日本側にも問題あり― トランプ大統領の貿易政策を考える(3)
2017/03/21
本連載では、トランプ米新大統領の貿易観に異議を唱えてきた。しかし、よく考えてみると、やっかいなことに、トランプ大統領の貿易観は、一般の人々の貿易観とも通じる点が多い。だからこそ新大統領の政策が一定の支持を得ているのだろう。さらにやっかいなことに、米国内だけではなく、日本の人々も同じような認識を持っている場合がある。これも私が80年代以降の日米経済摩擦の過程でいやというほど実感したことである。同じことがこれからも予想されるので、今回は、日本側の議論の問題点を指摘してみよう。
内需拡大は日米不均衡を是正するのか
本年2月に行われた日米首脳会議の結果、日本側は麻生財務大臣、米国側はペンス副大統領をトップとして、日米間で「新経済対話」が始まることになった。2月10日の日米共同声明では、新たな対話を始めるとしか述べられていないので、具体的なアジェンダは不明だが、2月17日の日本経済新聞によると、①財政政策、金融政策などマクロ経済政策の連携、②インフラ、エネルギー、サイバー、宇宙などの協力、③2国間の貿易に関する枠組みを取り上げることで合意したとされている。
80年代以降の日米摩擦の経験を踏まえて考えると、「マクロ経済政策の連携」と「2国間の貿易に関する枠組み」が気になるところだ。まず、マクロ経済政策について考えてみよう。「財政政策、金融政策などマクロ経済政策の連携」とは一体何だろうか。
トランプ大統領の関心からすれば、貿易不均衡との関係でマクロ経済政策が取り上げられようとしていると考えるのが自然だろう。同じことは80年代の日米摩擦でも起きている。この点は、本連載の「貯蓄投資バランスの議論―日米構造協議と経済摩擦(1)」(2014年12月24日)で既に述べたが、簡単におさらいしておこう。
1989年に始まった日米構造協議では「貯蓄投資バランス」が大きなテーマとなった。これはこういうことである。貯蓄・投資バランスという観点から経常収支を見ると、国内投資に比して国内貯蓄が大きいほど経常収支黒字は大きくなる。また、経常収支は国内需要と国内供給との差だから、供給力に対して国内需要が小さいほど経常収支は黒字になる。こうした観点から、米側は、日本の貯蓄率の低下と投資の拡大、国内需要の拡大を求めてきたのである。
この点についての決着は要するに公共投資の増額であった。1990年6月に発表された日米構造協議の最終報告では、貯蓄・投資パターンに関する日本側の措置として、「8分野の社会資本整備長期計画について新計画を策定する」「1991~2000年度の公共投資をおおむね430兆円とする公共投資基本計画を策定し、この最初の5年間の公共投資額は182兆円と試算される」といった決定事項が並んでいる。
貯蓄投資バランス上、投資、内需が不十分だから対外不均衡が大きいという議論になれば、「では国内投資、内需を拡大しよう」ということになり、政府が約束できる内容としては公共投資を増やすことぐらいしか手はないということになる。
もちろん、今回の日米新経済対話で同じような話になるかどうかはまだ分からない。しかし、日本国内で早くもその萌芽が見られる。先日、新聞のコラムを見ていたら、ある執筆者が、米国が求めつつある日米の貿易不均衡について、日本が出来ることとして「内需拡大による黒字削減」を提案していた。この執筆者によれば、内需拡大策を実行すれば、対米黒字を削減して米国再生に協力できるし、日本経済の基盤強化にもなるはずだという。
私は、まさにこういう議論が日本国内から出てくることを非常に心配しているのだ。この議論には、次のような誤りがあるからだ。
第1に、日本が内需を拡大しても対米黒字はほとんど減らないはずだ。これは、論理の問題というより、程度の問題だ。簡単に計算してみよう。財務省の貿易統計によると、2016年時点で日本の米国への輸出は14.1兆円、米国からの輸入は7.3兆円、収支差(貿易黒字)は、6.8兆円である。今、米国からの輸入は日本の経済規模に比例するとしよう。仮に、日本が公共投資を5兆円増やしたとすると、日本の名目GDPはほぼ1%増大する。この時、米国からの輸入も1%(730億円)増える、その分貿易黒字が減るのだが、それは6.8兆円の黒字が6.7兆円になるだけの話である。
日本の内需を増やすことによって対米黒字を減らそうとするのは、全くの机上の空論だということが分かるだろう。
第2に、「内需を増やして対米黒字を減らす」というのは「政策割り当て」の上からおかしな議論である。内需を増やすために経済政策上の措置を講じるかどうかは、あくまでも日本経済の現状に基づいて判断されるべきだ。
「日本経済のためにも内需の拡大が必要だ」というのであれば、対米黒字がどうであるかにかかわらず内需を拡大すべきであるし、「日本経済にとって必要ではないが、対米黒字削減のために内需を拡大する」というのであれば、日本経済自体が望ましい状態から逸脱してしまうことになる。
貿易に関する枠組みはどう変わるのか
もう1つ、2国間の貿易に関する枠組みについては、問題が多すぎてまだ論じられない。ただ、当初のトランプ大統領の問題発言が結構実行に移されつつあると感じる。
その試金石となったのが、3月17~18日に開催されたG20(20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)だ。会議で合意された共同声明は次のようになっている。
「我々は、我々の経済に対する貿易の貢献の強化に取り組んでいる。我々は、経済成長の追求に当たって、過度の世界的な不均衡を縮小し、更なる包摂性及び公正を促進し、格差を削減するために努力する。我々は、経済の強靱性を強化する一連の原則に合意する。」
これを見ただけでは何を言いたいのかよく分からないが、新聞などで報じられているところを総合的に判断すると、この文章から次のようなことが分かる。
第1は、「保護主義に対抗する」という言葉が消えてしまったということだ。確かに、前回までの共同声明には「我々は、あらゆる形態の保護主義に対抗する」という文言が入っていた。これは、米国の反対によって削られたようだ。逆に言えば、トランプ大統領の保護主義は筋金入りだということだ。
第2は、「過度の不均衡の縮小」と「公正の促進」という文言が加わったことだ。G20後の記者会見で、ムニューシン財務長官は、「米国は自由貿易を重視しているし、公正で均衡ある貿易も重視している」と述べているから、不均衡の縮小も公正の促進も、米側の主張で入ったのではないかと考えられる。この点も、トランプ大統領が「日本や中国は不公正な手段で黒字を生み出している」「貿易収支の赤字削減が重要だ」と言っていることがいよいよ現実のものとなってきたという感じを抱かせる。
相手国を不公正だと批判することも、貿易収支の赤字にこだわることも間違いだが、この点については本連載で既に述べたのでここでは繰り返さない。
以下では、やや脱線するが「過度な不均衡の縮小」という表現についての思い出を述べておこう。私は、この表現を見て思わず笑ってしまった。よく考えてみると「過度な不均衡を是正する」というのは変な表現である。「過度」であるということは既に「行き過ぎた望ましくない状態」だと認めたことになる。望ましくない状態を是正するのは当然である。つまり、「過度な不均衡を是正する」というのは「行き過ぎたことは止めましょう」ということを言っているだけである。本当に必要なのは「どんな状態が過度であり、その過度はなぜ過度と言えるのか」ということである。それなしに「過度は是正」といってもほとんど意味がないのである。
この点は私自身が香西泰氏(元日本経済研究センター理事長、会長、現在名誉顧問)に教えられたことである。それは次のようなことであった。
私は、1993、94年の経済白書を課長として執筆したのだが、94年白書が公表されたとき、香西氏(当時は日本経済研究センター理事長)が新聞にコメントを求められた。そのコメントは好意的なものだったのだが、その、香西さんからメモが送られてきた。これは、私が書いた経済白書を読みながらメモしたものであり、そこにはいくつかの厳しい指摘が列挙されていた。つまり、香西さんは、新聞という公の場で私の白書を批判することはせず、気が付いた点を私にだけ知らせてくれたのだ。いかにも香西さんらしい心遣いだ。
その中に、私が何気なく使った「行き過ぎた規制を改め‥」という言葉について、「行き過ぎという言葉に既に価値判断が入っているのだから、トートロジーだ」とコメントしてきたのだった。それ以来私は「行き過ぎた」とか「過度の」という言葉はできるだけ使わないようにしている。その「過度の」という表現が、G20という国際会議の場で飛び出したものだから、思わず苦笑してしまったのである。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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