最初の一文-経済白書ができるまで(3)
2017/12/15
内国調査課の分析作業は進み。間もなく4人の分担執筆者からの原稿が課長(私)の手元に届くような時期になってきた。いよいよ白書を書き始めるのだ。
ロジスティックスの準備
白書を書こうとする以上、白書の内容(サブスタンス)を入念に準備する必要があることは当然だ。これに加えて、私は、白書を執筆するためのロジスティックス(生産過程が効率的に流れるようにする作業)についても万全の体制を整えた。
第1は、執筆時間の確保だ。私は、当初からスタッフに、「課長の執筆期間として2週間を確保すること」を文書で厳命していた。この指示を守るべく、4人の執筆者は5月の連休明けには、原稿を私に提出すべく執筆作業を続けていた。
第2に、5月の第2~3週については、白書の執筆に専念できるようにした。私は外部の原稿や講演を頼まれることが多かったが、この期間は外出の予定を入れず、全ての原稿仕事は連休中に済ませた。
外部の予定だけでなく、役所の仕事も極力減らそうとした。私は官房の企画課長(普通の省庁では総務課長に相当)のところに出向いていって、この2週間は、私に諸案件(例えば、大臣からの宿題や国会の先生への説明など)が回ってこないようにしてくれと頼んだ。これが相当に図々しい要求だということは私も十分わかっていたのだが、「この際多少無理筋でも構うものか」と思ったのである。企画課長は、苦笑しながら「私も小峰さんの白書には期待していますので、できるだけ協力します」と言ってくれた。
第3に、執筆場所を確保した。課長席にいると、電話がかかってきたり、来客が来たりするから集中できない。そこで、調査局の会議室を2週間借り切ることにした。これも、この間他の人は会議室を使えなくなるのだから、結構無理筋の要求ではあるが、強引に実現した。
第4に、ワープロについても準備を整えた。それまで、私は東芝のルポを使っていたのだが、役所のスタンダードは富士通のオアシスであった。執筆者はオアシス様式で原稿を出してくるので、私もオアシスを使う必要がある。そこで、まず個人用にオアシスのポータブルワープロを購入し、なるべく原稿もそれを使って書くようにした。本番前の練習を兼ねてのことである。
第5に、通勤には車を使うことにした。執筆は深夜に及ぶし、土日をはさんでオアシスのワープロを持ち運びしなければならない。私は当時、麻布の公務員宿舎に住んでいたので、役所までは車であれば20分程度で行くことができたから、時間の節約にもなる。経済企画庁では通常、車での出勤は認められていないのだが、会計課長と交渉して、この2週間だけは車通勤を認めてもらい、地下に駐車スペースを確保してもらった。
こうしてついに執筆作業が始まった。
最初の一文
私は文章を書く時に、自然と「型」または「理想形」のようなものを意識している。その「型」からすると、「はじめ」と「終わり」が「決まっている」のが理想的である。
はじめ部分では、全体の問題意識を簡潔に示し、これから読もうとする人に「これは面白そうだ」または「これを書いた人は、なかなか出来る人だ」と思わせるようなものが望ましい。そうなれば少しは身を入れて読んでくれるだろう。そして、最後の部分は、文章全体の結論を気の利いた言い回しで述べ、それまで読んできた人に「そうそう、そういうことが言いたかったんだろうね」または「なかなかうまいことを言うな」と思わせるようなものが望ましい。そうなれば少しは読んだ人の印象に残るだろう。
経済白書を書いている時も、「はじめ」と「終わり」に気を使ったことは言うまでもない。この点は、原案の執筆者であった補佐時代も同じである。例えば、補佐となってから最初の78年白書の時は、第1章を私が担当したのだが、この時の第1文は、「77年初からの1年余の経済の動きは、奇妙に76年に似たものになった」というものである。これは、76年も翌77年も、年の前半成長率が高く、後半低いという姿が繰り返されたことを指している。この第1文から出発して、分析が進み、輸出や公共投資という「外生的」な需要に依存していたから(内生的な需要が自律的に出てこない状態が続いていたから)こういう後半減速型の成長パターンが繰り返されたのだ、というストーリーになっていく。当時の横溝課長もこの出だしは気に入ってくれたようで、私の文章を無修正でそのまま使ってくれたし、「今年の白書の出だしはちょっと変わっていて、なかなかいいね」とほめてくれたものだ。
さて、肝心の自分自身の白書ではどうだったか。93年白書の第1文は、次のようなものである。「長引く景気の低迷、浸透するバブルの崩壊の影響、経常収支黒字の急増など、この報告が対象としている1992年から93年前半にかけての日本経済は、多くの課題に直面することとなった。まさに日本経済にとって大きな試練の時期だったと言えよう。」
この文章を見て、感じない人は何も感じないだろうが、感じやすい人は、ちょっと普通の文章と違うという感じを持つだろう。普通であれば「この報告が対象とする92から93年前半にかけて日本経済は、……など多くの課題に直面した。」とするところだからだ。
実は私はかねてから「名詞で始まる文章」を使ってみたかったのである。そう思ったのは、実に20年も前にさかのぼる。
太田義武さんのこと
経済白書を書くことになる20年前、私は発足間もない環境庁に出向しており、最初の「環境白書」を作る仕事をした。この時、同じ課に太田義武さん(厚生省から出向、私より3年先輩)がいた。太田さんは、私の長い役人生活の中で、最も尊敬する先輩の一人であった。いつもニコニコして人柄が良く、仕事は抜群にシャープに処理していた。私は「世の中には、こんなに人柄が良くて、しかも頭のいい人がいるのだなあ」とすっかり感心してしまった。当時太田さんは、私が所属していたグループとは全く異なる仕事をしていたのだが、最初の環境白書の作成という仕事に自分も是非参加させて欲しいと志願し、「自然環境の保全」の章を担当した。この時太田さんが書いた章の第1文が、「足の曲がった蛙、ヒレのゆがんだフナ、こうした生物が身の回りに多く見られるようになったことは、我々の身の周りの自然環境の破壊が、いかに深刻なレベルになっているかを物語っている」というものだった。私には、この名詞で始まる文章のリズムが印象的で、「自分が経済白書を書く時が来たら、これを使ってやろう」と密かに考えていたのである。
太田さんは、その後数々の要職を経て、最後は環境省の初代次官となった。私は、その経歴と人柄からして、いずれは官房副長官(役人の最高ポスト)にまで昇るのではないかと思っていた。ところが、残念なことに、太田さんは、健康を害され、ちょうど1年で次官を退くことになってしまった。
次官を退いた人は、後任の次官と共に最後の次官会議に出席して、一言挨拶を述べ、次官会議メンバーの拍手を浴びながら部屋を退出するということが慣例となっている。太田さんが官邸でその最後の次官会議に出席した日、私はたまたま、次官会議の後に引き続き開かれる会合に出席するため、官邸の廊下で待機していた。拍手に送られて部屋から出てきた太田さんは私に気付き、「ああ、小峰さん。今日で役人を辞めることになったんですよ」と笑った。私は、志半ばで職を辞すことになった太田さんの心中を思い、何と言えば良いのか分からなかった。
そして、これが太田さんと会う最後となった。太田さんは、病から回復できず、その2年後に亡くなってしまった。
なお、こうして本稿を書いている時、経済企画庁の先輩の塩谷隆英氏が新たに書いた「蘇れ!経済再生の最強戦略本部」(かもがわ出版、2017年12月)という本が出た。これを読んでいたら、太田さんが登場したので、その偶然に驚いた。この本の中で太田さんが登場するのは、次のような場面である。
1997年の12月、当時企画庁の調整局長であった塩谷氏は98年度の経済見通しをめぐる調整に苦労していた。各省との調整に手間取ったため、当初予定されていた閣僚会議が、翌日の未明にずれ込んだ。塩谷氏は、この遅れに遅れた閣僚会議に、見通しの説明をするために出向いていった。すると、当時首席内閣参事官だった太田さんがやってきて「会議の開始時間が大幅に遅れて閣僚の皆さんがいらいらしているが、心配せずに十分時間を取って説明してください」と言ったのだそうだ(同書357ページ)。
いかにも太田さんらしい心配りだ。「こんなに待たされてけしからん」と怒っている閣僚を前に「さあ説明せよ」と言われれば、誰でも焦って、少しでも早く終わらせようと、早口になってしまったりするものだ。だからこそ太田さんは「気にしないでゆっくりやってください」とわざわざ言ったのである。塩谷氏もこうして著書の中でわざわざ紹介しているくらいだから、よほどこのアドバイスに感謝したのだと思う。
93年白書の最初の一文はこうして書かれた。残念ながら、その経緯を太田さんに直接伝える機会はめぐってこなかった。白書を読んだ人は何気なく読み飛ばすだろうが、それでもいい。私はこうして太田さんへの尊敬の念をささやかな一文に残せて本当に良かったと思っているのだ。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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