一覧へ戻る
小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第72回)

物価問題のパラダイム転換(下) 実質所得倍増計画

 

2019/08/13

 前回述べたように、93~94年頃までは、「物価は下がった方が良い」というのが常識的な考えだった。当時私は、この考え方が間違いだということには、はっきり気が付いていた。さらに「物価が上がらないことが問題なのかもしれない」とも思い始めていたのだが、その後大いに論じられるようになるデフレの弊害については十分認識していなかった。

物価下落の影響と部分均衡論的考え方

 「物価が下がった方が良い」という考えが誤りだと当時の私が考えた理由は、「それは部分均衡的な考えだ」ということだった。私はこれまで15年以上、大学で日本経済論や経済政策論を教えているのだが、その冒頭で必ず「部分均衡的な考えは避けよ」ということを強調している。私に言わせれば、これこそが経済学の最も重要な教えの一つだとさえ考えているからだ。

 部分均衡的な考えというのは、何かが変化した時、その変化に直接関係する部分だけを見て、それ以外の部分は不変としてその影響を判断するという考え方だ。私がしばしば例に出すのが、99年に消費喚起のため、子どもやお年寄りのいる世帯に商品券を配ったという政策だ。これは、「商品券は必ず消費され、貯蓄に回ることはないのだから、消費振興策として効果的だ」という考えに基づいている。しかし、これは「商品券を配布する前の消費パターンは不変」という前提を置いているから成立する議論である。この商品券で、もともと購入する予定だったものを購入すれば(それまでの消費パターンを変えれば)、その分所得が浮き、貯蓄することが可能となる。その後の調査で、商品を受け取った家計は、かなりの部分、もともと購入するはずだったものを購入したことが確かめられている。部分均衡的な考え方から離れると、商品券配布の効果についての結論が全く異なったものになるのだ。

 その後、私は調査局長になるのだが、その頃、各省から寄せられた経済白書のコメントの中に「この部分は、小峰局長が常に嫌っている部分均衡的な議論になっていませんか」というものがあった。私の部分均衡嫌いは他省庁にまで知られているのかと驚いたものだ。

 多くの人が「物価が下がると嬉しい」と考えるのは、部分均衡的に「物価は下がっても所得は減らない」という前提を(暗黙のうちに)置いているからだ。普通は、物価が下がれば、どこかの所得も減るのだから、この前提は正しくない。よって「物価が下がることを喜んでばかりはいられない」ということになる。

羽田内閣の実質所得倍増論

 ところがである。私が批判していた部分均衡的な物価論が、なんと総理から飛び出してきたのである。それが羽田総理の実質所得倍増論である。

 これは文書に残っていないので、当時の新聞記事を見てみよう。94年5月24日の日本経済新聞は、「実質所得倍増計画を策定」という見出しで「羽田首相は、国内物価を今後5年間で現在の水準から2、3割引き下げることを目標とする『実質所得倍増計画』の策定に着手する意向を表明した」と報じている。

 この記事によると、首相は「これからは経済の低成長と賃金が上がらないことを背景に、物価を下げることを目標としていくべきだ」とし、池田内閣の「所得倍増計画」に匹敵する計画をつくるのも一案であり、「実質所得倍増計画」を検討してもいいのではないかとの意向を明らかにし、寺沢経企庁長官らに計画の策定を指示したとされている。

 羽田総理はおそらく、物価を半分にすれば、実質所得は倍増すると考えたのであろう。私に言わせれば、これはケタ外れの部分均衡論である。名目所得が不変という前提を置けば、物価が下がった分だけ実質所得は増える。しかしその前提は全くの誤りである。

 ここから先は私も少しだけ知っている。この計画の策定を指示された経済企画庁は大騒ぎとなった。私のような部分均衡論批判を持ち出すまでもなく、これがとんでもない指示であり、とても実行できるはずはないということは誰もがすぐに分かった。5年間で2~3割物価を下げるためには、消費者物価を毎年4~5%引き下げて行かなければならない。そんなことができるわけがないし、そもそも実現する手段もない。

 私は直接参画していなかったが、企画庁では、どうやって総理を説得してこの指示を取り消してもらえばいいのか多いに悩んだようだ。この時前面に立ったのはT物価局長だ。何しろ物価行政を所管している責任者だから逃げられない。日頃、豪放磊落知られるT局長もかなり焦ったようだ。当時、私と廊下ですれ違ったT局長が「おお小峰君。わしゃ大変な目に会ってるんだよ。いや参ったよ」と嘆いた。私は「これはとんでもない無理筋の指示ですから、何としても逃れないと大変なことになりますよ」と言って激励したものだ。

 幸いなことに、羽田総理はこの指示をすぐに撤回したようだ。9月26日の日本経済新聞によると、「羽田首相が実質所得倍増計画の策定を見送ったのは『物価を2~3割引き下げるという目標は、経済の大混乱を引き起こしかねない』として霞が関が強く反発したためだ。首相が計画の意向を表明した翌日の25日午前に、田中経済企画事務次官らが急きょ首相官邸を訪れ、物価引下げに数値目標を設定するのは困難だと懸命に説得に当たった。結局、官僚の火消し策が功を奏し、数値目標の設定は見送り、代わりに物価安定政策会議で内外価格差の是正策を検討するということで落ち着いた」となっている。

94年白書の議論

 さて、私が担当した2年目の白書である94年白書では、この時の騒ぎを意識したこともあって、「ディスインフレーションの進行」という節を設けて、物価下落の経済効果について論じたのだが、その中に次のような部分がある。やや長いが引用しよう(一部読みやすいように変更している)。

 「ディスインフレの影響を考えるに当たっては、『ホームメード・ディスインフレ要因』(国内に原因がある場合)と『輸入ディスインフレ要因』(海外との関係で発生してくる場合)とを区別することが重要である。ホームメード・ディスインフレの場合は、『誰かが支払うことは、誰かが受け取ることである』という関係が国内で完結しているから、ディスインフレによって物価上昇率が低下した場合には、国内の誰かの名目所得の伸びが低下しているので、基本的には実質所得への影響は中立的である。これに対して、輸入コストの低下の波及などによって輸入ディスインフレが生じた場合は、『国内の誰かの支払いが、海外の誰かの受け取り』という関係となるため、物価上昇率が低下しても、国内では誰も名目所得の伸びが低下しないというケースが発生し、実質所得を増加させることになる(この場合、海外の誰かの名目所得の伸びが低下している)。」

 これは、かつて石油危機の時にさかんに議論された「輸入インフレ」と「ホームメード・インフレ」の違いを物価下落に応用したものである。物価が下落すると実質所得が増えるケースもありうる。しかし、羽田総理の実質所得倍増計画は、国内の政策で物価を下げようとするものなのだから、実質所得が増えることにはならないのだ。白書を読んだほとんどの人は気が付かなかっただろうが、これがこの時私が言いたかったことだったのである。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。