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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

帰ってきた経済白書

 

2019/11/18

 経済白書の伝統とは何だろうか。最近、このことをしみじみと考える機会があった。きっかけは、鶴光太郎、前田佐恵子、村田啓子の三氏が出した「日本経済のマクロ分析 低温経済のパズルを解く」(日本経済新聞出版社)という本だ。この本は優れた分析を多く含む力作だが、そうした内容面からの評価は別稿に譲ることにして、ここでは、本書を目にして私が考えた経済白書のことを書いてみたい。本書は経済白書をかなり意識したものになっているからだ。

伝統的な経済白書とは

 この本の著者三人はいずれも経済白書を担当する部署で課長補佐を経験している。なお、個人的な話題になって恐縮だが、この三氏は私自身とも関係が深い。鶴氏は、この連載でも触れてきたように、私が課長として93、94年の経済白書を担当した時の課長補佐であった。村田氏は、私が99年に調査局長になった時の課長補佐である。村田氏は、「最新日本経済入門」「貿易の知識」など私との共著がある。今年私は「平成の経済」という本を出したのだが、この時も村田氏は、原稿段階で全体を読んでコメントしてくれたし、前田氏には図表の作成などを手伝ってもらっている。さらに言えば、この三氏は、当日本経済研究センターとの関係も深い。鶴氏は、今年報告書をまとめた「スマートワーク経営研究会」の座長を務めたし、村田氏は、2015年に報告書「老いる都市、『選べる老後』で備えを」をまとめた大都市研究会のメンバーだった。前田氏はつい最近までセンターの主任研究員だった。

 本書の序章に経済白書についての記述がある。著者らは、最近の経済財政白書は、「分析が高度化しており」「アカデミックな水準は以前と比べて随分高くなっている」と評価している。しかしその一方で「政府の『経済(財政)白書』に求められているのは、その時々の最先端の経済学を日本経済に適用できるように徹底的に『咀嚼』『消化』した上で、単純な図に経済の本質を語らせることではないであろうかという思いも強い」と書いている。

 著者らは明確には語っていないが、私から見ると、これは現在の経済財政白書の姿勢を批判しているように見える。私も、近年の経済財政白書は、難しい高度な分析がふんだんに盛り込まれてはいるものの、一般の読者には理解しにくい面が多々あると感じてきた。

 かつての経済企画庁時代の経済白書には、執筆者が是非訴えたいという主張があり、その主張を分かりやすく示すような図が工夫されていたように思われる。だからこそ、経済白書が出ると、多くの経済誌がこれを取り上げて論評し、多くの人が白書の執筆者を講演に招いてくれたのだと思う。

 著者らは「『経済(財政)白書』のパースペクティブは、構造的なテーマを除けば、基本的に過去1年の経済動向である。そのアプローチを1980年代からの30~40年の長期の期間に適用したら日本経済のどういう姿が浮かび上がるかを考えることも我々が意識した立場といえる」とも書いている。私に言わせれば、鶴氏らの著作は、かつての経済白書を現代に蘇らせようとしているのだ。そして私はかなりの程度それに成功していると思った。この本は、現代の日本経済が直面している多くのパズルを説明し、その結果を出来るだけシンプルな形で読者に提供しようとしている。その主張に賛成するかどうかは別として、読者は改めて日本経済について考えを巡らすことになる。これはまさしく、かつての経済白書が担ってきた役割だ。経済白書の伝統が、白書の作業を担った経験を持つエコノミスト達によって引き継がれてきたのだ。私は、本書を読んで「経済白書が帰ってきた」と感じ、とても嬉しかった。

課長補佐の重要性

 ここで上記三人が共通して経験している内国調査課の課長補佐というポジションについての私自身の経験を述べよう。良い仕事をするコツは、良い人を得ることである。経済白書は補佐クラスの3~4人が原案を書く。この原案執筆者に人を得ることが、良い白書を作る上で決定的に重要である。

 では誰がその補佐クラスの人事を決めるのか。役所の人事の決め方にはいくつかの方法がある。一方の極端は「人事当局(秘書課)が一方的に通告してくる(Aタイプ)」というやりかたであり、もう一方の極端は「現場(課長)の方が特定の人を指名する(Bタイプ)」というやりかたである。ただしこれは両極端だから、現実にはこの中間の形を取る。つまり、ある程度の候補者の中から、人事当局と現場の課長が話し合って決めるということになる。

 その時、そのポストの重要性が高いほどBタイプに近くなる。重要なポストであればあるほど、課長が望む人間を配属して、良い仕事をしてもらおうと考えるからである。経済白書は経済企画庁の看板商品だから、その商品を作る内国調査課の補佐は、役所の中でも重要ポストと認められていた。したがって、補佐の人選には、課長の意見が尊重される。ただし、これは課長が積極的に発言した場合のことであり、課長が黙っていると、「特に注文はない」とみなされ、人事当局の方で判断して適当な人間を送り込んでくることになる

 要するに、良い白書を作ろうと思ったら、普段から心がけておいて、補佐が交代するような局面になったら「○×君を補佐として我が課に配属して欲しい」と人事当局に強く言うべきなのである。私は、何回も内国調査課に配属されていたので、こうしたことを経験的に熟知していた。

 例えば、私にはこんな経験があった。一つは、私自身が最初に内国調査課の補佐になった時のことである。当時私は、経済研究所で計量モデルの仕事をしていたのだが、突然内国調査課の補佐への異動を伝えられた。当時研究所で上司であったA氏は私に、「君を取られると我々も困るんだが、内国調査課長が是非君を補佐に欲しいと言ってるんでねえ。それに君にとってもこれは良い話だからね」と言った。つまり、私が補佐になったのは、当時内国調査課長であった横溝氏が私を指名したからであった。また、その人事案にA氏が反対しなかったのは、A氏自身がかつて内国調査課補佐を勤めた経験があるので、そのポストの重要性を良く知っていたからなのだった。

 もう一つは、その1年後の話である。私が内国調査課補佐になった時、筆頭補佐は大来洋一氏(故人)であった。大来氏の任期が近づいたある時、守屋課長が私のところに来て「今、大来君の後任を誰にするか考えているのだが、新保さん、Bさん、Cさんの中で誰が適当だと思いますか」と訊ねたのだった。私は迷わず「それはもちろん新保さんでしょうね」と答えた。そしてその通り、新保氏が補佐になった。これは、守屋課長が私のアドバイスも参考にして新保氏を指名し、人事当局もその希望どおりにしたということである。

 こうした経験があったので、私も普段から「次の補佐を誰にしようか」ということを考えていた。補佐交代の時期が近づいてきたとき、私はかねてから考えていたD氏を人事当局に申し入れた。D氏は当時、エコノミスト的な仕事ではなく、行政的な仕事に従事していたのだが、私はその人物の人柄やエコノミストとしての素質を高く評価していたのだ。人事当局は「いいんじゃないですか。相談してみましょう」ということだったのだが、この人事は実現しなかった。その時D氏が所属していた課の課長が「今、当課は重要な業務の真っ最中であり、この時期にD氏を動かすことはできない」と強く拒否したからである。

 「現場がD君を離さない」と聞いた時、私は「こうして人の運命が分かれるのだな」とため息をついた。かつて私が補佐に指名された時、研究所の上司は「困ったな」とは思いながらも、私の将来を考えて、反対はしなかった。私は内国調査課の補佐となり、3回の白書を書く中でエコノミストとしての力を磨き、最初の著作を出すことができた。今日の私があるのは、この時補佐として内国調査課に配属されたからだとさえ言える。

 D氏はその後、行政的な分野でさらに実績を積み、かなり重要なポストにまで上り詰めている。それはそれで一つの人生だ。しかし、もしこの時、D氏が内国調査課の補佐になっていたら、D氏はエコノミスト的な分野で実績を積み、全く異なる人生を歩んでいた可能性があったのだ。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。