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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

通説への挑戦 空洞化論への対応

 

2019/09/17

 自分が担当する経済白書では、どんな問題を取り上げるべきか。私はこれについて、二つの基本方針を持っていた。一つは、その時点で多くの人々が強い関心を持っている問題を取り上げることであり、もう一つは、私自身が書きたいこと、つまり「自分が内国調査課長になったら是非取り上げたい」と考えていた問題を取り上げることである。

 93年白書で言えば、多くの人々が強い関心を持っていた重要問題が「バブルの総括」(第2章「バブルの発生・崩壊と日本経済」)であり、私が書きたいと思っていた分野の代表が、経常収支黒字問題(第3章「拡大する経常収支黒字とわが国の課題」)だった。

 さて、私が白書で「書きたい」と思っていた問題なのだが、なぜ私は「書きたい」と思ってきたのだろうか。それは、私の考えが、多くの人の考えと違っているからである。はっきり言ってしまえば「みんなの考えは違うぞ」と言いたいわけだ。そういう問題は個人の著作で言えば良いではないかと言われそうだが、やはり個人の著作と政府の白書は全然違う。白書は読む人の数が圧倒的に多いし、何と言っても政府の公式見解として扱われるから、桁外れに重みがあるのだ。

 93年白書で取り上げた経常収支黒字問題では、「経常収支と市場の閉鎖性は無関係」「黒字が良くて、赤字が悪いというわけではない」「経常収支の赤字が失業を増やすとは言えない」など、私がかねてから言いたかったことを、結構好き放題に書いた。いずれも多くの人が何気なく考えている通念は間違いだといって退けたのである。この点は、本連載「混迷する経常収支黒字をめぐるコメント」(2018年10月15日)で述べたことがあるので繰り返さない。

 以下では、「私が書きたかった問題」のうち、94年白書で取り上げた「空洞化問題」を紹介したい。

空洞化論は部分均衡的

 当時の日本では、80年代後半に進展した円高により、国内にあった生産拠点を海外に移す動きが活発化していた。円高により、外貨建てで見た日本の労働コストが著しく上昇し、海外(特に中国、東南アジア)の賃金が相対的に大きく低下したからである。

 こうした国内生産拠点の海外への移転は、国内経済の「空洞化」を招くとして、これを警戒する議論が支配的だった。理由は単純そのもので、国内の生産拠点が海外に移ってしまったら、その分国内の経済活動のレベルが低下し、雇用が奪われてしまうという考えであった。私はかねてからこうした単純な空洞化論には多くの誤りが含まれていると感じていたので、この問題を白書で取り上げ、世間の誤りを正そうとしたのである。

 私は単純な空洞化論は、私が嫌うところの「部分均衡的」だと感じていた。この「部分均衡的な考えは避けよ」という点については、前回の「物価問題のパラダイム転換(下)」(2019年8月13日)で説明しているので詳しくは繰り返さない。要は、何かが変化した時、その変化に直接関係する部分だけを見て、それ以外の部分は不変としてその影響を判断してはいけないということである。

 「国内の生産拠点が海外に移転すれば、国内の生産・雇用が減る」という議論は、「国内の生産拠点が移転した」という部分だけを見ており、「それ以外の側面は不変」という前提を置いているという点で、典型的な部分均衡的発想だと私は考えた。

 例えば、生産拠点が移転したということは、その分、労働、土地などの資源が浮くということでもある。したがって、この浮いた資源が他の分野で活用されれば、それが生産の移転の穴を埋めることになるから、長期的には国内の生産・雇用は減らないかもしれない。

 また、その浮いた資源は、従来よりも生産性の高い分野で活用される可能性があるから、むしろ経済の効率化をもたらすかもしれない。さらに、移転した先の国では経済活動が活発になるはずだから、世界経済全体のパイが増大し、回り回って日本にもプラスに作用するかもしれない。

 もし生産拠点を移転しなかったらどうなったのかも考えておく必要がある。日本の企業は、このまま国内に生産拠点を置いていたのでは、国際競争力を維持できないと考えたからこそ海外に進出していった。もし海外に生産拠点を移さなかったら、日本企業はより悲惨な目に会っていたのではないか。

 こうした点も踏まえて、空洞化の評価として、白書では次のように述べている。 「空洞化を懸念する議論は、『輸入が増えれば、その分国内の生産・雇用が減る』、『海外への投資が増えれば、その分国内の投資が減る』という点を問題視しているように思われる。確かに、全体のパイが一定であるというゼロ・サム的な状況では、製造業の生産拠点の海外への移転によって、国内生産は減少し、国内の投資機会、雇用機会が失われることになる。

 しかし、長期的にみれば、製造業の生産拠点のアジアへの移転は、(中略)、日本も含めたアジア地域のダイナミックな発展を促進させるため、日本を含めたアジア全域でのパイの拡大につながることが期待できる。

 また、生産拠点の海外への移転によって解放される資源をより付加価値の高い分野に振り向けていくことができれば、国内産業全体の効率性が高まり、経済全体のパイもまた大きくなるであろう。このように、「長期的に」「動態的に」「プラス・サム的に」「国際分業的に」考えれば、議論されている空洞化現象が、むしろ新たな発展の原動力となりうるように、アジア諸国との相互依存関係の深化、貿易・産業構造の高度化を図っていくことが重要であるといえる。」

 白書ではさすがに「空洞化論は部分均衡的だから誤りだ」とは言っていないが、より「長期的に・動態的に・プラス・サム的に・国際分業的に見れば」ということは、「部分均衡を離れてより広い視野で一般均衡的に見れば」ということと同義なのである。

動態的国際分業論の展開

 こうした主張を分析的に裏付けるため、白書では動態的国際分業論を展開している。それは次のようなものだった。

 白書では、日本、アジアNIEs(韓国、台湾、シンガポール)、ASEAN、中国について財別の貿易特化係数の推移を示している。貿易特化係数というのは、ある財の貿易収支の貿易額に対する比率((輸出-輸入)/(輸出+輸入))であり、プラスが大きいほど輸出超過(つまり比較優位)、マイナスが大きいほど輸入超過(比較劣位)であることを示している。これをみると、国(又は地域)としては、日本→NIEs→ASEAN→中国の順で、産業としては非耐久消費財→耐久消費財→資本財という順で、特化係数の高まり→低下→マイナスへという動きが生じている。

 白書は、このような比較優位のダイナミックな変化をプロダクト・サイクル理論から説明している。以下本文から引用してみよう。「ある財の生産を開始する国(先発国)を考えると、①当初は輸入代替により国内産業が成長する、②国内の生産力が高まると輸出を通じて海外進出が行われる、③財の技術が成熟化すると、後発国が輸入代替、輸出という同じ経路をたどるので先発国の輸出が減少し、輸入が増加する、④先発国は相対的に賃金の安い後発国に直接投資を行う一方、更に高い技術が必要な財の輸入代替を推進する、というプロセスを辿ると考えられる。これは、後発国が先発国を追い上げ、追跡するとともにそれぞれの国が自国の比較優位を労働集約的な財から資本集約的(技術集約的)な財へ転化させ、産業構造が積み重なるように高度化していくプロセスでもある。このようなプロセスはちょうど雁の群れが空を飛ぶようにみえるため、『雁行形態型の発展』と呼ばれている。

 貿易特化係数の分析からは、『先頭を走る国(日本)を追って、次々により付加価値の高い分野に産業のウエイトを移していくという、雁行形態型の発展』が明確に観察することができる」としている¹。

 白書の文章は、公式文書なのでやや堅苦しい。私は、発表後の説明会などで、次のように説明した。これまで日本を含めてアジア地域がダイナミックな成長を実現してきたのは、白書で実証的に示したように、雁行型の動態的国際分業が進み、アジア全体の産業構造がより高度化して行ったからだ。この高度化を実現するためには、先行する国・地域が、更に産業の高度化を図りつつ、それまで自国で生産していた産業を後発国・地域に譲り渡していくことが必要だ。世間で「空洞化」と言われていることは、こうした産業の譲渡しなのであり、マイナスではなく、むしろプラスに考えるべきものだ。

白書の説明、危機一髪

 さてこのような説明は、どのように受け止められただろうか。

 経済の専門家からの反応はおおむね好評だった。私は今でも、日経センターで開かれた白書説明会のことをよく覚えている。この説明会では、最前列で、日銀出身で某経済系シンクタンクの理事長をされていたM氏が熱心に私の説明を聞いていた。説明が終わり、質疑の時間になると、M氏は真っ先に手を挙げて発言した。その発言の冒頭でM氏は「空洞化についての白書の動態的国際分業論による説明は、私はその通りだと思います。この分析を高く評価したいと思います。」と言って褒めてくれた。

 私はこの空洞化についての考え方は、世間一般の認識とかなり異なっていたので、どんな反応があるか、気にしていたのだが、白書の説明会の冒頭でM氏が強く支持してくれたので、ほっとした覚えがある。

 問題は政治家への説明であった。白書が出た直後に、自民党の部会で白書の内容を説明せよという要求が来た。私が出かけて行って、白書の概要を説明したのだが、ある議員が空洞化の部分にクレームをつけてきた。「自分たちは、空洞化を大きな問題として捉え、政府に対応策を求めている。政府もできる限りの対策を取ると言っている。その空洞化問題について、今回の白書はあたかも何も問題はないかのような書きぶりではないか。同じ政府で、このように異なる評価を示すことは問題があるのではないか」というのだ。

 それまで空洞化は深刻な問題だと考えてきた人にとっては、確かに白書の分析に違和感を覚えるだろう。かといって、政治家に「いわゆる空洞化論は、部分均衡的で間違いです」などとは言えない。

 私がやや言い淀んでいると、出席していた元経済企画庁長官のO議員が助け舟を出してくれた。O議員は「いや、まあ、白書としてはこれでいいと思うよ」と、やや意味不明の発言をしてくれ、それで何となくその場は収まってしまったのだ。発言者は「先輩議員がそういうのであれば、まあいいか」と思ったのであろう。それ以上の追及はなかった。

 私はこの後、この時の発言の真意を考えた。鍵は「白書としては」という部分だ。経済白書というものは、分析的・理論的に経済的課題を整理するのが一つの役割だ。一般の議論とはやや視点が異なるので、違和感があるかもしれないが、経済白書の役割ということを考えると「白書としては」これでいいのだ。政府への要求は要求として、我々で考えていけばいい、というのがO議員が言いたいことだったのではないかというのが、この時の私の解釈だった。

ともあれ、O議員の助け舟で危機を逃れ、私は再びほっとしたのだった。

―――――――
¹なお念のため述べておくと、ここで紹介した白書の分析は、94年当時(つまり25年前)の経済実態に基づくものだから、現時点では全く古いものになっている。その後、急速な技術進歩とグローバル・サプライ・チェーンの形成などの中で、今では、白書で述べたようなプロダクト・サイクル論では産業構造の変化を説明することは難しくなっている。

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※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。