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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

不良債権問題への取組(下) 甘かった白書の記述

 

2019/06/17

前回までのあらすじ

 93年の年末、金融機関の経営問題を分析していた経済企画庁調査局は、大蔵省銀行局から「市場に大きな動揺を引き起こす恐れがあるので、分析結果の公表を取りやめるべきだ」という猛烈な申し入れを受ける。当然、調査局はこれを拒否する。大蔵省主計局をも巻き込んだ両者の対立は、一時はかなりヒートアップしたが、何とか収束する。この出来事によって私は、バブルの崩壊が金融機関に深刻な影響を与えているようだと感じ始める。

前回の補足

 少しだけ前回の補足をしよう。前回の内容については、各方面から結構大きな反応があった。あるジャーナリストは「衝撃の内容ですね」と私に言ってきた。あるいは多くの人は「他の役所の作業の成果を公表するなと要求するなど、何と乱暴な」と思ったのかもしれない。しかし私は、多くの人から強い反応があったことにむしろ驚いた。驚くほどのことではないからである。大蔵省に限らず、どの省庁でも、経済白書が自分達が所管している分野を取り上げ、その結論が自分達の方針と異なるような場合には「全面削除」を求めてくることは珍しくない。

 ただ、私がこの時の銀行局の抗議を特によく覚えていたこともまた事実である。似たような事例が多い中で、なぜこの時の抗議が特に印象に残ったのか。自分自身の気持ちを改めて振り返ってみると、次のような理由がありそうだ。

 第1は、この時の銀行局の態度があまり例を見ないほど無礼かつ不可解だったことである。通常の場合、「全面削除」といった強い要求を持ち出す時にも、交渉の際は相互の立場にも一定の敬意を払って応対するものである。しかしこの時の銀行局の姿勢にはこうした敬意が全く感じられなかった。

 前回も触れたように、銀行局の課長は金曜の深夜に当方の課長補佐とやりあった後「月曜日には小峰課長を厳しく問い詰める」という不気味な捨て台詞を残して電話を切った。ところが月曜の午前中に私が電話すると、打って変って紳士的な態度に変わっており、私が対応方針を説明すると、「分かりました。どうぞよろしく」とあっさり話がついてしまった。

 金曜の夜に折衝に当たった当方の課長補佐二人も「金曜の夜の勢いからすると、どんなことになるのやら。課長(つまり私)が先方の課長に怒鳴りつけられたりしなければいいが」と心配していたようだ(私も口には出さなかったが、そのように心配していた)。電話を終えた私が「特に大きな議論もなく話がついた」と言うと、みんな意外な成り行きに驚いていた。なぜ態度が急変したのかについても「金曜の夜だったからお酒が入っていたのではないか」「職階が下の者にだけ強く出る人なのではないか」「上司に報告したら『そんな抗議はやめておけ』と言われたのではないか」など議論百出であった。

 第2は、相手の行動が武士道に反していたことである。前回触れたように、銀行局は筋違いの主計局に仲介を依頼してきた。これは確かに有効ではあるが、役人であれば誰もが首をかしげる対応である。通常、課長補佐で決着がつかなければ、課長→審議官→局長、そして最後は大臣へと上がっていく。上がって行った先で妥協したり、どちらかが全面的に取り下げたりすることはよくあることだ。こうして正規の手続きを踏んだ上での結論であれば、それが気に入らなくても「仕方がない」と受け入れるしかない。それが役人の仁義というものだ。だから、議論が終わると相手方の当事者と仲良しになったりすることもある。しかるに、この時の銀行局は、他局の影響力に頼るといういわば「反則技」を繰り出したわけである。こういう人とはお友達になりたくないと誰もが思うだろう。

 第3は、その後明らかになってくることだが、当時、銀行局が情報開示に消極的だったことが、その後の不良債権問題をより深刻にしたという思いがある。前2者の理由が私憤だとすれば、これは公憤である。

 では、銀行局のこうした情報は、政府内のどこまで共有されていたのだろうか。情報は、銀行局→官房→大蔵省→官房長官→官邸という順序で上がって行くのだが、少なくとも官房長官には上がっていなかったようだ。

 この辺は、私が最近まとめた「平成の経済」(日本経済新聞出版社、19年4月発行)でも触れているが、97年9月から橋本内閣の下で官房長官を務めた梶山静六氏は、「内閣官房にあっても、全くそのような事態(不良債権の実態)を耳にしていなかったことに、我ながら驚きました。‥当時の大蔵省が『銀行は健全であり、心配ありません』という説明に終始したこともあり、誰も本当の中身を調べようとはせず、目を覆ってなるべく金融界を見ないようにしてきたのです 」と述べている(梶山静六「日本興国論」より)。この梶山氏の証言が正しいとすると、97年の段階でもなお官邸に「銀行は健全で心配ない」と説明していたのだから、93年前後の時期に、銀行の危機的な状況を説明するはずがない。

経済白書は不良債権をどう取り上げたか

 今回の本題に入り、私が担当した経済白書がこうした問題をどのように取り上げていたのかを見よう。

 前回述べたように、不良債権問題への視点は、「不良債権がどの程度なのか」という実態認識、「不良債権の存在が経済活動をどの程度制約しているか」という経済的影響、「不良債権をどう処理するか」という対応策の三つに分かれると述べた。白書が主に取り上げるのはこのうちの、実態認識と経済的影響の部分なのだが、経済白書の執筆責任者であった1993~94年当時、私はこうした問題について全く不十分な認識しかもっていなかった。記録として残る経済白書の文章からこの点を振り返ってみよう。

 まず、総論的な認識は結構正しかったと思う。93年白書では、バブルが崩壊すると必然的にバランスシート調整問題が発生するとして次のように述べている。

 「資産インフレの進行過程では、資産と負債が両建てで増加した。その後の資産デフレによって資産は瞬時に減少したが、その見合いで積み上がっていた負債はそのまま残ることとなり、これが経済全体のバランスシートを悪化させるという現象が生じたのである」

 このバランスシートの悪化を金融機関サイドから見たものが不良債権に他ならないのだから、白書は不良債権の総論的背景を適切に取り上げていたことになる。

 ただし、不良債権の実態についての認識は大甘である。93年白書では「都銀、長信銀、信託の不良資産の額は、92年3月末に8.0兆円であったものが、9月末には12.3兆円と大幅に増加した。(白書執筆時点での最新の数字である)93年3月には、‥12.8兆円と依然増加を続けている」と書いている。

 94年白書で、その後の推移について触れているが、「93年度末には‥積極益な償却を反映して13.6兆円と、93年9月末(13.8兆円)比で若干の減少となった。‥不良債権の総資産に対する比率も‥ほぼ横ばいとなっている」としており、「不良債権が危機的に増えている」という自覚は全くなく、むしろピークを過ぎたかのような書きぶりである。

 その後、不良債権の額は、定義が拡大していったこともあるが、増加を続け、2002年3月期には約43兆円となり、不良債権比率も8.4%まで上昇することになる。白書の記述は当然政府全体の認識を示しているから、93~94年当時の政府の不良債権に対する認識はまったく甘かったと言える。いうまでもなく、これは大蔵省の銀行局が示していた公式データがそうなっていたからである。

貸し渋りをめぐる議論

 次に、「不良債権の存在が経済活動をどの程度制約しているか」という経済的影響について、白書がどう分析したかを振り返ってみよう(以下の記述は、私の「平成の経済」第4章に基づいている)。

 当時、不良債権の増大が実体経済に影響するルートとして盛んに論じられていたのが「貸し渋り」である。金融機関が抱える不良債権が増えると、金融機関はリスクテイクに慎重となり、従来は応じていた取引先への融資に応じないという事態が生じ、これが企業の運転資金の確保や設備投資の実行を難しくする。統計的にも金融機関の貸し出しの伸びは減少を続けていたから、一見するとこの貸し渋り説はかなり有力に見える。しかし話はそれほど簡単ではない。

 まず、貸し出しの実行額というのは、企業の資金需要曲線と金融機関の資金供給曲線の交点で決まるはずだ。貸し渋り論は、従来の条件では金融機関が資金を貸さなくなった、つまり、供給曲線が左にシフトしたという議論である。しかし、同じ条件では企業が借りなくなった、つまり需要曲線が左にシフトした可能性もある。

 93年白書は、この需要減少説に近く、次のように書いている。

 「今回の景気調整過程では、金融機関の『貸し渋り』が指摘されることがあった。確かに、金融機関の貸出の伸びは歴史的にみても非常に低いものだった。しかし、金融機関の貸出が低迷しているのは、基本的には、①設備・運転資金需要が減退していること、②資産取引を目的とした資金需要が不振となったことなど需要面の要因が大きいと考えられる」

 なお、白書は、「企業、金融機関ともにバランスシートが悪化しているため、マクロでみた貸出のリスクが上昇し、これが貸出を抑制していることは十分考えられる」とも書いており、供給曲線のシフトもあったことを認めている。しかし、白書は、「リスク上昇に対応した貸し出しの抑制は、金融機関の融資姿勢が採算性や信用リスク管理を重視するという本来あるべき姿に戻っていく過程での行動であり、このような行動を『貸し渋り』と批判するのは必ずしも適当ではない」と書いている 。つまり、貸出態度が慎重化したというより、正常化したのだというわけである。

 しかし、この白書の分析はあまり評判が良くなかった。世間ではもっぱら「金融機関の貸し出し態度が変化し、中小企業が資金繰りに困っている」というストーリーが支配的だったからである。企画庁の上層部もこうした批判を耳にしており、白書が公表された後、折に触れて私に「あの貸し渋りについての分析はちょっと方向が違うのではないか」と疑問を呈していた。分析的な結論を変えろとは言えないので明言はしないが、明らかに「次に分析する時は、もっと時代の空気を読んで、貸し渋り問題を取り上げるべきだ」と匂わせていたのである。

 こうした示唆もあり、また銀行融資の伸び悩みも続いていて、企業サイドからの不満はさらに高まっていたので、私は、94年白書では、もっと供給曲線シフト説に近い議論をするつもりになっていた。しかし、私もまた、分析担当者に対して、分析的な結論を事前に示すことは憚られる。

 当時実際に分析に当たっていたのは、野村総研から内国調査課に出向しており、その後第一線エコノミストとして活躍することになる村嶋帰一氏である(現在、シティグループ証券株式マネジングディレクター)。私が企画庁上層部の意向を忖度したように、おそらく村嶋氏らの分析グループもまた私の意向を忖度したのだと思う。この時、分析グループは、恐ろしく手の込んだ分析結果を出してきた。

 白書は自ら「やや煩雑だが」と断った上で、その手順を次のように説明している。蛇足だが、この「煩雑だが」という言葉は、分析担当者から出てきた原案にはなかったのだが、「これはまた複雑なことをやったものだ」と驚いた私が付け加えたものである。それは「①借り手側の事情によって金融機関の融資態度を説明する回帰式を推計する、②その推計値と現実の値を比較する、③推計値と現実値が一致していれば、貸出態度の変化は、もっぱら借り手側の要因によって説明できることになり、両者がかい離している分は、借り手側ではなく金融機関側の事情によるものだと考える」というものである。

 白書は、さらにしつこく、その具体的手順についても次のように説明している。「まず、民間金融機関の貸出利鞘を貸出しリスクを示す変数によって説明する回帰式を推計する。貸出利鞘は、金融機関の貸出態度を示す変数と考えられる。財務内容が悪化している先や担保価値が低下しているような先への貸出しに際しては、調達金利に比して貸出金利が上昇して、利鞘が拡大するからである。説明変数としては、①倒産負債総額の貸出残高に対する比率(これが高いほど、倒産のリスクが高まるので、『貸出しリスク』が上昇する)、②地価(担保要因を表す。地価が下落すると、借り手の担保価値が下落するのでその分利鞘が拡大する)の二つを使った。次に、この関数で推計値と実績値を比較してみると、90年以降は推計値も実績値も利鞘が上昇しているが、91年後半以降は推計値がほぼ横ばいで推移するなかで、実績値が上昇するといった形で両者のかい離幅が拡大している。この結果からみる限り、91年以降金融機関の貸出しが低迷しているとみられるのは、借り手側の事情もかなり反映しているが、借り手側の事情以外の要因、例えば金融機関サイドの事情も影響している可能性がうかがわれる」

 貴重な白書のスペースを使って、分析内容をこれほど詳細に説明するのはやや異例だが、これは、「これだけ詳しく分析手順を説明すれば、誰もが途中で『もう分かった、そこまで細かく考えたのであれば文句は言わない』と思うだろう」と考えた私の作戦である。この作戦は図に当たったようだ。結論は「需要要因も影響しているが、供給要因もかなり影響している」というもので、その結果が実証的に分析されていたから、企画庁の上層部も気に入ったようだし、関係各省からも、因縁の大蔵省銀行局からも大きなコメントは出ず、無事終息したのだった。

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※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。