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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

日中エコノミストの交流モデル―中国経済と日本経済(下)

 

2015/07/23

 私が、本年5月22日に中国の北京で開催されたシンポジウムに出席し、日本経済を研究している中国人エコノミストと意見交換をしてきたことは前回述べた。その意見交換の中で私が改めて考えたことは、「日本の経験を教える」「中国が日本に学ぶ」という交流モデルはそろそろ限界に達しつつあるのではないかということだった。

 前回述べたように、私の先輩エコノミストたち(金森久雄氏、宮崎勇氏、大来佐武郎氏、下河辺淳氏ら)は次々に中国を訪れ、戦後日本の経済発展のノウハウを伝えようとし、中国側もそれを熱心に学ぼうとした。日本のエコノミストたちは、自分たちの経験を活かせる有力な場が出現したので喜んで中国を訪れた。中国側も、同じアジアで、日本が成長を通じて先進国の仲間入りを果たしたことを目の当たりにして、自分たちもそれに倣おうとした。教える側も、教えられる側もともにハッピー。エコノミストの交流という意味では全く幸せな時代だったと言えるだろう。

従来型モデルが適用できる環境問題

 これからも中国は、かつて日本が直面してきた諸課題に同じように直面することになるだろう。その中で、従来型の「日本が教える」「中国が喜んで学ぶ」というタイプのモデルがそのまま通用しそうなのが環境問題だ。

 日本では、高度成長の末期1971年に環境庁が発足して環境問題への取り組みが本格化した。私は、同年に環境庁に出向し、企画調整課というところで、黎明期の環境行政に参画した経験を持つ。当時は何もかもが新しかった。私は、第1回の環境白書の作成に携わり、環境破壊の経済的コストを推計するという大胆なことをやった。

 OECDの環境問題専門家会議に日本代表として参加し、汚染者負担原則(PPP:Polluter-Pay-Principle)の考え方を持ち帰り、紹介したこともある(これが私の最初の海外出張)。この考え方は、その後、汚染源である企業が費用を負担して、公害による健康被害者を救済するという公害健康被害者救済制度に結びついていくことになる。

 当時はまだ「開発か環境か」の二者択一が議論になっていた。当時私の在席していた課では、関係省庁が打ち出してくる政策文書や法律案の中で、地域開発を推進するようなものがあると、「環境への影響に留意しつつ」という言葉を入れろと文句をつけて回っていたものだ。アメリカには「環境アセスメント」を義務付ける法律があると聞いて調べたこともある。今では「環境保全に留意しながら開発しましょう」などという人はいない。「環境を保全するのが開発の大前提」であることは常識になった。公共事業などの際に、事前に環境への影響を調査する環境アセスメントを行うのも当たり前になった。

 かつては、「環境が大切だ」と言っている環境庁の姿を見て「環境庁、金と力はなかりけり」などとからかわれたものだ。しかし長い間「環境は大切だ」と言い続けているうちに、いつの間にかそれが当然の常識になった。この経験があるので、私は「一見効果はないように見えても、大切だと思ったら言い続ける」というのも案外有効なのかもしれないと思うようになった。

 この環境という点で見ると、中国はちょうど日本の高度成長末期の状況にあるようだ。私が北京を訪問した時は、珍しく悪名高いスモッグが少ない日で、夜には星が見えた。私を案内してくれた北京在住の方は「おお、北京で星を見るのは久しぶりだ」と感動していた。

 中国でも、多くの人が「これは相当まずい」と考えていることは間違いない。同じく私を案内してくれた中国のエコノミストは、お子さんが既に日本に帰化していることもあって、老後は日本で暮らすことを真剣に考えているのだが、その理由として、「お子さんが日本にいる」ことに次いで挙げたのが「日本は空気が綺麗だ」ということであった。

 しかし、まだ「環境保全が全ての前提」という考え方が常識化するまでには至っていない。北京のスモッグの原因は、地形が盆地になっていることに加え、自動車が急増していることや、近くで化学工場が稼働していることがあるようだ。

 これから、中国は次第に環境問題に力を入れるようになっていくはずであり、その過程で日本の経験を伝えることにより、その環境問題への取り組みがより効果的になることが期待される。

従来型モデルが適用しにくい諸問題

 環境問題以外にも多くの点で中国は日本の経験をなぞっていくことになるだろう。それがうまく処理されない場合は世界経済・日本経済のリスク要因として作用することが懸念される。

 第1は、成長率の屈折だ。日本経済は、1970年代の初めに10%程度の高度成長から、4~5%への中成長へと成長率が屈折した。高度成長がいつまでも続くはずはないから、中国経済もやがては同じ過程を経験することになる。中国経済は2012年以降、成長率が7%台で推移するようになった。この成長率の減速は、すでに高度成長からの屈折が始まっているのかもしれない。

 この点は「中所得国の罠」の問題としてしばしば議論になっている。中所得国の罠というのは、世界銀行が「東アジアのルネッサンス」(2007)において示した概念である。途上国が先進国に追いついていく過程では、キャッチアップ効果が作用して高い成長が実現する。しかし、中所得国になってくると、先進国と競合する分野が増え、賃金水準も上昇するから、単なる低賃金では勝負できなくなる。自前で技術を開発し、人的資本を充実させていく必要がある。要するに高度成長がいつまでも続くことはありえず、それが中成長に円滑に行き着くことができるかが問題となるわけだ(この点は、日本経済研究センター「アジア経済中期予測 岐路に立つアジア」2015年7月を参照)。

 この点については、日本は比較的うまくこの成長率の屈折を乗り越えたように見えるが、石油危機や円高への対応とごちゃごちゃになっており、その後にバブルの生成と崩壊、さらにその後の長期停滞という事態を招いているので、胸を張って教えるというものではなさそうだ。

 第2は、為替レートの調整だ。日本は、1972年のニクソンショックで1ドル360円という固定レートから離れ、その後間もなく変動レート制に移行して、長期的には円高傾向をたどってきた。この円高への動きは、短期的に急激な円高への動きが発生して、それが弱まった後、再び短期的に急激な円高が発生するという形で進んできた。そのたびに、「円高で大変だ」という議論が高まり、その影響を弱めるために景気対策が打ち出されるということが繰り返されてきた。

 最近あまり話題にならなくなったが、中国の元レートは、ほとんど変動が見られず、今のところ日本が経験したような為替調整を免れてきている。しかし、大幅な経常収支の黒字が続いており、対外的にも「為替相場を人為的にコントロールしている」と受け止められれば、中国が国際金融の分野で主要な地位を占めることはできないはずだから、いずれは日本型の為替調整を経験することになることが予想される。

 しかし、これまで中国の為替レートがそれ程変動していないということは、中国は「為替の変動にどういう考えで臨むか」ということよりも「為替レートの変動をどう防ぐか」に関心があることを示している。だとすれば、そもそもこの点を日本に学ぼうという気にはならないのかもしれない。

 第3は、少子・高齢化の進展だ。日本では、少子高齢化が進み、人口問題の超先進国となっていることは良く知られている。少子化が進めば、必然的にいずれは生産年齢人口が減り、高齢化が進む。中国では一人っ子政策の影響もあってかなり急激に少子化が進展した。既に、生産年齢人口も減り始めている。今後急速な高齢化が進展することは避けがたい。

 この点で、日本の経験を伝えられれば良いのだが、そのお手本であるべき日本が、少子・高齢化への対応に失敗してきたのだから、とても「教える」「学ぶ」という関係にはならない。

 以上のように、日本と中国のエコノミストの交流は、そもそも「日本が教えて、中国が学ぶ」というモデルが通用しにくい環境へと変化してきている。今回の訪中でも、中国側のエコノミストと話していると、依然として彼らは「日本に学ぶものはないか」というアプローチで日本研究を続けており、「あまり学ぶものがなくなってきた」という感じを持っていることが伺われた。従来型の交流モデルを続けようとする限り、日中間のエコノミストの交流が先細りになることは明らかだ。今後は「日本と中国がお互いに知恵を出し合って共通の問題を考える」というモデルに進んで行くべきだろう。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。