一覧へ戻る
小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

バブルの生成と崩壊(3)-資産価格の経済分析(下)

 

2016/12/27

 日本の大バブルは、1980年代の後半に急激に進展し、90年頃から崩壊のプロセスに入り、その後約20年間もの間日本経済をその後遺症に苦しめることになる。私は、そのバブル生成の初期において、資産価格変動の重要性に着目し、多くの分析を手掛けた。この点を「個別分野についての分析」と「マクロ的な大局観」に分けて紹介しよう。

無人の荒野を行く

 個別分野での分析については、「資産価格の変動が日本経済に及ぼす影響」というテーマは、当時はほとんど誰も注目していなかったので、何をやっても「本邦初演」状態となり、分析者としては「無人の荒野を進む」ような快進撃で、まことに気分が良かった。私と、当時の研修メンバーは、その成果を『株価・地価変動と日本経済-資産インフレの経済学』(東洋経済新報社、1989年1月)という本にまとめている。主な分析としては次のようなものがあった

 第1は、株価関数だ。日本の株価指数を、米国の株価、長期金利、営業利益、企業の資産価値で説明する関数を推計した。これを理論値とすると、現実の株価が理論値からどの程度かい離しているかが分かる。87年末のセンターの短期予測では、日本の株価は理論値より20%程度高い(つまり将来20%程度値下がりしてもおかしくない)という結論を述べたりしている。

 また、株価と地価は密接に関係しているという議論を受けて、株価関数に地価そのものを入れて推計してみた。すると、地価の有意性は極めて高く、弾性値はほぼ1となった(地価が1%上昇すると、株価も1%上昇する)。これは、地価が上昇すると、企業が保有する土地の価値も高まり、企業価値も高まるから株価が上昇するのだと考えれば納得の結論であった。この関係を使って推計すると、例えば、87年7~9月期の株価上昇の約7割は地価の上昇によって説明できるという結論になった。

 第2は、キャピタルゲインの分布だ。所得階層別の株式の保有状況から、キャピタルゲインが所得階層別にどう配分されたかを推計した。その結果、86年の場合、全キャピタルゲインのうち63%は第5分位(つまり最も所得の高い層)で実現していることが分かった。高所得層の方が株の保有比率が高いのだからこれは当然である。キャピタルゲインは、所得分配という点では逆進的であることが分かる。

 地域別の分布も計算してみた。その結果、株式については、全体のキャピタルゲインの43%が関東地区で実現しており、土地については、実に93%が関東地区で実現していることが分かった。これは、関東地区の地価はもともと高く、その地価の上昇率が相対的に高かったからである。

 第3は、消費に対する資産効果の分析だ。資産価格が上昇すると、家計の金融資産が増えるから、家計は余裕度が高まり消費を増やすはずだという理屈だ。これも、それまでの消費関数に、実質金融資産残高を加えてみると有意となった。さらに、これを財別に分けてみると、耐久財について特に有意性が高く、さらに所得弾性値1以下の必需財とそれ以外に分けて推計してみると、必需財については資産効果はほとんど見られないという結果となった。株でもうけたので食料品を買うという人はいないので、これも納得の結論である。バブル期には、贅沢な高額商品や耐久消費財の消費が伸びたのだが、その背景は、この資産効果だと結論付けた。

 第4は、住宅投資の分析だ。当時、貸家の建設が急増していたのだが、これは相続税要因が大きく作用していると考えた。相続税算定の基礎となる路線価は、87年1年間だけで2倍近くに上昇した。当時の相続税は税率10~75%の累進課税であったため、路線価が2倍になると、実際の相続税は3~4倍になった

 このため、金融機関から借金をして貸家を建てるという作戦が横行した。当時我々が行った試算では、3億円の土地(更地)と2億円の預貯金を妻と子供二人が相続した場合、相続税は全部で1億円となる。しかし、1億円借金して3億円のマンションを建てると、相続税は4300万円程度に縮減できる。当時はこうしたメカニズムで借家の建設が急増した。それから約30年がたち、何と、この時と同じことが今起きている。相続税逃れの貸家建設の増大である。ということは、逆算すると、現時点での資産価格にはバブル的な要素が相当含まれているということなのかもしれない。

大局観の問題

 さて、こうして個別分野では気持ち良く多様な分析を行ったのだが、問題は大局観だ。当時の書き物などを調べてみると、私の資産価格・バブルについての大局観は次のように変化して行った。

 まず、日経センターに赴任する直前の段階では、世間に先駆けて資産価格やキャピタルゲインについて強い関心を持っていた。その方向感も結構正しかったようだ。当時ある雑誌に次のように書いている。

 「地価・株価のキャピタルゲインについては、資産の実質的な価値が上がった面もあるが、投機的な資金の流入により、将来の価格が上がると思うからこそ現在価格が上がっているという現象が生じていることも事実だ。こうした投機によるキャピタルゲインの増大は、常識的に見ても、いつまでも続くことはあり得ない。‥現在のようなキャピタルゲインは、いずれは縮小することは間違いない」(財経詳報、1987年7月7日号)

 資産価格の上昇はいつまでもは続かないという大局観は全く正しかったのだが、それが明らかになるのは、3年後のことになる。

 私の大局観を狂わせたのは、NY株式市場の大暴落である。私が日経センターの主任研究員に就任したのは87年8月だが、その直後の10月19日(月曜日)にニューヨーク株式市場の大暴落(いわゆるブラックマンデー)が起きた。NY証券取引所のダウ平均株価は508ドル、22.6%もの大暴落となった。これは87年に世界恐慌の引き金となった株価の下落率(12.8%)を上回るものであった。当然世界中がその影響を固唾を飲んで見守るという状況になった。

 私はこれを見て、「このNY株式の暴落は、日本のバブルの終焉を意味するものだ」と即断した。「思い切りが良い」のはいいこともあるが、この時のように「思い切って間違う」こともあるから、思い切りさえすれば良いというわけではないことが分かる。

 私は、この株価下落を受けて、資産価格が下落した場合の経済への影響を盛んに分析し始めた。前述の株価関数や消費関数の分析は、そうした問題意識によって始まったものである。

 しかし、私の判断の間違いはすぐに明らかになった。結局のところ、米国の株価が大暴落したにもかかわらず、日本の株価は上昇を続け、バブルは終わるどころか、ますます増進していったのである。

 こうして資産価格上昇の途中で、一旦「資産価格下落の懸念」が生じたことは、かえって日本のバブルを大きくしたのかもしれない。一本調子で資産価格が上昇しつづければ誰もが価格上昇を警戒するようになっただろうが、一旦下落局面が入り、「このまま下落したら大変だ」という意識が混入したため、フェイントをかけられたような状態になり、資産価格上昇への警戒感が緩んでしまったのかもしれない。

 私の大局観は決して称賛されるような先見性を持っていたわけではない。私は、多くの人よりもずっと早く資産価格の重要性とその異常性に着目した。それは良い。しかし、87年10月のNY市場の大暴落を見て、バブルは崩壊したと判断し、今度は「資産価格の下落」を懸念し始めた。これは完全な間違いだったが、その後、90年以降、実際に資産価格は下落し始め、その下落が経済に深刻な影響を及ぼすようになる。私の判断は間違っていたのだが、(良く言えば)私は全てにおいて前に行き過ぎていたのだとも言える。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。