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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

巨人のコメント-経済白書ができるまで(10)

 

2018/09/19

 経済企画庁は数々の官庁エコノミストを輩出しているのだが、中でも私の見るところ突出した二人の巨人がいる。香西泰さんと吉冨勝さんである。香西さんについては本連載で何度も取り上げているので、今回は、私が携わった経済白書と関係する範囲で吉冨さんについて書いてみたい。

経済白書の説明講演会

 経済白書が発表されると、執筆責任者である内国調査課長はPRに忙殺される。白書の説明講演をして回るのである。「今年も経済白書が発表されたようなので、何を書いてあるのか知りたいものだ。しかし読むのは面倒だ」という人は多いので、「白書の要旨を1時間半程度で説明して欲しい」というリクエストはかなり多かった。白書が公表された後の約1カ月は、ほとんど毎日のように講演会の日程が入る。地方に出かけることも多い。役所(経済企画庁)の方も、「白書を宣伝して回ることは企画庁のプレゼンスを高めることになる」と考えているので、課長が外を飛び回って役所を留守にしていても大目に見てくれたのである。

 こうした依頼の中に、長銀総研からのものがあった。このシンクタンクには役所を退官して間もない吉冨さんが副所長を務めていた。吉冨さんは役人時代からちょっと日本人離れしたところがあって、経済の議論になると、相手が間違っていると思えば、本人の目の前でも、多くの他人が出席している会議の場でも、遠慮なくそれを指摘した。こうした議論のやり方は、欧米のエコノミストにとっては何でもないことであるばかりか、ごく自然なことである。事実、私自身、アメリカのエコノミストに「日本のエコノミストで、我々と同じような議論をするのは、吉冨さんだけだ。吉冨さんとは議論しやすい」と言われたことがある。

 しかし、多くの日本人にとっては、吉冨さんの議論は違和感に満ち満ちたものだった。違和感だけですめば良いのだが、吉冨さんに論破された多くの人は、もやもやとした恨みを抱く場合があったようだ。幸いにして私自身は、吉冨さんに面と向かって批判された経験はない。理由は簡単である。最初から論争をしなかったからである。将棋の内藤國雄九段(2015年に現役引退)は「勝負に負けない秘訣は何ですか」と問われて「自分より強い人と試合をしないことです」と答えた。その通りだ。私の実力では、吉冨さんの言っていることに異を唱えて、論争に勝てるはずがないのだから、最初から勝負しなかったのである。

 私が担当した93年と94年の経済白書が発表されると、吉冨さんを通じて「長銀総研のメンバーを対象に経済白書の内容を講演して欲しい。講演後には夕食をご一緒したい」という申し入れがあった。企画庁の先輩から白書の講演をという依頼を受けることはあったが、「夕食付き」というのは吉冨さんだけだった。私は当然お引き受けしたのだが、困ったことがあった。吉冨さんのことだから、講演会でも夕食の時でも、難しい質問を繰り出してくるに違いない。これに適当に答えていると論破されそうだし、「いやー、よく分かりません」を繰り返すのもみっともない。

 そこで私が長考一番ひねり出した手は、課長補佐の鶴光太郎氏を同行させるというものだった。鶴氏は現在慶応大学にあって、働き盛りのエコノミストとして大活躍中だが、当時から理論に強く、吉冨さんに難しい質問をされても、難しい答えで切り返すに違いないと考えたからだ。この作戦は大成功であった。まず私が白書の概要を説明する。当然研究所メンバーからも吉冨さんからも質問が次々に飛んでくるのだが、難しいことを聞かれると、隣の鶴氏に「どうですか?」と聞く。すると鶴氏が私に代わってすらすらと答えてくれる。93年にうまく行ったので、94年にも全く同じことが繰り返されたのだった。

反省しているだけでは意味がない

 さて吉冨さんは、93年の白書が発表された後、経済白書についての論評を書いている(週刊東洋経済93年9月18日号)。その内容は非常にユニークだ。タイトルは「経済白書批評の非論理性を突く」となっている。つまり、白書を批判するのではなく、「白書の批評を批判する」という形式をとっているのである。このように書くと「白書の批判を批判しているのだから、白書を擁護しているのだろう」と受け止められるかもしれないがそうではない。「その批判は間違っている、本当に批判すべき点は次のような点だ」として、間接的に白書の分析を批判しているのである。

 吉冨さんが取り上げた論点は二つある。一つは、バブルの発生メカニズムに関係するものであり、もう一つは日本の対外黒字に関係するものである。今回は前者についての議論を紹介しよう(対外黒字に関しては次回改めて議論する)。

 まず吉冨さんは、新聞や有識者が、過去の政策的失敗を反省したという点を好意的に捕えていることに疑問を提示する。やや長くなるが引用してみよう。

 「『バブルを全面的に反省』。これが今年度の経済白書に対する多くの新聞の見出しだった。‥(中略)しかし、白書批評を見て大変不思議に感じるのは、こうした白書の『バブル懺悔』に好感をよせる論評は多いものの、バブルについての真実に迫った分析が本当に行われているのかどうか、という肝心の点についての論評はほとんど見られないことだった。懺悔という白書の態度(よく日本人は内容より態度を重んじる)に気を良くするだけで、バブルの分析内容にメスを入れないと、目の前の応用問題も解けなくなる。」

 私はこれを読んで、この吉冨氏の指摘はその通りだと思った。本連載でも詳しく述べたように、私はさんざん苦労してバブルを生んだ背景として経済政策に反省すべき点があったことを白書に書いた。これは多分に「反省すれば白書は高評価を得られるに違いない」という計算があってのことだった。その苦労は十二分に報いられ、各新聞を始めとして多くの批評者はこの点を高く評価したのであった。93年経済白書の評価が高かった第1の理由が、この反省部分にあったことは間違いない。

 しかしこの高評価を見て、私は「日本の経済論議は何と情緒的なことか」と思ったものだ。日本では間違ったことをした時に「謝るか、謝らないか」がポイントとなり、頭を下げて謝るとそれで相当程度批判が収まるということが多い。しかし同じ誤りを繰り返さないために本当に必要なことは、謝るかどうかではなく、間違いの原因を分析・究明し、その因果関係に即して再発防止策を講じることである。謝ったことに満足していては、本当に必要な「誤りの分析」が不十分になってしまうのだ。吉冨さんが言いたかったこともそこにあったのだと思う。

不十分だったバブルの分析

 バブルの分析については、吉冨さんの具体的な指摘は次のようなものだった。まず、多くの批評者は、80年代の財政・金融政策の在り方が基本的な原因だったと、それがあたかも自明であるかのように論じているが、これは自明でも何でもないとしている。吉冨さんはバブルについての分析上の課題を次々に挙げていく。株価、地価についての計量的な分析によると、当時の財政・金融政策だけでは当時の資産価格の上昇を説明できないのだが、これをどう悦明するのか。今日(93年時点)の公定歩合が2.5%でもバブルは起きていないが、87年には同じ2.5%でなぜバブルが起きたのかをどう説明するのか。80年代を通じて、全国銀行の総貸出残高の伸びは極めて安定していたのに、不動産向け融資のみが突出して高い伸びとなったことをどう説明するのか、などである。

 これは明らかに、「批評の批判」という形を取って、経済白書の分析を批判しているのである。すなわち、当時の財政・金融政策がバブルの一因であったというのであれば、きちんと計量的に分析して、当時の株価・地価の動きのどこまでを政策要因で説明できるのかを分析すべきだ。白書は「公定歩合2.5%」という名目金利を中心に議論を展開しているが、理論的には実質金利の概念を使うべきではなかったのか。白書は不動産融資の急増を指摘しており、それはそれで興味深いのだが、なぜそうなったのかの分析が不十分だ、と言っているのである。

 つまり、この吉冨さんの指摘は、間接話法ではなく、直接話法で白書の分析をダイレクトに批判するという書き方もやろうと思えばできたのである。これが直接話法で書かれた場合には、相当厳しい白書批判になっただろうと、当時私は肝を冷やしたものだ。もしかしたら、間接話法にとどめてくれたことは、鶴氏と一緒に白書の説明に伺ったという労に報いようという吉冨さんの優しさの現れだったのかもしれないとも思ったものである。(続く)



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