バブルの時代をいかに伝えるか―バブルを分析する(4)
2017/08/17
私たちが、経済白書でバブルを分析したのは、80年代後半の歴史的なバブルの経験を整理し、後世にその教訓を伝えたいと考えたからだ。この点は私自身も個人的に、大学における日本経済論の講義で1~2コマを費やしてバブルを取り上げ、若い世代に体験を伝えようとしている。
しかしこれがなかなか難しい。まず、バブル後相当時間が経過してしまったので、若い世代にとっては遠い昔の話なのである。したがって、時間的な感覚が相当ずれてしまっている。例えば、私は、ある大学院生がレポートの中で、「日本の高度成長期は、バブルの崩壊とともに終わりをつげた」と書いたのを見てひどく驚いたことがある。最近の若い世代にとっては、高度成長期の日本経済の大躍進と、バブル期における実態から離れた一時的な繁栄の区別がつかなくなってきているようだ。
もう一つ、私の授業では、出席カードに感想や質問を書いて提出してもらうことにしているのだが、バブル期における資産価格の値上がりとそれによる消費の贅沢化、企業の財テクなどを説明すると、その後の感想に「もう一度バブルが来るといいと思います」「バブルというものを私も一度体験してみたいと思います」といった感想が必ず出る。こういう反応を目にすると、「人間は結局、自分が身を持って体験したことしか理解できないのだから、バブルを知らない人にバブルの体験を伝えるのは本質的に無理なのだ」と考えたりする。
資産価格上昇の経済的諸影響
資産価格が上昇した80年代後半の状況を後世に伝えるのが難しいのは、次の二つの側面を同時に伝える必要があるからだ。一つは、バブルという時期にはいかに物事がうまく進んだか、つまり、いかにみんながハッピーだったかを伝えることだ。この点は、最近の若い世代は、基本的には低成長で経済的に多難な時代しか知らないので、繁栄の時代の様子を実感的に受け止めることができないようだ。もう一つは、そのハッピーな状況の中に、将来大きな問題となる芽が隠されていたことだ。これも伝えるのが結構難しい。バブルの最中には分からなかったのだが、バブルがはじけてようやく分かったというものばかりだからである。
私が担当した93、94年経済白書では、前者のハッピーな状況についてはほとんど取り上げていない。経済的影響として取り上げたのは、もっぱら後者の方であった。当時は、既にバブルは崩壊していたので、バブル期の浮かれた状況には苦い思いしかなく、世間の関心はもっぱらバブルの負の影響に向いていたからである。後者について、この時の白書が取り上げた問題としては次のようなものがあった。
第1は、バランスシートに及ぼす影響である。白書は次のように書いている。「資産インフレの進行過程では、資産と負債が両建てで増加した。その後の資産デフレによって資産は瞬時に減少したが、その見合いで積み上がっていた負債はそのまま残ることとなり、これが経済全体のバランスシートを悪化させるという現象が生じたのである。」
つまり、資産価格の上昇によって資産が膨らんだことが、その後のバランスシートの悪化をもたらしたという指摘である。この点については、次回で詳しく述べることにする。
第2は、キャピタル・ゲインの配分が偏っていたことだ。白書はこれを「持てる者はますます持つようになる」と表現している。これは、「高所得者ほど資産の保有ストックが大きい」⇒「その保有資産の価値が資産インフレによって増加した」ことを考えれば、高所得層ほどキャピタル・ゲインを享受する度合いが大きかったことは自明である。
このことは「持たざる者」の不満を高めた。これは結構面白い問題なのだが、今、AとBという二人の人間がいたとする。たまたまAの方は株式を保有していたので、資産価格の上昇で大儲けしたとする。この時Bの満足度はどんな影響を受けるだろうか。表面的に考えれば、Bの状態は何も変わっていないのだから、満足度も不変であるはずだ。ところが、現実にはほぼ間違いなく、Bの満足度は下がるはずだ。それは、自分の状態をAと比較してしまうからだ。
土地の場合は、純粋の金融資産ではなく、実際に住宅を建てたりして使えるのでさらに面倒だ。すなわち、地価が上昇したため、多くの人が「マイホームが手に入らなくなる」という不安を覚えたのである。私自身も当時、「これでは23区内に家を購入するのはとても無理だな」と考えたことを覚えている。
こうして資産インフレは、資産を持たない層を中心に所得分配の不公平感を高めさせることとなった。やがて、この時の資産価格の上昇がバブルだということが認識されるようになった時、この不公平感は、強い「バブルつぶし」を求める声となっていく。それは、結果的に行き過ぎたバブルつぶしをもたらすことになり、バブル後の経済の停滞をさらに深刻化させることへとつながっていくのである。
第3は、企業が財テク、不動産投資に走ったことだ。株価が上昇していたため、企業は増資、転換社債などのエクイティ・ファイナンスで低コストの資金を調達することができた。さらに当時の企業経営者たちは、エクイティ・ファイナンスを金利負担のないコストゼロの資金調達だと考えていた節がある。当たり前だが、株式を通じた資金調達には、資金を有効に使って配当するというコストがかかるのだが、当時は「資本コスト」という概念自体がほとんど知られていなかったように思われる。
こうして、資産運用に頼ったり、不慣れな不動産投資に踏み込んで行ったことは、肝心の本業をおろそかにすることにつながった。私は、バブル崩壊後、それまで支配的地位を保っていた日本の製造業が低迷して行ったのは、バブル期に本業以外の分野への投資を行い、その投資が失敗したことが、その後の本業の投資をも制約したからではないかと考えている。
自信過剰から自信喪失へ
もう一つの側面であるハッピーなバブル時代のことを後世に伝えるにはどうしたらいいのか。高級車が飛ぶように売れた、ハワイを全部買収しそうな勢いで海外への不動産投資が増えた、ジュリアナ東京で踊りまくったといったエピソードを並べていくのが一つの方法だが、これは経済分析ではないので、私はそうした手法は取れない。そこで、私が大学の講義で採用した方法を紹介しよう。
私がバブルの時代を振り返った時、強く感じるのは、日本全体が強い自信に満ち満ちていたことだ。日本的な企業経営は、従業員を大切にし、長期的視野から経営を行う。日本的雇用慣行の下で、労働者はチームワークを大切にし、個人プレーに走らない。日本の金融機関は豊富な資金力を背景に、国際的な金融市場でのメイン・プレーヤーになりつつある。だから日本経済はうまく行っているのだと多くの人は考えた。バブルによって現われた実力以上の経済力を、そのまま日本経済の本当の力だと受け取ったのである。
この時、海外の人も同じように考えていた節がある。この点を視覚的に示すため、私は当時のニューズウィークに掲載された風刺漫画をスライドにして授業で映写することにしている。ある漫画では、ブッシュ大統領(父)が「上手な物乞いの仕方」という本を読みながら日本に向かう飛行機に乗っている。当時、アメリカ政府はしきりに日本に対してもっとあれも買え、これも買えと要求を繰り返していた。アメリカから見ても、こうした態度は苦々しく受け止められていたのだろう。
別の漫画では、日本人(正確にはアジア人)とアメリカ人の子どもの頭の中のレントゲンが描かれている。日本の子どもの頭の中には、物理、化学、微積分などが詰まっているのだが、アメリカの子どもの頭には、フライドポテト、プロレス、ニンジャタートルズといったことしか入っていない。「はいはい分かりましたよ。日本人は頭がいいから成功したんでしょ。どうせ私たちは馬鹿ですよ」という自嘲の声が聞こえてきそうな漫画だ。
私は当時(90年代初頭)、こうした漫画を見て、「これを保存しておけば、将来『日本にもこんな時代があったんだよ』ということを後世の人に伝えるちょうどいい材料になるのではないか」と考え、コピーを保存しておいたのだ。私の予想は当たり、その後20年以上たってから、これが大学の講義で学生にバブルの時代の雰囲気を伝える絶好の資料となったのである。
こうして、日本も、日本を取り巻く国々も、バブルによる経済的繁栄を日本の実力だと見ていた。日本は過剰な自信をもち、バブルが崩壊するとそれが今度は自信喪失へとつながって行った。自信が過剰だっただけに、その自信が打ち砕かれた時のショックもまた大きかったのである。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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