の中で、経済構造の変革を提言し「この目標を実現していく過程を通じ、国民生活の質の向上を目指すべきである」と述べている。米国側は「(構造協議は)前川報告書の提言の方向と合致しており、日本がこれに基づいて前進していたらこの協議はいらなかったかもしれない」とも述べている。

 やんわりとではあるが、「自分たちで変革が必要だと言っておきながら、一向に実行しないではないか。だから我々が同じことを指摘せざるを得ないのだ」と言っているわけだ。日本側としては「余計なお世話だ」と言う気持ちにもなるが、米国側の言い分も「一理ある」という気もする。私も当時「なるほどうまい言い方をするものだ」とちょっと感心した。

 もう一つは実利である。米国の言い分はこうだ。「日本では大規模店が輸入品を手広く扱っている。しかし、その大規模店の出店が大店法によって制限されている。このため日本国民は輸入品へのアクセスの機会が減り、米国の対日輸出が制約されている。だから、日米不均衡のためにも大店法を廃止すべきだ」。

 この理屈は分からないではないが、相当「風が吹けば桶屋」的な議論である。まず、大規模店の出店が制限されていることによって、輸入がどの程度制約されているかという疑問がある。そもそも小規模の小売店が輸入品を扱わなかったのは、それだけ需要が少なかったからだとも言える。仮に、大店法を廃止して、輸入品の購入が増えたとしても、それによって米国からの輸入がどの程度増えるのかという疑問もある。

 しかし、この議論は米国内ではかなり説得力があったようだ。これは、一つにはトイザラスのような米国資本の大規模小売店が、この大店法に引っかかって、思うように出店が進まないという具体的な苦情が寄せられていた可能性がある。また、大店法の実施に際しては、行政指導的な不透明な地元との「根回し」が慣例化していたようで、この点が「日本は建前とは別の行政指導で事実上、競争を制限している」という議論に乗りやすかったとも考えられる。

日本の立場から見た大店法

 問題は、日本から見てこの大店法をどう位置づけるかである。

 日本の経済学者の中には、米国側の言い分を支持する見方も多かった。例えば、中谷巌氏は、1989年9月6日付日本経済新聞で、次のように述べている。「米国政府は日本の政治が生産者に引っ張られていることに気付いて、構造協議のテーマを選んできている。海部首相も『消費者重視の政策』を掲げてはいるが、ここできっぱり消費者重視の政策決定システムに切り替える用意があるのかどうかが問われている」。

 また、田中直毅氏も、同じ記事の中で次のように言っている。「米国は自由主義、民主主義という大義を持って議論に臨んだ感じだが、日本側は特定の利益を擁護するという立場を取っている。大店法についての議論ではそうしたスタンスの違いがはっきりと現れており、法律の内容以上に出店規制を加えている日本政府は苦しい弁明を迫られたのではないか」。

 これを見れば分かるように、日本の経済学者の中では、米国が指摘する「消費者利益の重視」という観点は、日本自身が追求すべきものであるはずなのに、日本は既得権の擁護にこだわってこれに応じようとしない、という考えが多く見られていたのだ。

 では私はどう考えたか。基本的には前述の経済学者の立場と同じなのだが、ちょっと違うのは米国側の主張の動機だ。米国は別に、日本国民の利益を高めようとして、または自由主義の大義を貫こうとして大店法の廃止を求めているわけではない。動機は要するに「米国の輸出を増やしたい」ということだ。または、「自分たちが日本市場の開放のために努力して成果を挙げた」という実績を示したいということだ。

 例えば、米国側は日米構造協議の場で繰り返し公共投資の増額を求めてきた。その理屈も、生活関連の公共投資を増やして、国民生活を豊かにせよというものだった。しかしその一方で、社会保障基金が黒字なのだから、これを財源にすべきだとも主張してきた。将来の年金の支払いに備えて基金に積み上がっている資金を公共工事に使えというわけだ。国内の公共投資に積極的な議員であってもそこまでは言わないような主張だ。こういう主張を聞いて、私は「日本の国民生活を豊かに」という議論は、あくまでも「お飾り」だとしか思えなかったのである。

外圧の象徴、結局は「廃止」

 この大店法を巡る議論はどう決着したのだろうか。1990年6月30日に発表された構造協議の最終報告には、大店法の規制緩和が盛り込まれている。その内容は、出店調整期間の短期化、輸入品売り場への特別措置、次期通常国会での法律改正などであった。輸入品売り場の特別措置というのは、「輸入品売り場については、店舗面積の一定増については調整措置を不要とする」というもので、あまり理屈のない「おまけ」みたいな措置であった。

 大店法は91年にこの時の約束を果たす形で改正されたのだが、その後も世界貿易機関(WTO)等の場で問題にされ続けたこともあり、2000年についに廃止されることになる。

 当時私が所属していた経済企画庁は、大店法に関係していなかったので、私はこうした構造協議の議論を横で見ていただけなのだが、次のような感慨をもった。

 まず、日本の政治・行政が「消費者(生活者)」中心ではなく「生産者中心」になっているという点は、米国側の主張どおりである。前述のように大店法の目的には「消費者の利益の保護」という言葉が入ってはいる。しかしそれは「配慮する」であり、主目的ではない。本当の目的は、地元中小小売業の保護であり、要するに既得権益の擁護である。

 「透明性に欠ける」という米国側の主張も正しい。本来の法律の規定を越えて、行政指導や地方公共団体の方針で、大規模店舗進出への事実上の規制が行われていたからだ。

 「外圧がないと変わらないのだな」とも思った。私は当時、政府がなぜ大規模店舗の進出を規制するのかが理解できなかった。「大規模店舗ができると、地元の商店街がさびれてしまう」という議論があるが、そうなるのは消費者の選択の結果である。消費者は大規模店舗の方が便利だから行くのだ。無理に大規模店舗の進出を抑制するのは、消費者に不便を強いることになる。「商店街がなくなると、お年寄りが買い物に困る」という議論もある。しかし、中心部への大規模店舗の進出を阻止してきたから、地元の商店街がつぶれた後に買い物難民が生まれるのだ。中心部に大規模商業施設があれば、お年寄りにとってもそのほうが便利なはずだ。

 しかし、現実の政治プロセスの中では、大店法の規制緩和などという議論は登場さえしなかった。それが、構造協議で米国の圧力を受けると、ころりと変わり、法律が廃止されるまで進んでいった。ここで、私は「自国の主張より相手の言い分が正しいから、日本側が譲歩すればするほど望ましい結果に近づいていく」という日本政府の役人としては複雑な状況に置かれてしまうことになったのである。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。