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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

バブルの生成と崩壊(2)-資産価格の経済分析(中)

 

2016/11/22

 私が日本経済研究センターの主任研究員として四半期経済予測を担当したのは、1987年8月から89年6月である。まさにバブル経済の真最中である。私はこのバブルを分析することになるのだが、こういう話をしていると、いかにも私に先見の明があり、世の中に先駆けてバブルの経済分析を手がけたように見える。そういう面もあるのだが、「それほどでもない」という面もある。それは次のようなことだ。

 私は当時、株価・地価という資産価格の変動に強い関心を持っていた。そのため、後述するように、資産価格の変動とそれが日本経済に及ぼす影響について様々な分析・検討を行った。これは確かに先見の明があったと、自分で自分を褒めてやりたいところだ。

 しかし、当時の私は、こうした資産価格の上昇が、経済の実態から大きく乖離したバブルだという認識は薄かった(少しはあったが)。ましてや、やがてバブルが崩壊して、日本経済が大停滞の時代に入っていくなどとは夢にも思わなかった。これは残念ではあるが、大部分の人がそんなことは考えていなかったわけだから、私が考えつかなかったのも無理はない。

センターでの予測作業と資産価格変動

 私は、来年の3月までに法政大学の研究室を引き払わなければならないのだが、そのため研究室の書棚の大整理をしていたら、当時の日経センター時代の資料が大量に発見された。これをぱらぱらめくっていると、懐かしくて時のたつのを忘れてしまう。引越しの時に、畳の下から出てきた古新聞を読みふけってしまうようなものだ。この資料を活用して、当時を振り返ってみよう。

 私は、87年8月に日経センターに赴任したのだが、その直後の87年10月に「SA67のポイント」というメモを書いている。SAというのは「Successive Approach(段階的接近法)」のことで、SA67というのは「67回目の段階的接近法による四半期予測」という意味である。このメモは、その予測作業を始めるに当たって、チームのメンバーに私の問題意識を説明したものだ。この中に「特別テーマ」として「キャピタルゲインの分析」という項目がある。このメモでは「86~87年にかけてどの程度のキャピタルゲインが発生したか、それは実体経済にどのような影響を及ぼしたか、88年にはそれはどうなるか」と書いている。この私の基本方針に基づいて各担当者が具体的な分析・予測を行ったわけだが、今回は、このキャピタルゲインに絞って資産価格の分析を紹介する。

大活躍の「調整勘定」

 さて私がここで取り上げている「キャピタルゲイン」とは、前回の本連載「バブルの生成と崩壊(1)-資産価格の経済分析(上)」(2016年10月21日)で説明したように、香西氏に教えていただいた「調整勘定」のことである。調整勘定とは次のようなものだ。

 経済にはフローとストックがあるが、普段我々が見ているGDP統計は、フローである。GDPそのものがフローなのだから、これは当然のことだ。しかし、GDP統計には「国民貸借対照表」というストック勘定もある。ここでは、土地、建物などの実物資産、現預金、株式などの金融資産が時価ベースで表示されている。さて、これらの資産は増減する。典型的な例は、投資や貯蓄による増減である。例えば、家計が住宅投資を行えば住宅という資産が増え、企業が設備投資を行えば、生産設備という資産が増える。また、家計が、所得から貯蓄を行えば現預金などの金融資産が増える。

 ところが、資産は投資や貯蓄によらないでも増減する。典型的なのが土地である。土地は投資によっては増減しない(埋め立てという場合はあるが)。しかし、地価が変動すると土地資産額が増減する。金融資産の株式も価格が変動すると、貯蓄がなくても増減する。投資や貯蓄はフローの経済活動としてGDPに現われるから、「資産が投資や貯蓄によって変動する」のは、GDPの体系と完全に整合的である。ところが、価格が変動して資産が変動した場合は、フローのGDP上は何の変化も伴わずに資産だけが変動してしまう。これはGDPの体系と整合しない。そこで困ったGDPの専門家は、「調整勘定」という、いかにも邪魔者のような項目を立てて、ここに価格変化による資産の変動分を記載しておくことにしたのだ(と思う)。

 この調整勘定に示されている金額は、土地・株式の「値上がり益」すなわち「キャピタルゲイン」である。当時ほとんど誰も認識していなかったが、GDP統計には昔からキャピタルゲインが計算・表示されていたのである。私は、香西さんに教えていただいたことにより、このことを知り、これを大々的に取り上げたわけである。

調整勘定で見るバブルの大きさ

 ではそのキャピタルゲインの分析結果はどうだったのか。私の手元に、1987年12月に発表された四半期予測の本文があるのだが、その中で、キャピタルゲインの大きさについては、次のように書いている。「87年中頃までの日本経済は『資産インフレ』下にあった。地価は、全国で前年比9.7%も上昇し(87年7月1日現在の基準地地価)、株価は86年1月から87年9月にかけて約93%もの上昇となった。我々の推計では、86年には土地で約33兆円、株式で約94兆円、87年には土地で約200兆円、株式で約87兆円ものキャピタルゲインが発生している。これは名目GNP(当時はGDPではなくGNPだった)の69%、83%にも相当する。」

 この文章を見れば分かるように、私は、株価・地価が著しく上昇し、その結果GNPの7~8割にも達するほどの巨額のキャピタルゲインが生み出されたことに驚き、その驚きを懸命に世間に訴えようとしたのだ。こうした私の問題意識は全く正しかったといえる。しかし、現実のバブルは私の驚きをさらに凌駕して膨張していたのだ。

 その後判明した実績を見ると、1986年のキャピタルゲインは、株式で122兆円、土地で274兆円、合計395兆円に達した(四捨五入の関係で、構成要素と合計が一致しない)。これは名目GDPの116%である。87年にも株式で84兆円、土地で413兆円、合計497兆円のキャピタルゲインが発生した。これはGDPの140%である。その後も、88年には合計343兆円(GDPの90%)、89年には516兆円(GDPの126%)のキャピタルゲインが発生した。

 つまり自分としてはその規模にかなり驚いたつもりだったのだが、現実にはもっとずっと大きなキャピタルゲインが生まれていたのである。驚き足りなかったわけだ。

 さて、この調整勘定物語にはまだ続きがある。私はセンターを離れて4年後に、念願かなって内国調査課長になるのだが、私が担当した最初の93年白書では、バブルの生成と崩壊を大々的に取り上げた。

 その白書で私は、バブル分析の冒頭に「国民経済的規模で進行した資産価格変動」という1節を設け、調整勘定を再び紹介した。白書では次のようになっている(一部簡略化している)。「国民経済計算を用いて、株式・土地のキャピタルゲイン・ロスをみると、86年以降数年にわたって巨額のキャピタルゲインが発生したあと、90年以降は巨額のキャピタルロスが発生したことが分かる。日本経済に対するマグニチュードをみるために、これをGNPと比較してみると、87年には名目GNPを40%も上回るほどの巨額のキャピタルゲインが記録された。90年以降は逆に巨額のキャピタルロスが発生しており、その規模は91年にはGNPの46%、92年も同88%となっている。株価・地価の上昇下落が国民経済的規模で進行したという点では、今回の資産インフレ・デフレは戦後の経済史において初めて経験することであった。」

 私は今でも、大学の「日本経済論」の授業でバブルの話をするときは、まずこの調整勘定の数字を示し「GDPを上回るキャピタルゲインが何年も続いたということは、株や土地の値上がり益が、日本中の人が1年かかって稼いだ金額を上回る状態が続いたということだ。いかに異常な経済だったかが分かる。しかし、それは今だから言えることで、バブルの渦中にある時は、だれもその異常さに気が付かなかった。バブルの中にいる人々はバブルだとは思わない。だからこそバブルが生まれるのだ」と説明している。

 こうして調整勘定は、40年近くにわたって私が描き出す経済の中で大活躍し続けているのである。(続く)

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。