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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

基調判断の解釈―月例経済報告(1)

 

2015/10/23

 これから何回か、内閣府が行っている月例経済報告について書いてみたい。私は、経済企画庁時代、調査局に最も長く勤務していたので、月例経済報告についてはもともと山のように言いたいことがあるのだが、最近、月例についてちょっと面白い出来事に遭遇したので、書いてみる気になったのだ。今回はその最近の出来事について話すことにしよう。

9月の月例経済報告についての質問

 9月25日に、私は内閣府の記者クラブに赴いて、ESPフォーキャストの成績優秀者についてレクチャーを行った。一通りの説明と何点かの質疑があり、フォーキャスト調査についての議論が一段落した時、某記者が「ところで」と言って、私のレクチャーの直前に開かれた月例経済報告について私に質問してきた。

 私はやや驚いた。レクチャーとは全く関係のない質問をするのは異例だからだ。では、なぜ新聞記者の人々は、私に月例についての質問をしてきたのか。事情を聞いてみると次のようなことであった。

 月例経済報告が発表される場合には、内閣府の担当課長が記者クラブでその内容をレクチャーすることになっている。その場合の注目点は「前月からの変更点」である。説明文が前月と同じであればニュースにはならないが、表現を変更した場合には、政府の経済認識が変わったわけだから、ニュースになる。特に、冒頭の「総括判断」と呼ばれる部分は、景気に対する基本認識を述べたところなので注目度合いが高い。

 例えば、本年2月と3月の総括判断部分を比較してみよう。2月までは「消費などに弱さがみられるが、緩やかな回復基調が続いている」となっていたのだが、3月にはこれが「企業部門に改善がみられるなど、緩やかな回復傾向が続いている」となった。これを受けて、日本経済新聞は「政府は、景気判断を8カ月ぶりに上方修正した3月の月例経済報告を正式に発表した」と報じている。確かに、両者を比較してみると、2月には「消費に弱さがあるが」という但し書きがついていたのだが、3月にはそれが外れているから、より強気の景気認識になったと判断して良さそうだ。

 もう一つ例を示そう。7月の総括判断は「緩やかな回復基調が続いている」だったのだが、8月にはこれが「景気は、このところ改善テンポにばらつきもみられるが、緩やかな回復基調が続いている」となった。これについて日本経済新聞は「基調判断は5カ月連続据え置いた」と報じている。しかし、二つの文章を比較してみると、7月にはなかった「改善テンポにばらつきがみられるが」という但し書きが加わっているから、3月の例に照らしてみると、今度は政府はやや弱気の判断に修正したとみることもできそうだ。

 ではなぜ3月は「上方修正」で、8月は「下方修正」ではないのか。それは内閣府がそう説明したからだ。内閣府の説明資料には毎月、総括判断部分について、「上方修正」か「下方修正」か「据え置き」が分かるような資料が配布されている(この資料は一般には公開されていない)。この資料で、3月は「上方修正」という説明を受け、8月は「据え置き」という説明を受けたので、そのように書いたのだと思われる。

 ここで問題の9月の月例が登場する。9月の総括判断は「このところ一部に鈍い動きもみられるが、緩やかな回復基調が続いている」となった。これは「下方修正」か「据え置き」なのか。

 ここで驚くべきことが起きた。内閣府はこれについての解釈を示さなかったのだ。記者の人々は、どう書くべきか、途方にくれた。そしてちょうどその時、私がやってきてESPフォーキャストについての説明を始めたというわけだ。記者の人も、私がかつて内閣府で月例経済報告の仕事をしてきたことを知っているので、「飛んで火にいる夏の虫」という感じで私に説明と感想を求めたのだった。

月例の解釈についての説明

 私もこうした説明を聞いて、ようやく記者の方々の質問内容の意味が分かった。分かったところで私は次のようにコメントした。

 第1に、今回の基調判断の変更は「下方修正」と見るのが自然であろう。そもそも経済情勢に対する認識が同じであれば、判断文を変更する必要はないわけで、何らかの認識の変化があったから判断文を変えたのだと思われる。素直に考えれば、同じ但し書きでも「ばらつきが見られるが」よりも「鈍い動きも見られるが」の方がより慎重な判断だとみていいだろう。

 第2に、しかし、政府が示した文章をどう解釈するかは、本来は読者に委ねられるべきものである。その意味では、毎月政府が「これは上方修正か下方修正か」の解釈まで示すのは、過剰サービスだと言えるかもしれない。今月からそのサービスをやめたということであれば、それは一つの見識だと言える。

 第3に、それでも、なぜ選りにも選って今月変更したのかについては、「新三本の矢を打ち出した翌日に、景気判断を下方修正という見出しが躍るのを避けたかったからだ」と勘繰られても仕方がない。

 第4に、今後の注目点は、10月の報告の際に解説を復活するかどうかだ。仮に、景気が悪くなった時に解釈を示さず、景気が良くなった時に「上方修正です」という説明を始めたりしたら、それは最悪の対応ということになるだろう。

 こうした私のコメントの一部は、翌日の日本経済新聞で引用されている。

10月の月例経済報告

 話はまだ終わらない。月日は巡り、10月14日に10月の月例経済報告が出た。さて、注目の総括判断はどうなり、その説明は復活したのか。

 まず、総括判断は「このところ一部に弱さもみられるが、緩やかな回復傾向が続いている」となった。そして内閣府の説明は、かなり芸が細かくなった。すなわち、総括判断を二つに分け、前半の「一部に弱さも見られるが」の部分を「現状判断」として、これは「下方修正」だとし、後半の「緩やかな回復傾向が続いている」の部分を「基調判断」として、これは「据え置き」だと説明したのだ。

 かなり長くなったが、事実関係の説明は以上の通りである。こうした動きを見ていて、私は二つのことを考えた。

 一つは、景気の転換点と政府の景気判断の関係についてである。多くの人が疑っているように、政府の景気判断には「上方バイアス」があるようだ。つまり、景気が悪い時に転換点を迎えた場合には、すぐに「景気は良くなった」と言いたがるが、良かった時に転換点を迎えた場合には、なかなか「悪くなった」とは言いたがらないというバイアスがありそうである。

 私も政府にいたのでその気持ちは良く分かる。景気が良くなったと思った時、政府が積極的に「良くなりました」と言えば、「そうか景気はいいんだ」と多くの人が考えるから(政府の言うことを信頼すればだが)、そのこと自体が景気をもっと良くするかもしれない。逆に、悪くなった時に「悪くなりました」と認めてしまったら、人々の意識が変わって、景気の後退を後押しすることになってしまうかもしれない。

 また、政策を求められるということもある。「景気が悪い」と認めると、直ちに各方面から「では、何とかしろ」という声が飛んでくるだろう。何とかしろと言われても、簡単に補正予算を組むわけにはいかないし、日銀に圧力をかけるわけにもいかない。できればそっとしておきたいと考えてしまうのだ。

 もう一つは、政府が解釈を示すということをどう考えるかだ。よく考えてみると、前述のような月例報告の解釈を巡る動きは、普通の人には分からないことである。内閣府のホームページを見ても、月例経済報告の本文を見ることはできるが、「上方修正」「下方修正」の判断を知ることはできない。よって、記録にも残らない。仮に後世の歴史家が、月例経済報告の判断文の「上方修正」「下方修正」がどのように繰り返されてきたのかを調べようとしたら、新聞をひっくり返すしかない。

 これは「透明性」という観点から問題があるかもしれない。もし、内閣府が「上方修正」「下方修正」の判断を国民に伝えたいのであれば、公式の文章の中にそのことを書くべきではないのか。

 こうして、月例経済報告は、特に、景気の転換点の近くになると、その表現を巡ってドラマが生まれることが多い。私もそのドラマを目撃し、さらにはドラマで主役の一員を演じたこともある。そのドラマがどんなものだったかを次回以降書いてみたい。


※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。