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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第74回)

国会答弁が完成するまで

 

2019/10/16

 予定では、前回の続きで「通説への挑戦」を書くつもりだったのだが、ここ数日で興味深い動きがあったので、これを取り上げたい。それは「官僚の国会待機」という問題である。

 きっかけは今回の大型台風だ。以下、ネットで広がっていることをベースにした限りでは、次のような経緯である。首都圏に台風が迫る11日(金)、某野党議員からの質問通告が深夜になってしまったので、多くの官僚が役所内で待機を強いられた。このことをある現役官僚がネット上で訴えた。台風が迫っているから自宅に戻りたいのに戻れないという訴えである。ネット上では、官僚側が同情を集め、某野党議員が大批判を浴びるという展開になっている。

 ここではこの具体的事例そのものを議論するのではなく、そもそも国会答弁に至るまでの官僚の役割とはどんなことなのかを述べてみたい。以下は官僚経験者にとっては当たり前すぎて珍しくもなんともない話なのだが、よく考えてみたら、一般の人々は、国会の質問と役所の対応について改まった説明を受けたことはないだろうから、ここでまとめておくのも意味があるかもしれない。

 なお、以下の私の解説と経験談は、私が役人時代(1969~2003年)のことであり、現時点では異なっている可能性があることに留意して欲しい。

国会待機から答弁までの流れ

 我々はテレビなどで、各党議員が委員会で質問に立ち、関係閣僚がこれに応えるという場面を何度も見ているだろう。こうした委員会における質問は、前日の昼頃までに事前に通告する必要がある。この通告を見て、官僚は答弁書を作成し、答弁者(普通は大臣)に事前に渡しておく。多くの答弁者が何か紙を見ながら答弁しているのを見るが、その紙はこの答弁書である場合が多い。

 と、こんな説明をすると、高校を出たばかりの大学の学部生からは「何だ、事前に分かっているのか。出来レースみたいなものではないか」というコメントが出る。これに対して私は「現実の社会というものは、そういう理想論では機能しないものなのだよ」と説明する。仮に、事前通告なしに質問をすると、答弁者がその場では答えられず「調査の上でお答えします」という答弁だらけになってしまう。国会における大臣の答弁は極めて重く、そのまま公約のようなものになってしまうので、いい加減な答えは許されない。事前に質問を確認し、入念な準備をしておく必要があるのだ。

 さて、ここで国会待機から実際の答弁に至るまでの手順を説明しておこう。

 第1段階 国会待機‥どんな質問が出るのかを待っている段階。

 第2段階 質問の割り振り‥政府に質問が出た場合、どの省庁が答えるかを決めて、当該省庁に質問を伝達する。伝達を受けた省庁では、今度はどの組織が答弁を作成するかを決めて、当該部局に質問を伝達する。

 第3段階 答弁の作成‥割り振られた部局が、答弁書の原案を作成する。

 第4段階 関係部局との合議(あいぎ)‥答弁書の原案に対して、総務課、関連する部局が意見を出して、必要に応じて調整する。他の省庁に関係する場合は、他の省庁に原案を見せて意見を貰う。予算に関連するような答弁の場合は、財務省(私の現役時は大蔵省)主計局に見せて了承を得ておく。

 第5段階 答弁者への連絡‥通常は秘書官を経由して、大臣に答弁書を渡す。総理答弁の場合は、官邸に答弁書を届ける。

 第6段階 答弁者への説明‥大臣に説明が必要な場合は、翌日(つまり質問当日)の朝早く、委員会が開かれる前に国会内で大臣に説明する。

 第7段階 答弁‥委員会の場で答弁する。

 大体以上のようなプロセスを踏むわけだが、これを全部やっていると、当然、深夜にならないと完結しない。ましてや、事前通告そのものが夕方や夜にずれ込むことが多いから、単なる深夜の域を超えて、夜中の1時や2時になることもしばしばである。残業になるわけだが、何と残業手当はほとんど付かない。役所は予算に縛られているので,残業手当の予算にも枠がある。この枠はすぐに使い切ってしまうので、あとはいわゆる「サービス残業」となる。ブラックもいいところである。

国会答弁作成の経験

 それぞれの段階での私の実体験を述べよう。まず、深夜までの勤務残業ということだが、国会の会期中で、質問が多い部局の場合は、文字どおり連日の国会答弁作りとなる。普通、課長や局長は答弁が出来上がる深夜まで待っていられないので、答弁作成や関係省庁との合議は課長補佐に任せて、自宅に帰り、必要に応じて電話で報告を受けることになる。

 私はそうした課長補佐を経験したことが何度かあるのだが、とにかく帰りが遅くなる。当時私にはまだ幼い息子がいたのだが、平日にはほとんど顔を見られない。ある時、息子の誕生日なのに国会業務が出た。そこで窮余の一策。私は、夕方「ちょっと出てくる」といって一旦家に帰り、家族と誕生ケーキを食べて、また役所に引き返すという荒業を使ったこともある。

 答弁者への連絡という点では、私には秘書官の経験がある。事務方と大臣の間をつなぐのが秘書官の役割だ。秘書官も深夜まで待つわけにはいかないので家に帰ってしまう。深夜になると役所の若手が私の自宅に、翌日の大臣答弁を持ってくる。そこから私は答弁書を読んで、大臣が疑問を持つような点はないかを点検しておく。大臣にも同時に届けられるのだが、深夜なので、大臣邸の郵便ポストに投げ込んでおく場合が多い。

 私が秘書官を勤めたときの大臣は、河本敏夫氏であった。河本氏は既にベテランの政治家だったので、答弁内容を作成部局が詳しく説明するという部分は省略することが多かった。その代わり、秘書官である私が説明する。例えば、委員会が9時から始まるとしよう。大臣は予定の場所に定刻の2~3分前に到着するのを理想としていたので、8時40分頃大臣邸を出る。当時私は幸いにして麻布の官舎に住んでいたので、大臣邸までは10分くらいで行けてしまう。私の場合はぎりぎりに着くわけには行かないので、8時10分頃秘書官車(秘書官には車が付く)で大臣邸に向かう。大臣邸を出るときには、大臣車の後部座席、大臣の隣に座って、国会に着くまでの15分間で、その日の答弁の概要を説明するのである。とにかく時間が限られているのでとにかく要領よくポイントだけを説明することになる。

国会答弁をめぐる諸問題

 現役時代の私は、こうした仕事をこなしながら「国会とは何と理不尽なところか」という感を持たざるを得なかった。例えば次のような点だ。

 第1に、やはり残業時間が桁違いに長い。仕事以外のこと(例えば家族)を省みる余裕がなかったことは悲しい思い出である。質問を出す方は、出した後すぐに帰ってしまうことができるのだが、こちらは出てからが仕事である。出た場合も大変だが、夜まで待機して、結局質問は出なかったというときも空しい。

 第2に、質問の件数が量的に多すぎる。量が多いのは、そもそも国会における委員会の審議時間がかなり長いからである。国会中継を見ている人は分かると思うが、同じような質問を何度も繰り返す議員が結構多い。

 第3に、答弁書の完成に至るまでのプロセスが丁寧すぎる。これは、国会で閣僚が少しでも間違った答弁をすると、野党から手ひどい批判を受けるからだと思われる。

 第4に、これは付録みたいな感想だが、答弁者のアメニティ(居住性)が、質問者に比して著しく劣る。全閣僚出席の予算委員会などを見れば分かるが、閣僚席には小さな机がところどころに置かれているだけで、書類を広げるスペースもないが、質問者席には広い机がある。

 こうしたことになってしまうのは、野党の側が、政策論議ではなく、政府答弁からミスを引き出すことを大きなポイントだと考えているからだと思う。野党は通常の政策論議では、いずれにせよ多数派の与党には勝てない。そこで、国会質問という場を使って、「政府の問題点を究明している」という姿勢をアピールしようとする。当然、質問機会は多いほうが良いということになる。一方で政府の側は、答弁でミスがあると大変だと思うから、念には念を入れた対応を図ろうとするのだ。

世間の反応に隔世の感

 こうした世界で過ごしてきた私からすると、最近の国会待機をめぐる議論には隔世の感がある。私の現役時代には「質問者の事前通告が遅れたので、多くの官僚が無意味な残業を強いられた」ということなどは誰も問題にしてくれなかった。官僚には抗議の手段がなかったから、そもそもそういう実態を誰も知らなかったと思う。

 ところが最近の例を見ると、前述のように、少なくともネット上では、役人に残業を強いたとされる国会議員に批判が集中している。その背景は次の二つだろう。

 一つは、働き方改革の動きだ。民間においても残業時間の削減が進み、ブラック企業への批判が強まっている。同じ流れが官僚の世界にも及んできたのではないか。

 もう一つはネットの力だ。今回の場合は、ある現役官僚の「台風が来そうなのに帰れない」というつぶやき(ツイッター)が、この問題が表面化する一つの原因になった。役所から公式の抗議はできないが、匿名のツイッターなら世間に実情を伝えることができる。かつては存在しなかった大きな力だ。

 日本の官僚機構は、国会答弁の作成という仕事のために、莫大な人的資源、時間資源を使っている。その全部が不必要だとは言わないが、かなりの部分は極めて付加価値が薄く、時間効率の悪い仕事だ。国会答弁を合理化し、官僚がもっとその能力にふさわしい仕事に力を入れることができるようにして欲しいものだ。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。