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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

Jカーブ物語(その1)-経済白書ができるまで(12)

 

2018/11/15

 前回は、経済企画庁が生んだ二人の巨人エコノミストの1人吉冨勝さん(もう1人は香西泰さん)の93年白書へのコメントを紹介した。吉冨さん関係の話はさらに続く。以下、一旦は脇道に逸れるのだが、やがて93年経済白書に話はつながっていくことになる。

Jカーブの教え

 私は76~78年にかけて経済企画庁の経済研究所に在籍し、短期予測用の計量モデルの開発に携わった。当時の研究所には主任研究官として吉冨さんがおり、課長補佐に相当するポジションに新保生二さん(故人)がいた。この二人には随分いろいろ教えてもらった。毎日いろいろな式を試しながら、吉冨さんや新保さんと議論を繰り返す。今から思い出すと、少し目がうるむような、全く夢のような日々であった。

 78年になると、円レートが上昇し始め、多くの人がそのデフレ効果を心配するようになった。我々のチームは、円レートの変動の経済的影響を、計量モデルによって計算できないかと考えた。

 この時吉冨さんが、Jカーブについて、我々にそのメカニズムを教えてくれた。私は今でも、吉冨さんが、部屋の窓際に置いてあったホワイトボードを使って、Jカーブの説明してくれた時の様子を、昨日のように良く覚えている。吉冨さんは「Jカーブというのはね」と言いながら、横軸に時間、縦軸に経常収支というグラフを書き、「数量効果が作用するにはタイムラグがあるので、円高当初は価格効果のみが作用し、経常収支はむしろ黒字になるわけです」とJの字型(正確には逆Jの字)の図を書いて丁寧に説明してくれた。ここまでなら一応の国際経済学者なら誰でも説明できる。

 吉冨さんのすごかったことは、単なるJカーブでなく「累積するJカーブ」というアイデアを示してくれたことだ。つまり、時を追って円高が進行していくと、当初の円高のJカーブに次のJカーブが重なり、より大きなJカーブが生まれる、というのである。

 「なるほどなるほど」と我々はすっかり興奮し、早速モデルを使ってそのJカーブを実証してみることにした。Jカーブが生まれるメカニズムは次のようなものだ。円高になると、直ちにドル建ての輸出価格が上昇する(円建ての輸出価格は下落)。ドル建て輸出価格が上昇すると、その価格効果によって輸出数量が減る。ただし、輸出価格の変化が数量の変化に結びつくまでには半年から1年程度のタイムラグがある。すると、当初は、ドル建て輸出価格が上がってドル建て輸出金額が増えるという効果が先行的に現われるので、経常収支の黒字は拡大する。やがて価格効果が効いてきて、輸出数量が減ってくると始めて経常収支の黒字が減り始める。これを、横軸に時間、縦軸に経常収支のグラフにすると、当初は黒字が増え(プラス方向)、やがて減る(マイナス方向)というJの字を逆にしたような形状が現われる。逆に円安の場合は、当初マイナスで、時間がたつとプラスという真性Jの字の形状になる。したがって円高の場合を「逆Jカーブ」と呼ぶ人もいる。

 これをモデルでシミュレーション分析するにはどうするか。要はタイムラグなのだから、輸出入関数の価格の変数に長めの連続的なラグを付けて価格効果を推計し、これをモデルに組み込む。後は、円高の影響を毎四半期毎に区分して計算する。これは四半期の数だけシミュレーションをやればよい。例えば、第1四半期290円だった円レートが、第2四半期270円、第3四半期250円、第4四半期230円という具合に円高に進んでいったとする。シミュレーションでは、まず290円というレートが続いた場合を基準ケースとして、第2四半期に270円になり、その後もそのレベルで一定というケースを計算する。両者の差が第1四半期における円高の影響である。次に、今度は270円で一定というものを基準ケースとし、第3四半期以降250円というケースと比較する。両者の差が第2四半期における円高の影響である。こうしてシミュレーションを繰り返していくことにより、累積的に進行した円高の影響を四半期に分解して示すことができる。かくして、我々は、日本で初めて、Jカーブを目に見える形で描き出すことに成功したのである。

78年経済白書のJカーブ

 私はその直後に内国調査課に移動になった。移動した時は既に78年版経済白書の作業が始まっていたが、その主要テーマの一つが、急速に進展した円高の経済的影響をどう考えるかということであった。私は早速、経済白書の草稿に、この出来立てほやほやのJカーブの分析を盛り込み、課長に提出した。

 そのとき提出した図を掲げておこう。図の上半分が四半期ごとのJカーブであり、下半分がそれらを合成したJカーブである。個々のJカーブが合成されて、より大きなJカーブが生まれたことが分かる。白書の本文では次のようになっている。

 「円レートが期を追って加速度的に上昇率を高めたため、年度当初からの上昇の効果が現われる頃、経常収支の黒字が既に拡大しているためさらに一段とレートの上昇が生ずることとなり、一時的な黒字効果の方が赤字効果を打ち消し、年度としてはかなりの黒字効果が残ることになったものと思われる。すなわち、52年度の経常収支の黒字は、『円高にもかかわらず』生じたのではなく、『円高であるがゆえに』生じた分がかなりあったということができる。」

 自分で言うのもずうずうしいが、このJカーブの分析は大ヒットであった。当時はJカーブという現象はそれほど知られているわけではなく、多くの人は「円高になると黒字が減る」と単純に考えていたので、「円高になると、黒字は増える」という結論が驚きを持って迎えられたのである。ある経済学者は「白書のJカーブの分析は、世界的なレベルのものだ」と賞賛してくれた。

Jカーブの分析から得たもの

 私はこの分析で随分大きなものを学んだ。中でも大きかったのは「実証分析の重要性」を身をもって知ったことである。「経済の理屈は、自分で実証してみて始めて分かることが多い」ということがよく分かった。当時、Jカーブについては、各方面で様々な議論が出たが、実証で描いたことのある私から見ると、実証せずに頭だけで考えている人の議論はすぐに見分けることができた。

 例えば、ある経済学者は「経済白書は、経常収支が黒字になると、Jカーブ効果で黒字がさらに増え、さらに円高が進んで、さらに黒字が増えると説明している。なかなか面白い説明だとは思うが、この議論で行くと、経常収支の黒字はいつまでも増え続けるという、やや奇妙な結論になってしまう」と批判した。しかし、実際にJカーブを描いてみると、そんなことにはならないことは自明である。当初のJカーブは一時的に黒字をもたらすが、1年程度時間がたつと黒字を減らす効果を持つようになる。すると、今度は黒字縮小効果が累積していくことになる。したがってどんなに円高が進んでも、やがては黒字縮小効果の方が大きくなる。したがって無限に黒字が拡大し続けることはありえないのである。「世の中には、実証なしに、いいかげんな議論をしているエコノミストが多い」ということが分かったのである。

 私は、その後1980年に、東洋経済新報社から「日本経済適応力の探求」という最初の著書を出したのだが、この著書の中でも、Jカーブの分析はハイライトとなった。こうして、吉冨さんが教えてくれたJカーブは、私の財産となり、経済白書のスタッフとしての評価を高め、さらには最初の著作にもつながっていった。吉冨さんの力で、私のエコノミスト人生の扉は大きく開かれたのである。

 吉冨さんは93年に企画庁を退職した。吉冨さんから退職の挨拶状が来た時、私は、返事の手紙を書き、吉冨さんに教えていただいたJカーブが、その後の私のエコノミスト人生にどんなに大きなものを与えてくれたかを述べて、感謝の気持を伝えた。しばらくして吉冨さんから「ていねいな手紙をありがとう」という返事が来た。

 話はまだ終わらない。私は、この時の分析で、Jカーブについては相当突き詰めて考えたと思っていたのだが、それは甘かった。このJカーブ分析は、その後さらに発展を遂げ、私が内国調査課長となった93年の経済白書で再び主役を演じることになる。(続く)



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