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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

Jカーブの分析―円高論議(2)

 

2015/05/21

 円高(または円の切り上げ)というと、1972年のニクソンショックと1985年以降のプラザ合意以後の円高が有名だが、日本経済は77~78年にもかなりの円高を経験し、「大変だ」と大騒ぎになっている。77年年初に1ドル290円だった円レートは、78年10月には176円まで上昇した。1年半の間に50%近く上昇したことになる。

 私は当時、1976年から80年にかけて、経済企画庁の経済研究所、内国調査課で経済分析の仕事をしていた。研究所では計量モデルの開発と応用を担当したことは前回述べたとおりである。日本経済が円高に見舞われたのがちょうど私が研究所にいる時だった。

 私は、この時、円高の経済的影響を計量モデルを使って分析したのだが、それが本稿の主題である「Jカーブ」の分析である。今にして思えば、私はこのJカーブの分析によって、エコノミストとしての第1歩を踏み出したような気がする。

Jカーブとは

 Jカーブを教えてくれたのは、当時研究所で主任研究員だった吉冨勝氏である。吉冨氏は当時売り出し中のエコノミストで、1977年に出した「現代日本経済論 世界経済の変貌と日本」(東洋経済新報社)が日経・経済図書文化賞を受けたこともあり、かなり名が知られるようになっていた。私がこれまで接した中でも3本の指に入る最強のエコノミストである。

 研究所で「円高は日本の経常収支にどんな影響を及ぼすか」について議論していた時、吉冨氏は「Jカーブというのはね」と言って、白版にすらすらと図を書きながら説明してくれた。私は今でもこの時吉冨氏が書いてくれた図を鮮明に覚えている。

 Jカーブの考え方は次のようなものだ。円高になると、輸出価格はドル建てで上昇し、円建てで下落する。したがって円高当初では輸出額が膨らむので、経常収支は黒字方向に動く(当時、国際収支はドルベースで議論されていた)。しかし、やがて価格引き上げの効果が効いてきて、輸出数量が減るので、経常収支は赤字方向に動くようになる。これを横軸に時間、縦軸に経常収支をとったグラフに描くと、Jの字を逆にしたような形になる。ということは、円安の時はJの字型の形が現われる。これがJカーブである。

 「なるほど」と聞いていた我々計量モデルグループは、早速計量モデルを使ったシミュレーションによって、そのJカーブを描いてみることにした。やり方は簡単だ。まず、円高が進行しなかった場合の標準ケースを計算しておく。次に、円レートが10%上昇した場合のケースを計算する。両ケースの差が円高の影響である。経常収支に現れた効果を見ると、きれいにJカーブが出た。当時の計量モデルでは、為替レートの変化による輸出入変化は、半年から1年半のタイムラグで輸出入数量に影響するという定式化になっていたので、Jカーブをうまく抽出することができたのである。私達は、この分析を元に、ESPという雑誌(今はありません)に「為替レートの変動とマクロ経済」(1978年6月号)という論文を書いてこの結果を世に問うた。

経済白書での分析

 そうこうしているうちに、私は73年1月に内国調査課に異動になった。何度も言うように経済白書を作る部署である。私は新人の時に同課に配属されているから2度目のお勤めである。今度は課長補佐として実際に白書の原案を書くという大役を担うことになる。企画庁に入った人の多くは「一度は経済白書の担当になってみたい」と思うものだが、その憧れの部署を短期間で2回も経験出来るということは、破格の幸運だったと言える。

 赴任した私は早速1973年白書の原案作りに取り掛かったのだが、ここで研究所の経験が十二分に発揮された。この白書では、当然ながら、当時急速に進んでいた円高の経済的影響を分析することが大きなテーマとなっていた。私は、改めて計量モデルを使って円高のシミュレーション分析を行った。

 ここで生きたのが前述の吉冨氏の説明だ。吉冨氏は、前述の説明に続いて「累積するJカーブ」という概念を持ち出した。この辺が吉冨氏のすごいところだ。すなわち、1-3月期に円高が進むと、これによるJカーブが描かれるのだが、4-6月期にも円高が進むとこれに4-6月期の円高によるJカーブが重なる。という具合にJカーブを重ね、これを合わせると全体として大きなJカーブが現われることになる。これが累積するJカーブである。

 私は、この累積するJカーブを経済白書で描いてみることにした。やり方は次のようになる。まず、円高が進まない場合を標準ケースとして計算しておく。次に、ケース1として、1-3月期に円高になった現実のレートを入れ、その後はそのレートで一定とする。標準ケースとケース1との差が1-3月期の円高の影響であり、これによって一つのJカーブが描かれる。同じように、ケース2として、4-6月期以降に現実のレートを入れ、その後は一定とする。これと標準ケースとの差が4-6月期の円高の影響である。こうして次々に四半期ごとのJカーブを描いて行き、最後に全体を合成すると、吉冨氏の言うところの累積したJカーブが現われることになる。

 こうして描き出されたJカーブは経済白書に採用された。図がその時のものである。採用されただけでなく、この図はこの年の白書の代表的な図として、新聞紙上などでもしばしば引用された。要すれば大ヒット作となったのだ。ヒットしたのは、日本で初めてJカーブを実際に描き出したこともあるが、次のような点で当時しきりに出されていた疑問に明快な回答を示したことも大きかったと思われる。

 当時は、漠然と「円高になると、輸出が減って経常収支は赤字化に向かう」と考えられていた。ところが、円高になっても現実の経常収支は黒字が減らないどころか、むしろ黒字が拡大していった。これに対して、経済白書は、Jカーブ分析を踏まえて、円高は短期的にはむしろ黒字を増やすのだが、現実の経済では期を追うごとに円高が進んで行ったので、それぞれの円高の短期的黒字拡大効果が重なり、黒字がかえって増えていったのだと説明した。これを白書は「すなわち、52年度の経常収支の黒字は、『円高にもかかわらず』生じたのではなく、『円高であるがゆえに』生じた分がかなりあったということができる。」とちょっとしゃれた表現で説明している。これも私が書いた原案がそのまま残ったもので、私としてはちょっと自慢したい部分だ。

私の自信を強めてくれたJカーブの分析

 このJカーブの分析は、私のエコノミスト人生にとっての大きな転機になった。まず何よりも、経済白書で評価されたことが大きかった。伝統の白書で看板となるような分析を提供できたことは大いに誇らしく、とても嬉しかった。

 私はこの頃の一連の分析をまとめて「日本経済適応力の探求」(東洋経済新報社、1980年)という本を出したのだが、その中で1章を割いてこのJカーブの分析を詳しく説明している。

 また、この分析を通じて、私はいわゆるエコノミストの大家の議論にも対抗できることを発見した。尊敬する大先輩を持ち出して恐縮だが、私の本は、金森久雄氏の議論を批判している。当時金森氏は次のように書いた。「Jカーブの現象の本質はタイム・ラグであるから、9か月くらいで消えるのが普通だ。日本のようにレートが上がり始めてから、20か月以上も黒字が続くのは、タイム・ラグでは説明できないだろう。そこで、今年(昭和53年)の『経済白書』は、Jカーブ効果がつぎつぎに生じて、いつまでも、タイム・ラグが続くという新説を出している。これはちょっと興味ある説ではあるが、もしこのような論理が通用するならば、どこの国でも、レートの変化の影響のタイム・ラグは永久に続き、Jカーブは発生しないということになりそうだ。」(東洋経済近代経済学シリーズNo.46「国際収支『構造黒字説』の誤謬」)

 これに対して私は前掲書の中で、次のように反論している。「実際にJカーブがどんなものかを計測してみれば、黒字→円高というものが永遠に続くということはありえないということが分かる。Jカーブのうちの黒字効果はごく短期の効果であり、赤字効果はかなり長期にわたって作用し続けるものだからである。円高が続くにつれて、過去の円高の赤字効果は次々に累積してくる。(中略)したがって、円高が無限大に進行しない限り、必ず赤字効果の方が勝利を収める日が来るのである。」

 この私の反論部分は、その後、中谷巌先生が出した「入門マクロ経済学」(日本評論社、1982年)でも引用されている。この本は当時のマクロ経済学の標準テキストとして絶大な人気があったものだ。こうして代表的な教科書に引用されたこともまた私にとって大きな自信となった。

 私は自分の分析が予想外に大きなパワーを発揮したことにやや驚くとともに、この調子で行けばエコノミストとして何とかこれから生きていけるのではないかと愁眉を開く思いがしたのだった。


※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。