計量モデルの力と限界―円高論議(1)
2015/04/17
為替レートの変化は常に日本の経済論議の中心であり続けている。今も、アベノミクスの下で「円安」が重要な論議の対象になっているが、それまでは長い間一貫して「円高」が問題となってきた。私が見るところ、日本では、常に「円高」は異様な恐怖心を持って受け取られてきた。その恐怖心に駆られて、「円高防止策」「円高の影響に備えての緊急経済対策」などが打ち出され、それが経済を過剰に刺激し、バブルの遠因になった可能性がある。
ではその恐怖心は経済学的にどの程度根拠があったのかというと、「あまり根拠はない」というのが私の考えだ。ということは、その恐怖心に基づいて採用される経済政策も「あまり根拠はない」ということになる。ということは、「あまり根拠のない政策を取ったことによって、我々はバブルとその崩壊というひどい報いを受けた」とも言える。
経済的問題については、その時点で得られる最新の経済学的知見に基づいて議論を尽くすことがいかに重要かということだ。これは現時点においても全く当てはまることである。
以下、私自身が参画してきた円レートについての経済的議論を紹介するのだが、この議論をするためには、計量モデルの話をしておく必要がある。というのは、私が最初に手がけた円レートの分析が、Jカーブの分析であり、それは当時の計量モデルをフルに活用して行われたものだからだ。そこで今回は、私と計量モデルとの関わり合いについて述べてみたい。
私と計量モデルとの出会い
私は1969年に経済企画庁に入り、経済白書を作る内国調査課に配属された。これが、私と経済白書との長い付き合いの初めになるのだが、本人はまだそんなことは知らない。
内国調査課では、1年目は総括班に所属し、2年目は財政金融斑に配属された。班長は大蔵省(現財務省)から出向の新村淳一氏(故人)、財政金融分野を指導していたのが日銀から出向の田村達也氏(後に日銀理事、現在、日本コーポレート・ガバナンス・ネットワーク会長、日本経済研究センター監事)、白書全体を統括する課長補佐が香西泰氏(後に日本経済研究センター理事長、現在名誉顧問)であった。
この時、私は「計量モデルを使って財政金融政策の効果を定量的に分析する」という、2年目の新人にしては結構重要な仕事を割り当てられた。その背景はこうだ。69年当時の日本経済は過熱気味であったため、69年後半から財政・金融両面からの引き締め的な措置がとられた。しかし、やがて経済が落ち着いてきたため、70年後半からは財政・金融政策は緩和的な方向へと舵が切られることになった。こうして複雑な展開を遂げた財政金融政策の組み合わせは、結局経済にどの程度のインパクトを与えたのか。その答えを出せ。そのための道具としては計量モデルを使え、というのが私に与えられたミッションだったわけだ。
今にして思えば、当時は「ポリシー・ミックス」「ファイン・チューニング」といった言葉が飛び交っており、財政金融政策を組み合わせることによって、景気の変動は小さくできる、つまり安定的な成長軌道を歩むことができると信じられていた。約20年もの間、いくら財政金融政策を駆使しても、デフレから脱却できなかった昨今の状況を踏まえて考えると、全くナイーブで幸せな時代だったといえるだろう。
さてミッションは与えられたものの、私には、計量モデルのことは全然分からない。大学でも計量経済学はろくに勉強していない。全然どうしていいのか分からない。私への指示は、経済企画庁の経済研究所に「マスターモデル」という最先端の計量モデルがあるから、それを使わせてもらえということであった。
当時、研究所で計量モデルを担当していたのが宍戸駿太郎さん(後に国際大学長、今も計量モデルを駆使して論文を書いている)だったので、私はずうずうしくも宍戸さんを訪ねて、どういうシミュレーションをすればいいかを尋ね、さらにずうずうしくも、そのシミュレーションをやってもらえないかとお願いしてみた。
宍戸さんはあっさり「いいですよ。どのように外生変数を操作したらいいかさえ考えてくれれば、シミュレーションはやってあげましょう」と快諾してくれた。ありがたいことに、宍戸さんは「他人の仕事を引き受けるなんて面倒なことはやりたくない」と考えるような人ではなく、「自分たちが開発した計量モデルが、現実の政策分析に使ってもらえるのであれば嬉しい」と考える人だったのだ。
そこで私は、政策変数をどのように変えたシミュレーションを行えばよいかという外生変数のセットを宍戸氏に渡した。しばらくするとシミュレーション結果が山のようなプリントアウトの束となって私のところに届けられてきた。これを1枚の表に整理して私のミッションは完結した。このシミュレーション結果は1枚の表となって1971年の経済白書に採用されているのだが、その表に基づいて白書は次のように書いている。
「(昭和)41年以降つづいた長期好況は、45年半ばをもつて終止符をうち、現在景気は後退局面にあるが、こうした景気の波に財政金融面の動きはどの程度の影響をもったであろうか。(中略)まず金融面からみると、44年9月から開始された金融引締めはタイムラグをもつて景気抑制的に働いている一方、45年秋からの金融緩和は景気の落込みを小さくさせる要因として働いている。また財政面では45年度に行なわれた法人税率引上げや米の生産調整が成長率を引下げる要因となっているとみられる。」
なお、この中で「コメの生産調整」という言葉が登場する。これは、当時、コメが生産過剰となり、食管会計の赤字が続いたことから、コメの生産調整を行ったことが景気の悪化要因になったという指摘があったことを受けたものだ。この部分は、生産調整の部分だけ政府在庫が変動したとしてシミュレーションを行ったのである。
不評だった私の最初の経済論文
この白書が公表された後、私は田村氏の勧めで、このシミュレーションの詳しい内容を論文の形にして『経済月報』という調査局発行の月刊誌に発表した。私の最初の経済論文である。
内国調査課では、全員が集まって、この私の論文を議論する研究会を開いた。この勉強会で最も厳しい意見を述べたのが香西さんだった。そのコメントの厳しさは、私はともかくとして、私を指導する立場だった田村さんが憮然とするほどの厳しさだった。振り返ってみると、香西さんの評価が低かった理由は次のようなことではなかったかと思う。
香西さんは、本来の経済分析は、ある理論モデルに基づいた仮説を設定し、それを現実のデータで実証するものでなければならないと考えていたようだ。しかし、私が行った分析は既存の計量モデルに政策変数のセットを与えて計算してもらっただけのものだった。よって、そんなものは論文としての価値はないと考えたのだろう。
当時、香西さんは誰からも企画庁の将来を担う逸材とみなされていたから、その香西さんから低い評価点をつけられたということは、「官庁エコノミストとしての将来性は低い」と宣告されたのと同じようなことであった。私は、「要するに香西さんのお眼鏡にはかなわなかったということだな。まあ私の実力からすればそれも当然だろう」と思うしかなかった。
私が香西さんに多少なりとも存在を認められるようになるのは、それから5年後に内国調査課に復帰してからのことだ。
私が理解した計量モデルの利点と限界
その数年後、私は経済研究所に配属され、今度は自分自身が計量モデルの構築を担当することになった。当時研究所には、吉冨勝氏(後にOECD局長、アジア開発銀行研究所長など)や新保生二氏(故人)がいて、相談相手になってくれたし、実際のプログラミングなどは大平純彦氏(現在、静岡県立大学准教授)が担当してくれた。
私自身はエコノメトリシャンではないので、計量経済的な細部は良く分からなかったのだが、この時、計量モデルチームに参画したことはその後の私にとっての大きな財産になった。次のようなことが身をもって理解できたからだ。
まず、計量モデルの利点と限界を知ることができた。世の中には未だに「計量モデル」というと、信頼できる将来予測を計算できたり、政策効果を客観的に分析できる魔法の道具だと考えている人がいるようだ。
例えば、かつて某政党が、シンクタンクを設立して自前の計量モデルを持ち、政府に対抗して経済予測や政策分析を行おうとしたことがある。私は「失敗するだろう」と思っていたが、案の定うまくいかなかったようだ。
実際にやってみれば分かるが、計量モデルで将来予測を行おうとすると、出発点での実績と推定値との誤差をどう処理するか、世界経済、財政支出、税制などの外生変数をどうセットするかなど、かなりの恣意的な判断が求められる。決して機械的に結果が出るわけではない。
一方、計量モデルならではの利点もある。シミュレーション分析による政策効果の数量的な評価がそれだ。例えば、1兆円の公共投資の経済効果を分析しようとしたら、「公共投資を増やした場合の経済」と「仮に増やさなかったら現れていたはずの経済」を比較する必要がある。しかし、経済は実験ができないから、「政策を打たなかった場合の姿」を知ることはできない。
しかし、計量モデルを使えば、「公共投資を増やした場合」と「増やさなかった場合」の経済の姿を比較することにより公共投資の経済効果を抽出することができる。いわゆる「乗数分析」である。
私はこの時、実際にこうした予測シミュレーション、乗数分析シミュレーションを何度も体験したので、計量モデルを使った分析結果について、自分なりの意見を持てるようになった。この体験はいまだに有効である。例えば、最近の例では、次のようなことがある。
本年4月10日の日本経済新聞「やさしい経済学 アベノミクス再考⑧」に、公共投資の効果が高度成長期に比べて小さくなっているという、次のような記述があった。「内閣府などの試算によると、公共投資の乗数効果は1970年代には1単位の公共投資の実行後、3年目で4を上回っていましたが、90年代以降は実行3年目で1をやや上回る水準です。」
これは、70年代の計量モデルの乗数と90年代以降のモデルの乗数を比較したものだと思われるが、私はこの議論は誤りだと思っている。70年代と90年代以降では、使っているモデルが全然違うからだ。例えば、消費関数だ。本論の最初に出てきた70年当時のマスターモデルの消費関数は、基本的には消費を「現時点での可処分所得」と「1期前の消費」で説明するという形になっている。この消費関数を使うと、公共投資による可処分所得の上昇は、タイムラグなしに直ちに消費を増やし、一旦増えた消費はあまり減らないという姿となる。しかし、90年代以降の消費関数は、いわゆる「恒常所得仮説」に基づくものが定着している。これは、消費は、その時点での所得ではなく、恒常的に得られる所得によって決まるというものだ。すると、1期だけ公共投資で所得が増えても、恒常所得はあまり変わらないので消費支出はあまり増えない。当然乗数は小さくなる。
つまり、70年代と90年代以降の乗数を比較するのは、違う物差しで寸法を測って比べているようなものであり、そもそも比較ができないはずのものなのである。
私は、この「実験ができる」という計量モデルの特性を生かして、Jカーブの分析を行ったのだが、これについては次回述べることにしよう。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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