最大効用生む「どこでも書き」-さみだれ式提出も受け止める ――経済白書ができるまで(4)
2018/01/22
前回は、93年白書の「最初の一文」についての思い出を書いた。これを受けて今回は、中身の執筆状況について書いてみよう。
順調に進んだ白書の執筆作業
93年白書の執筆者は4人であった。これら執筆者は、5月の連休明けから、私に草稿を提出し始めることになっていた。この年(93年)は、連休の終わりである5月5日は水曜日、私のところに原稿が集まり始めたのは、7日(金曜日)の夜であった。この時、各執筆者は、第1弾として、約3分の1程度を私に提出した。
私が、実際に執筆にとりかかったのは、5月8日(土曜日)からだった。私は今でも、この日の朝のことを鮮明に覚えている。朝早く起き出して来た私は、前夜持ち帰った分厚い草稿を前に、「よし書くぞ」と気持ちを奮い立たせた。(まずはざっと読んでみよう)と思い、午前中は打ち出された草稿を、メモを取りながら読んでみた。そしておもむろに書き始めたのだった。
それからちょうど2週間は、執筆の日々が続いた。9時半から夜中の11時頃まで会議室に籠もってひたすら書き続ける。昼食・夕食前と午後3時頃、席に戻って雑件を片づけ、再び会議室に引き返す。土日はワープロを持ち帰って、自宅で同じ様に書き続ける、という日々だった。
この執筆作業は思いのほか順調に進み、私はちょうど2週間後に第一稿を完成させることになるのだが、やってみると、それまでの私の経験のうち、二つが大いに役に立った。
ワープロ党員のメリット
一つはワープロである。今では、「ワープロ」という言葉そのものが古くさい印象を受けるだろうし、ワープロでの文章作成は常識化しているが、かつてはそうでもなかった。
役所にワープロ機が導入されたのは、83年頃である。当時は現在のデスクトップパソコンのように巨大な機械であった。私は、当初から多大な関心を持ってこのワープロの登場を見守っていた。外国の映画を見ると、作家や新聞記者が、タイプライターで文章をすいすい書いている。私には、これが実にうらやましかった。「漢字を使っている限り、永遠にああいう風に書くことは出来ないのだ。いっそ、英語を公用語にしてしまったらいいのに」と考るほど、タイプライターへのあこがれは強かった。
今にして思うと、私は自分が考えたことを文章にするのが好きだったから、「書くことそのものに時間を取られる」ということがたまらなくいやだったようで、その分「考えたことを即、活字に出来る」というタイプライターに強いあこがれを抱いたのではないかと思われる。日本語でもタイプライターのように文章が書けるというのだから、私がワープロに強い関心を持たないわけがない。
そのうち、嬉しいことに、ポータブルのワープロが登場し、個人でもワープロ機を所有する人がぽちぽち現れ始めた。私は山のようにカタログを取り寄せ、いろいろ比較検討した末、85年に東芝のルポを購入した。これは(今から思うと笑ってしまうのだが)、40×4行しか表示できないものだったが、当時としてはそれが最新鋭機だったのだ。
これを使い始めて数日。私はたちまちワープロなしでは暮らせないようになった。当初は、家と役所の間をワープロを抱えて往復していたのだが、2週間後にはたちまち同じ機械をもう一台購入した。かくして、家とオフィスにワープロがあり、フロッピー(当時の記録媒体はフロッピーディスクだった)だけ持ち運べばよいという理想のシステムが完成した。
もちろんこれにはコストがかかる。当時のワープロは、15万円程度したから、このシステムのために30万円近くを投資したことになる。家人は「自分には理解できないが、この人ならやりかねない」という感じで、黙って眺めているばかりであった。
当時、私がESPに書いたエッセイに「ワープロ党宣言」というのがあった。ESPというのは、今ではESPフォーキャスト調査にその名を残すのみとなった経済企画庁の広報誌である。このエッセイは、私がこれまでに書いた文章の中で、最も評価が高く、反響が大きかったものである。私自身も大好きな文章なので、今でもほとんど全文を思い出せるほどだ。
このエッセイは、タイトルからも分かるように、エンゲルスの「共産党宣言」になぞらえて、自らを「ワープロ党員」と位置付けた上で、ワープロの効用を説き、ワープロに批判的な見方に反論を加えたものである。そして、最後には「ワープロの登場は筆から鉛筆への変化にも匹敵するものだ。やがてワープロを使えない人は、まともに仕事が出来なくなるだろう。」と極めて適切な未来予測を展開している。
このエッセイを読んで、現実にワープロを使い始めた人もいる。私は、87年に日経センターに出向した時に、挨拶代わりに、主だった人にこのエッセイのコピーを配ったのだが、当時会長だった金森久雄氏は、これを読んで、ワープロを使い始めた。ワープロ党に転じた金森氏は、「60年以上の人生を過ごしてきたが、自分にこんな隠れた才能があったとは知らなかった」と述懐するほど、ワープロを愛用するようになった。
ワープロ党の効用
私の白書の執筆は、このワープロ機能を最大限に活用したものであった。
まず、各執筆者は、ワープロで原稿を書いて、フロッピーを私に提出する。私は、そのフロッピーを直接修正していく。コメントもフロッピーに書き込んでしまう。例えば、第1次稿を見て、説明が不十分な部分があったりすると「この部分わかりにくいので、もう少し丁寧に説明を加えること」と書き込んでおく。私の手が入ったフロッピーは再び担当者に戻され、担当者が修正して、再び私に提出される。私はそれをもう一度直す。するとそれがそのまま最終稿になっている。後はそれを印刷するだけでよい。清書とか校正といった作業は必要ない。実に効率的だ。
94年白書の時、総括補佐を勤めた西崎氏(現内閣府経済社会総合研究所長)は、94年経済白書特集号のESPに「経済白書のできるまで」というエッセイを書いて、この間の作業を、次のように描写している。
「課長補佐の書いた文章は、フロッピーごと課長に取り上げられて修正を受ける。普通の人は、まだまだ紙の上に自分の書いたものを打ち出してみないと落ち着かないが、自他共に認める一党独裁のワープロ党員である小峰課長はワープロの画面上で修正作業を終えてしまう。課長の作業期間は1~2週間であるが、課長補佐の書いた雑文が見事に分かりやすい白書に編集されていくのには脱帽せざるをえない。」
どこでも書きの効用
白書の執筆作業の中で、大いに役立った二つのもののうちのもう一つは、本を何冊も書いてきたという経験である。
私はこの時までに、7冊ほど本を出してきた。最初の本を出したのが1980年だから、きっちり2年に1冊のペースであった。本になったのは、書いた原稿の内の一部に過ぎないから、書いた原稿の総量は膨大なものになる。こうした豊富な経験を通じて、白書執筆時点での私は変幻自在の執筆能力を身につけていた。
その第1は、「どこでも書き」つまり、どの部分から書いていっても大丈夫という能力である。最初から順番ではなく、順不同に書き進むことが出来るのである。その応用として、いくつかの原稿を併行して書き進めることも平気である。
第2は、「いつでも書き」、つまり、いつでも執筆に取りかかれるという能力である。例えば、私は自宅で原稿を書くことが多いが、見たいテレビが始まるとテレビを見るし、「ゴミを出してきてくれ」と頼まれるとホイホイとゴミを出しに行く。しかし、テレビを見終わったりゴミを出し終わると、あっという間にまた原稿を書き始める。切り替えが早いのである。
第3は、「どんな風にでも書き」、つまり、一気呵成に集中して書くことも、コツコツと積み上げ型で書くことも出来るという能力である。私は、特に締め切り間際で急ぐ必要があるときなどは、集中してグワッと原稿を書き上げることも出来るし、毎日少しづつ材料を集め、1年経ってみたら本が出来ていたという書き方も出来る。しかも、どちらも好きである。二重人格的なところがあるのかもしれない。
こうしたもろもろの能力の中でもっともプラスに作用したのは、「どこでも書き」である。
白書の原案執筆者に対しても、私は、「全部をまとめて提出する必要はない。出来たところから、さみだれ式に提出するのでよい」という指示を出していた。私は、何度も執筆者の役割を務めたことがあるからよく分かる。書いていると、必ずデータを確かめたくなったり、分析をやり直したりしたくなる場所が出る。この時、全部耳をそろえて原稿を課長に提出しようとすると、要するに、一番時間が掛かる一部分が完成するのを、それ以外の大部分が待っているという状態になる。それは時間の無駄である。それに、受け取る方(課長)から言っても、処理能力の関係もあるから、いきなり全部渡されても困るのである。ただし、こうして順不同に出てくる原稿に対応できたのは、「どこでも書き」の能力が備わっていたからである。
かつて、私自身が一緒に仕事をした経験からすると、多くの課長は「最初から順番に書き出す」のが普通である。せいぜい頑張っても、「章の順番はこだわらない」という程度である。つまり、第3章を最初から書いていき、それが終わると、第2章という具合に進めるのである。
しかし、私の場合は、章の順番も章の中の順番もばらばらで大丈夫なのである。つまり、第1章の雇用を書いていたかと思うと、第3章の円高の分析に取り掛かり、その途中で第2章のバブルの分析の一部を書き始めるといった具合である。
課長が白書をまとめるやり方は様々である。内野課長は1年目は執筆者の原稿に軽く手を入れる「植木の手入れ型」であったが、2年目は自ら力をこめて最初から書き下ろすという「純正書き下ろし型」となった。植木の手入れ型は、時間はかからないが、文章に課長の個性を反映させることは難しい。書き下ろし型であれば課長の思い通りの白書を作れるが、時間がかかってしまう。
私の場合は、執筆者のフロッピー原稿を下敷きにしたという点では、植木の手入れ型に近いが、結果的に全て自分の文章に変換しているという点では「書き下ろし型」に近い。短期間で書き下ろし型に近い白書をまとめることが出来たのは、昔からの純粋ワープロ党員であった上に、「どこでも書きができる」という特技があったからである。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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