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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

経済白書批判の三点セット-経済白書ができるまで(15)

 

2019/04/19

経済白書が世に出ると、多くのコメントが現われる。このコメントに関して、私はかつてある雑誌に「経済白書を批判するのは簡単だ。次の三点セットさえ言っていればいい」というエッセイを書いたことがある。それは「将来展望がない」「政策提言がない」「長くて難しい」という三つである。

長くて難しいというのはともかくとして、将来展望と政策提言がないという批判について、白書執筆者の視点でどう考えていたのかを説明しよう。

次官会議の申し合わせ

将来展望と政策提言がないという批判については、「その通りではあるが、白書には書けないんです。それが政府内のルールなんです」というのが私の答えである。

「白書の記述はどうあるべきか」という点については、1963年10月24日の「政府刊行物(白書類)の取扱いについて」という事務次官等会議申合せがある。この申し合わせは次のようになっている(この申し合わせは、私が執筆担当者だった頃のものであり、現在も生きているのかどうかは不明)。

①白書類は、政治経済社会の実態を国民に周知させることを主眼とするものであるので、 将来の見通し及び施策の方向については、付随的に触れる程度に止める。

②将来の見通し等に触れる場合においては、極力一般的抽象的な意見に止めるよう配慮するとともに、 特に政府の重要な施策に関連する事項について具体的な将来の見通し等を述べようとするときは、 すでに政府の公式見解として決定されている範囲のものを除き、事前にその要点について閣議の了解を経るようにする。

①で書いてあることは、「白書の主な役割は、経済社会の実態を分析することであり、将来見通しや施策の方向について書くことは、白書の本務ではない」ということだ。

②で書いてあることは、「将来展望や施策の方向については、政府の公式見解を書け」ということである。「公式見解と異なる場合は、事前に閣議の了解を得よ」ということは、事実上、禁止しているのと同じことである。白書の記述のために閣議で了解を求めることなど不可能なことだからだ。

こうした申し合わせが行われた背景については知らないのだが、おそらくどこかの時点で、白書が政府の方針とは異なる見通しや政策方向を書いたため、政府内で問題になったということがあったのではないかと想像される。

これを経済白書に適用すると、要するに「経済白書は、経済の実態分析さえしていればよいのであって、将来の見通しや経済政策のあるべき方向については、既に政府として決まったことだけを書け」ということなのである。

つまり、将来展望や政策提言がないと批判されても、もともとの白書で将来展望や政策提言は、ありきたりのことしか書いてはいけないことになっている。白書執筆者にしてみれば「そう言われてもどうしようもないんです」ということになるわけだ。

以下、景気の展望と政策提言について、もう少し考えてみよう。

経済白書の景気展望

実際の白書の景気の展望はどのようなものだったのか。

私が担当した93年白書では、第1章で景気分析を行っているのだが、その最後の部分で、今後の展望を述べている。

ここでは、「今後の経済動向については、93年後半からは回復への動きを示すものと考えられる。」と希望に満ちた書き方をしている。そしてその理由として、①在庫調整がほぼ終了しつつあること、②設備投資のストック調整局面も近い将来一巡していくことが期待されること、③資産価格の面から各経済主体のマインドが更に悪化するような状況ではなくなっていること、④これまでの金利引下げ措置の効果浸透に加え、景気に配慮した93年度予算、93年4月に決定された『総合的な経済対策』の効果が本格的に現れてくることが期待されることなどを挙げている。一応もっともらしく理屈付けしてある。

では、その後の現実はどうだったか。事後的に見ると、日本の景気は、93年10月を谷として景気の上昇局面に入っているから「93年後半からは回復への動きを示すものと考えられる」という白書の景気展望は正しかったことになる。しかしだからといって私はあまり嬉しくない。逆に、この展望が間違いだったという結果になっても、私はあまり残念だとは思わない。

理由は前述の通り、この景気の展望部分は、私の考えではなく、政府が既に述べている考え方をなぞっただけのものだからだ。経済企画庁内の担当も別であり、経済の展望については、短期(先行き1年程度)の見通しは調整局が、長期(先行き5から10年程度)は、総合計画局が担当することになっていた。

しかもその内容は総じて楽観的なものになりやすい。景気が悪いかもしれないという時に、政府が率先して「景気は悪いです」とは言えない。政府のその発言で本当に景気が悪くなってしまう可能性があるからだ。政治的判断としても、出来るだけ将来については明るい展望を提示したいと考えるのが自然だ。

経済白書の読者の多くは「これから景気はどうなるのか」に強い関心を持っているに違いない。だから、当然、景気の先行きについての記述に注目するはずだ。マスコミも同じだ。経済白書の中身を説明すると、景気の先行きについての質問が出る。答えないわけには行かないから答えるのだが、その内容は他人が考えたことであり、自分でも「ずいぶん楽観的だな」と思ってもそれを言わなければならない。「決まったことしか言えないので、これは私の考えではありません」とも言うわけにもいかない。しかし、相手はそれを私自身の考えだと受け止めるはずだ。このギャップから来るストレスは結構大きい。

こうしたことがあるので、執筆者としては、景気の展望部分については、書いていてもつまらないし、注目されても嬉しくないのである。

経済白書と政策提言

政策提言は書けないという点についてはどうか。白書の説明をすると、しばしば「現状についてはよく分かった。政策的にどうすればいいのかを教えて欲しい」というコメントを貰う。気持ちは分かる。誰でも、「こういう問題があるんです」とだけ言われても満足するはずがなく、どうすればいいのかを知りたくなるのは当然だ。

前述のようにこれは「書けない」のだが、私は「書くべきではない」とも考えていた。白書の執筆者が、読者に対して、現在行われている政策を批判したり、それとは異なる政策を提言すれば、組織としての決定が損なわれるからだ。組織の一員である以上、決まった政策には、自分が賛成でも反対でも従わなければならない。もし、不満があったり、もっと良い案があるということであれば、白書に書くまでもなく、政府内で担当部局に提案すればよいのだ。

経済白書では、執筆者が伸び伸びとエコノミストとしての能力を発揮して、できるだけ自由に執筆すべきだという気持ちは分かるし、私もできるだけそうありたいとは思う。しかし、将来展望と政策提言に関しては、大きな制約下にあるというのが実情である。

経済白書の読者は、「白書で示される将来展望は、楽観的なバイアスがある」と思って読んだほうがいい。また、政策提言もないのだから、この点は、白書で示した現状分析を、読者自らがどうすべきかを考えてもらうしかないのではないかと思う。


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