内需中心の経済成長という考え方―日米構造協議と経済摩擦(4)
2015/03/24
日米構造協議の話はそろそろ今回で終わりにしよう。最後に取り上げるのは「内需中心の成長」という考え方である。
「内需中心」が登場した背景
望ましい経済成長の中身はどんなものだろうか。この点について日本では「内需中心の経済成長」が望ましいという考え方がほぼ常識化していたのだが、最近ではあまり使われなくなった。
私はこの「内需中心の成長」という言葉がいつ頃からいつ頃まで使われていたのかを知るために、歴代の経済演説(経済企画庁長官の国会演説)をさかのぼって調べてみたことがある(ネット上で公開されているので、調べるのは比較的簡単)。その結果によると、最初に望ましい成長を示すものとしてこの言葉が現れたのは、1982年の河本長官の演説であった。
この時の演説では次のように述べられている。「こうした情勢のもとで、わが国経済は昭和57年度を迎えようとしておるのでありますが、その経済運営に当たりましては、特に次の諸点を基本としてまいりたいと存じます。その第1は、内需中心の着実な景気の維持拡大を実現し、雇用の安定を図ることであります」(1982年1月25日の演説)。目指すべき経済の方向として「内需中心」を真っ先に挙げている。
その後、86~96年には「内需を中心とした(インフレなき)持続的拡大」がスローガンのように繰り返し使われてきた。その後97年以降は、望ましい成長を示す言葉としては使われなくなり、これに代わって「民需中心の成長」という言葉が使われるようになった。
ではなぜ「内需中心」でなければならないのか。それは「外需中心の成長」が望ましくないと考えられてきたからだ。
この「外需より内需」という考え方を明確に示したのが、1986年4月に公表された「国際協調のための経済構造調整研究会」報告書(いわゆる「前川レポート」)である。この研究会は、日本の大幅黒字を背景に海外で高まりつつある保護貿易的な動きに強い危機感を覚えた中曽根首相の肝いりで発足したものである。経常収支黒字は是正すべき政策対象であることを明示し、そのために日本経済の構造改革が必要であることを述べたレポートとして有名である。
同レポートでは、「我が国の大幅な経常収支不均衡の継続は、我が国の経済運営においても、また、世界経済の調和ある発展という観点からも、危機的状況であると認識する必要がある」と述べた上で、「国際協調型経済を実現し、国際国家日本を指向していくためには、内需主導型の経済成長を図るとともに、輸出入・産業構造の抜本的な転換を推進していくことが不可欠である」としている。その上で「外需依存から内需主導型の活力ある経済成長への転換を図るため」、内需拡大の具体策として、①住宅対策及び都市再開発事業の推進、②消費生活の充実(余暇の増大など)、③地方における社会資本整備の推進などを提言している。
日米構造問題協議における米国側の主張が、この前川レポートに大きく影響されていたことは間違いない。1989年9月に開催された第1回日米構造問題協議で、米国側は「日本が前川報告書に基づいて前進していたらこの協議はいらなかったかもしれない」と述べ、具体的に「より積極的な社会資本整備」「余暇時間の増加などによる消費拡大」などを要求してきた。前川レポートの指摘と同じである。
なぜ「内需中心」が望ましいのか
ではなぜ外需中心ではなく内需中心が望ましいのか。この点は意外なことに誰もきちんと説明していない(と思う)。私なりに当時の議論を振り返ってみると、その理由として次の二つが考えられる。
一つは、「失業の輸出」論だ。今、GDP(国内総生産)と雇用が比例すると考えると、輸出によるGDPの増加は、海外の雇用を奪って国内の雇用を生み出していることになる。すると、外需(輸出と輸入の差)は、「海外の雇用を奪った分」と「海外の雇用を創出した分」の差だということになる。日米構造協議などを通じて米国が、執拗に日本の輸入拡大を求めたのは、「日本の輸入による米国の雇用創出」を求めたのだと考えられる。
もう一つは、「黒字削減」論だ。今、日本の黒字が大きすぎるので、これを減らさなければならないとしよう。外需と黒字の関係を見ると、定義的に、外需(輸出-輸入)がプラスであれば黒字は増え、マイナスであれば黒字は減る。ここで「内需中心の成長」とは、「外需の寄与度がゼロまたはマイナスの成長」だと考えると、内需中心の成長である限りは日本の黒字は増えない(または減る)という結論が導かれる。
しかし、経済のロジックに照らして考えてみると、この二つの理由はともに怪しい。
まず、失業の輸出論が正しいとすると、一方的に輸出は相手国にとってマイナスということになってしまい、国際貿易そのものが否定されてしまう。この議論の問題は、「輸入が増えると、その分国内生産が減り、雇用機会が減る」と単純に考えているところにある。しかし、①国内に代替生産物がない場合には、輸入が増えても国内生産は減らない(石油の輸入が増えても日本のGDPは減らない)、②相手国の所得要因で輸出が増えている時には、相手国の輸入が増えても相手国の雇用は減らない(相手国の国内生産も増えているはずだから)、③雇用が流動的であれば、輸入が増えて国内生産が減っても、雇用が減るとは限らない(他の産業に雇用が移ればいい)といった点を考える必要があるからだ。要するに、輸出を失業の輸出とする議論は相当に乱暴で、むしろ世界経済の発展のためにはマイナスとなる議論だとさえ言える。
黒字削減論については、そもそも「経常収支黒字を政策的に減らすことが正しいのか」という大問題があるのだが、仮に減らすべきだとしても、外需寄与度は実質、経常収支黒字は名目という差があるので、外需寄与度がマイナスだから黒字が減るとは言えない。例えば、日本の外需寄与度がマイナスになったとしても、石油の値段が下がってしまったら黒字は増えてしまうのだ。
「内需中心」にこだわったコスト
以上述べてきたことの結論は、政府が盛んに政策目標として掲げてきた「内需中心の経済成長」は、よく考えてみると、あまり明確な経済の理論的基礎に支えられたものではなかったということだ。経済的ロジックからの詰めが不十分なまま、対米摩擦を何とかして解決しようという政治的要請に背中を押されて推進してきたのである。
その結果は単なる「検討不十分」というだけでは済まないものとなった。本連載の第16回(「貯蓄投資バランスの議論―日米構造協議と経済摩擦(1)」)で述べたとおり、日米構造協議の結果決まった1990年の「公共投資基本計画」は、まさに内需中心の成長を実現しようとして行われたものだった。また、内需拡大の掛け声が強まる中で、東京湾臨海部開発、リゾート法などが相次いで推進され、それが開発ブーム、地価上昇を呼んでバブルにつながっていったという面もある。
経済の論理で吟味しないまま、雰囲気に流されて政策を推進していくと、手ひどいしっぺ返しを受けるという教訓は今に至るまで生き続けている。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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