バランスシート調整―バブルを分析する(5)
2017/09/19
バブルは、それが生み出されている時のハッピーな状態と、それが崩壊した後の悲惨な状態がきわめて対照的に現われる。私が経済白書を担当した93、94年の頃は多くの人々の関心はもっぱら後者のバブル崩壊後の経済に集中していた。当時は既にバブルが崩壊したことが明白なものとなっており、それがどんな影響をもたらすのかがまさに進行中の問題だったからだ。
バランスシート調整という考え方を知った日
バブルが崩壊した後、日本経済を襲ったのは「バランスシート調整」であった。私が、このバランスシート調整という重要な枠組みを知ったのは、内国調査課長になる直前、内閣の外政審議室に出向していた時であった。
外政審議室では、毎年1回、好きなところに海外出張してよいという慣行があった。私は、1年目は同僚と二人で東アジアを訪問したが、2年目は一人で米国に行くことにした。ニューヨークとワシントンD.C.を訊ね、現地のエコノミストや政府関係者にインタビューして回った。このとき、ニューヨークでバンカーズ・トラストのチーフエコノミストであるステファン・ローチ氏に会った。
このローチ氏と私とは、だいぶ前からの知り合いだった。彼は日本に来るたびに私のアポイントを取って、日本経済についての情報収集をしていたのだ。
そう言えば、私が日経センターの主任研究員だった時にも、当時茅場町にあったセンターの私の部屋を訊ねてきたことがある(以下、しばらくは全くの余談)。
日経センターの私の部屋にやってきたローチ氏に、私は次のように切り出した(もちろん英語)。
「ようこそいらっしゃいました。ところで、この組織の英語名は、これまではJapan Economic Research Center、J-E-R-Cだったのですが、このほど、Japan Center for Economic Research、J-C-E-Rに変更しました。」
ローチ氏は、ふむふむとうなずいている。で、私は続けて、
「Because we don’t like to be called “jerk”.」
「なぜなら、我々は馬鹿(jerkには間抜けという意味がある)と呼ばれたくないからです。」
このジョークはびっくりするほど受けた。ローチ氏は、ワッハッハ、ワッハッハと部屋中に響き渡るような大声で、しばし笑い続けた。英語のジョークでこれほど人を笑わせたのは初めてだったので、いまだに良く覚えている。
なお、こういう理由で日経センターが英語名を変更したのはジョークではなく本当のことである(以上、余談終わり)。
こんなこともあって、ローチ氏は私のことを良く覚えており、私がニューヨークに行ったときも、快く迎えてくれたばかりか、ウォール・ストリートのビルの上層部に位置する幹部用食堂でお昼をご馳走してくれた。この時、ローチ氏が準備してくれた図表の中に、印象的なものがあった。米国の資産と負債のバランスを示したもので、ここ数年で負債が資産に比べて急増しているという図であった。ローチ氏は、この図を示しながら、「米国経済が陥っている困難は、通常の困難ではない。それはバランスシート・リセッションというべき状態だ」と説明した。
この考え方は、私にとって大きなブレーク・スルーであった。なぜそうだったのかは後述する。
私は、米国から外務省を通じて公電を打ち、このインタビューの模様を日本に速報した。この公電は、外務省だけでなく関係各省にも回覧された。
さてここで意外なことが起きた。経済企画庁から私に要請があり、今回の米国訪問によって得た情報を大臣にレクチャーしてくれというのである。公電を見た誰かが、「これは重要な情報だから大臣にも上げよう」と思ったのである。というと聞こえはいいが、後で内々聞いてみたところによると、当時、国会が空転していたため、大臣が暇だったのだそうだ。そこで、何か大臣説明の材料はないかと探していたら、私の公電が目に付いた。「ちょうどいい、小峰さんに来てもらって説明してもらおう」ということになったらしい。
そこで私は、詳しい資料を準備して大臣室に向かった。当時の大臣は、現在も税制を中心に活躍中の野田毅氏であった。野田大臣は「なるほど」と言いながら聞いていただけだったが、一緒に立ち会っていた新保さん(当時調整課長)が私の説明に激しく反応した。大臣説明が終わった後、新保さんは私を呼び止め、「今日の話は実に良い話で、とても勉強になった。日本の今の不況も、ただの不況ではなく、バランスシート調整によるバランスシート・リセッションなんだ。」とやや興奮気味であった。バランスシート調整という考え方は、私だけでなく、新保さんにとってもブレーク・スルーだったようだ。私は、尊敬する新保さんが自分と全く同じ反応を示してくれたのでとても嬉しかった。
経済白書で活躍したバランスシート調整概念
この「バランスシート調整」という考え方は、私が担当した93、94年白書で大活躍した。93年白書では「資産デフレの諸影響」というチャプターで、「企業のバランスシート悪化」「家計のバランスシート悪化」「金融機関の経営状況と金融システム」「米国におけるバランスシートの悪化と最近の改善状況」といったことを分析している。
94年白書ではさらに活躍の度合いは強まった。現実に、不良債権問題などが明らかになるにつれてバブル崩壊の経済的悪影響が更に進んで行ったからである。この白書でも「バランスシート調整」というチャプターを設け、「企業のバランスシート調整」「家計のバランスシート調整」「金融機関のバランスシート調整」「今後のバランスシート調整の動向」などを分析している。
ではなぜこの「バランスシート調整」が私にとってブレーク・スルーだったのか。それは次のような点で私にとって画期的だったからだ。
第1は、この概念によって、バブル生成時のプラスの影響と崩壊後のマイナスの影響は非対称だということが明らかになったことだ。
それまで私は、バブル崩壊後には、バブル期の正反対のことが起きると考えていた。例えば、バブル期には資産効果で消費が増えた。すると、バブル崩壊後には逆資産効果によって消費が落ち込む、といった具合である。ところが、バランスシート問題を考慮すると、これが正反対ではなくなる。つまり、バブル期には、資産と負債が共に増える(土地を担保に借金をする)。しかし、バブルが崩壊すると、資産は減るが負債は減らず(担保価値が下がったから借金を減らしてはくれない)、バランスシートが傷むのである。
第2は、この概念によって、バブル崩壊の負の影響は、バブルそのものが消えた後にも残り続けるということが明らかになった。
94年白書では、これを「後遺症的影響」と呼び、その重要性を訴えている。引用するとこうなっている。「バブル崩壊の影響は、資産価格が下落しているときに、ほぼ同時に生ずる『同時的影響』と、資産価格の下落が終わった後も経済に影響を与え続ける『後遺症的影響』とに分けることができる。例えば、資産価格の変動による資産の増減が、消費・投資行動に影響する『資産効果』は、『同時的影響』の典型である。」
そして「後遺症的影響」の典型としてバランスシート調整問題を指摘する。引用してみよう。「バブル生成の過程で、リスク許容力の高まった企業は、資産・負債を両建てで増加させた。その後,バブルが崩壊して資産価格が低下すると、資産は瞬時に減少するが、負債はそのまま残ることとなり、必然的に企業のバランスシートは悪化し、金融機関にとっての不良債権が増加することになる。こうして悪化したバランスシートを調整する過程では、経済全体のリスク許容力が低下し、バブル期とは逆に、投資が抑制される可能性がある。」つまり、バブル崩壊の影響が資産効果のように「同時的影響」だけであれば、資産価格の下落が止まりさえすれば、バブル崩壊の負の影響も消えることになる。ところが、後遺症としての傷んだバランスシートは、バブルの崩壊が終わっても(資産価格の下落が止まっても)残り続け、経済全体の重荷となり続けるのである。
これはまさにその後の日本経済が歩んだ道であった。日本経済は「失われた10年(または20年)」とも呼ばれる長期低迷期に入っていくのだが、その一つの主因はバランスシート調整によって発生した金融機関の不良債権がいつまでも残り続けたことにあった。白書は、バランスシート調整という概念を活用して、かなり早い段階でそのメカニズムを明らかにしている。しかし、その程度については、当時はその負の影響がそこまで大きいとは全く予想していなかった。白書ではかなりの力を入れて警鐘を鳴らしたつもりだったのだが、今にして思えば全く警鐘になっていなかったようだ。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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