経済白書の生い立ち―経済白書70年(1)
2016/04/21
今年は経済白書が発刊され始めてから70年目に当たる節目の年だ。私は、その経済白書の作成に何度も携わってきた。それは螺旋階段のようなものだった。役所に入った時、私は経済白書を作る内国調査課の1年生として、弁当の注文からグラフの作成、原案作成の手伝いなど下積みの仕事をした。その後、他のセクションを転々とした後、数年後に、今度はその課の課長補佐として戻ってきた。その後再度転々の後、今度は内国調査課長として戻ってきた。さらに転々の後、今度は課長の上の調査局長として戻ってきた。ぐるぐるとキャリアの螺旋階段を登る中で、徐々に地位を上げながら経済白書を経験してきたのである。
したがって、経済白書を作るという仕事に従事した累積年数は約10年程度になるだろう。おそらく私は、現存する日本人で、最も長く経済白書作りに従事した人間ではないかと思う。ついでに、最初の白書が出た年は、私が生まれた年でもある(歳がばれますが)。こうした経済白書との長い付き合いを生かしながら、70年間の経済白書を振り返ってみようと思う。今回取り上げるのは第1回の白書だ。
家計も企業も政府も赤字
第1回の経済白書が公表されたのは、1947年の7月、執筆したのは経済学者として有名な都留重人氏であった(私が大学生の頃は、サミュエルソンの「経済学」の翻訳者として知られていた)。
この最初の経済白書は「経済実相報告書」として発表された。当日本経済研究センターは、この貴重な第1回経済白書を所蔵している。本稿を書くに当たって、借り出してみたのだが(写真参照)、紙がボロボロで、ページを繰っていくと破けそうで怖い。閲覧用のコピーの方を借りることにし、原本は写真だけ撮ってすぐに返却した。
この第1回白書ができるまでの経緯については、金森久雄氏編「再論経済白書 戦後経済の軌跡」(中央経済社、1990年)の中に、都留重人氏の「『経済白書』第一号についての回想」という貴重な一文が収められている。この一文で面白いことが分かった。
この第1回白書は、「家計も企業も政府も赤字」という有名な表現で、終戦直後の厳しい日本経済の姿を率直に表現したことで知られている。私は、内国調査課長に就任した時も、この第1回白書を読んでみたことがある。この時、「あれ、有名な『家計も企業も政府も赤字』という言葉がないじゃないか」と思ったことを覚えている。「一国の経済を構成する三つの重要な部門のいずれもが、かなり長い期間にわたって赤字を続けているということは、‥」といった表現はあるのだが、三つの赤字を宣言するような文章は見当たらなかったのだ。この時私は、後世の人が白書の意図を分かりやすく要約したのだろうと考えていた。
ここで前述の都留氏の回想文に戻る。この中で都留氏は、「(経済実相報告書は)6月に発表された経済緊急対策の裏打ちとなることを意図した政策的文書だった」と述べている。「ふーんそうだったのか」と思った私は、その経済対策なるものを読んでみようと思った。幸い、センター所蔵の第1回白書の末尾にその対策が収められていた。読んでみると、対策の冒頭の一文は次のようなものであった。
「国家財政は赤字を続け、重要企業も赤字に悩み、国民の家計もまた赤字に苦しんでいるのが我が国経済の現状である。」
おお、これこそが「三つの赤字」をきっちり表現した文章ではないか。なるほどそうだったのか、と私は長年の疑問が氷解した思いだった。三つの赤字の表現は、経済緊急対策で初めて登場したものなのだ。その10日後に、その経済対策の意図を解説するための文書として公表されたのが、経済実相報告書だ。だから実相報告の方は「既に経済対策で述べた三つの赤字をもっと詳しく説明するとこうです」という感じの書き方になっていたわけだ。
「三つの赤字論」は、当時の経済状況を分かりやすく国民に伝えたものとして高い評価を得た。これまでその名誉は第1回の経済白書に与えられてきた。しかし、オリジナルにこの表現を使ったのは、経済緊急対策であり、その名誉はこの対策にこそ与えられるべきものだったのだ。
すると、「その対策を書いたのは誰か」という疑問が生ずる。もしかしたらこれも都留氏が関係していたのかもしれないが、その点は今となっては分からない。
胸を打つ白書の姿勢
というわけで、三つの赤字論を打ち出したという点では、他人に功を譲ることになるのだが、この第1回白書は、やはり読む人の胸を打つ名白書である。私が特に感心したのは次の2点だ。
一つは、政策との関係で、経済の実態を国民に理解してもらいたいという熱意にあふれていることだ。
白書は次のように言う。「政府はさきに緊急経済対策を公にして、苦しい経済の現状から抜け出るための施策を国民に告げた。…しかし、政府の実行は国民一同の積極的な協力から離れて成功しうるものではない。…だから、政府は、集め得る限りの資料や統計を基礎として、我が国経済の現状を国民に伝え、国民と一緒に問題を考えかつ解決してゆきたいと思う。」
政策は国民とともにあるべきだ。そのためには政府は経済の実情をできるだけ客観的に国民に伝え、理解してもらう必要がある。そこでこの白書を作った、というわけだ。
このように国民に実情を知らせるべきであり、国民はそれを知るべきだという考えは、おそらく当時終わったばかりの戦争体験に根差していたのだと思われる。白書は、結びの中で次のように言う。
「われわれは従来まで、ともすれば、現実を正視する勇気に欠けていた。今は過去となった悪夢のような戦争のさ中でも、望まぬ現実には目を覆い、望む方向には事実を曲げようとする為政者のきょうだな態度は、はかり知れぬほど国民に災いした。」
もう一つは、驚くべき平易な表現で経済の姿を伝えようとしていることだ。
例えば、次のような表現がある。「部屋の掃除を言いつけられたものが、ほこりをすべて机の下にはき込んだのでは、一寸見た眼にはきれいになったように見えても、実は本当に掃除したことにならないと同じように、国の経済についても経済全体としてものごとを見極めることが必要である。部屋の中は、机の下もたんすのうしろも全部きれいにしなければならないのである。」
こんな表現もある。「我が国は、国土としても貧しいし、その上、無謀な戦さをして、国際的な信用も失った。言わば、貧しい人が、隣近所に喧嘩を吹っ掛けたようなものである。」
この第1回の白書は、一回限りの単発文書として公表されたものだったのだが、評判が良く、「こういうものを毎年出すのが良かろう」ということになり、以後、経済の実態を報告する文書が経済白書として定例化したのである。
この第1回の白書は、まさにその後延々と続く経済白書の生みの親となった。またそれは、経済の実態を国民に理解してもらうことの重要性、そのために分かりやすい文章で国民に語りかけることが必要であることを改めて我々に教えてくれるのだ。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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