後任選び
2019/12/16
前回は、内国調査課長である私を補佐する課長補佐を選んだ時の話をした。これは「私の思惑通りには行かなかった」ケースである。これを書いていたら、「自分の後任を選ぶ」という時に「思惑通りになった」ケースがあったことを思い出した。ただし、これは、後任の内国調査課長を選ぶという話ではなく、ややわき道に逸れて、日本経済研究センターで、主任研究員としての私の後任がどう選ばれたのかという話になる。
この時難しいのは、具体的な個人名が判明してしまうことだ。前回の課長補佐のケースでも、これを読んだ人から「このD氏というのは○✕氏のことですよね」という(正しい)指摘を受けたりした。ましてや日本経済研究センターで私の後任と言われれば、関係者はすぐに個人名を特定することができる。そこで私は、直接本人から了承を得ることにした。「今度、こういった内容の話を書くのだが個人名を出しても良いか」と本人に訊ね、「どうぞ結構です」という確認を得た。これで安心して書き進めることができる。
雨夜の品定め
私は1987~89年にかけて、経済企画庁から日本経済研究センターに出向し、主任研究員として景気予測に従事していた。当時の理事長は香西泰氏である。私の任期が近づいた時、私は理事長室に呼ばれて、私の後任を誰にするかの相談を受けた。
「秘書課長は、A、B、Cの三君を推薦してきました。この三人が気に入らなければ、それ以外の誰でも結構ですということでした」と香西さんは言った。
(おお、すごいな)と私は思った。要するに、企画庁サイドは、一応リストは出すが、香西さんが指名する人間であれば誰でも良いと言っているわけだ。香西さんの力がいかに大きかったかを如実に示している。
この時リストアップされてきた3人は、いずれも私の1~3年後輩であった。私がこのポストに2年居たわけだから、これは順当な年次割当だと言える。リストを見て、私は、この3人であれば誰もがセンターの仕事を立派にこなせるだろうと思った。しかし、この中で誰が最もふさわしいかを判断するのは難しかった。そこで私は「うーん」と唸りながらしばらく黙っていた。
香西さんは、私が黙っているのを見て「私は3人ともいま一つピンと来ないんです。Aさんはちょっと積極的な姿勢に欠けるような印象があります。Bさんは、皆さん評価が高いようですが、私はどうも議論が表面的な感じがしているんです。Cさんは仕事はできる人だけれど、エコノミストとしてはどうでしょうかね。」
(なるほどよく見ているな)と私は香西さんの人を見る眼に感心した。私は「うーん。そうですねー」と言って、なおも発言は控えた。ことは人の運命に関することなので、発言は慎重にならざるを得ない。
すると香西さんは「私には好みがありましてね」と言い始め、続いて「大言壮語タイプの人は好まないんですよ」とやや謎めいた発言をした。(そうだったのか。私は、全然、大言壮語タイプじゃないな。良かった良かった)と思いつつ、私はなおも黙って聞いていた。そして、「Dさんはどうでしょうかね」と香西さんは言った。D氏も私の後輩であり、年次としては適当だ。確かに、「大言壮語タイプ」からほど遠い。ただ、大言壮語タイプでなければ適任かというとそうではない。センターでは20人近くの研修生をリードして行かなければならない(当時はバブル期の真っ最中であり、短期班だけで20人程度の研修生がいたのだ)。(D氏ではちょっと線が細過ぎるな)と私は思った。「大言壮語ではない」というのは、必要条件ではあっても十分条件ではないわけだ。そこで、今度は「うーん」とやや首をかしげながら唸った。明確に口には出さないが、そこはかとなく否定的な態度を示したつもりである。
すると香西さんは「ちょっと線が細過ぎますかね」と言って、あっさりとD氏の線を引っ込めた。さすがに頭がいい。私の考えを瞬時に読み取ったようだ。
困った香西さんは、「リスト以外に、誰かこれはという人はいませんか。年次にはこだわりません」と私の意見を求めた。そこで私は、本格的に考えることにし、部屋にいったん戻って、机の中から、単に「名簿」としか書かれていない怪しげな冊子を取り出してきた。これは、企画庁のキャリア官僚を入庁年次別に並べ、現在のポスト、生年月日、出身学校をリストにしたものである。
私は、私の1年下の年次から順番にリストを眺めて行き、「年次にこだわらない」ということなので、更に4~5年下の年代まで広げて検討して行った。そして「大守さんはどうでしょうか」と香西さんに言った。大守氏は私より5年後輩である。年次が飛び過ぎているので、普通であれば私の後任になることはあり得ない。
では私はなぜ大守氏を推薦したのか。これは、私が8年前のある出来事を覚えていたからなのだ。
ISバランスと経常収支
81から83年の頃、私は総合計画局の計画課の課長補佐をしていた。このポストは、局の総括補佐であり、局全体の業務を統括する立場にあった。計画局には分野ごとに10人の計画官(課長クラス)がいるのだが、大守氏は、そのうちの計量分析を担当する計量班で副計画官をしていた。
ある時、この計量班が、経常収支の将来見通しについての計量モデルのシミュレーション結果を計画課に持ってきた。計量班は「ここ数年は、石油価格の上昇で黒字が減っていたが、今後石油情勢が落ちつくと、日本のISバランスから見て、黒字は再び拡大していくだろう」と説明した。
皆、なるほどと聞いていたが、私にはかねてからの疑問があったので、この機会に議論してみようと思い、「将来をISバランスで説明するのであれば、過去の動きもISバランスで説明すべきだ。将来はISバランスで説明し、過去は石油価格で説明するのは整合性を欠くのではないか」と言った。
当時の計量担当の計画官であったN氏は、「石油価格が上昇すると、輸入金額が増えて、黒字は減る。ただしこれは短期的な動きだ。中長期な経常収支の動きは、ISバランスの変動の中長期的な動きに基づいて考えるべきだ」とオーソドックスな答えをした。
私はなおも「貯蓄投資バランスは、定義的な関係なのだから、中長期に限らず、短期でも成立しているはずだ。だとすれば、短期的な石油価格の上昇による経常収支の変化も、ISバランスで説明できるはずだ」と主張した。経済企画庁では普通の役所とは違い、この手の経済分析的な議論は、普段の会議でもしばしば登場する。しかしこの時の私の議論はあまりにもマニアックで、かなり空気を読まない議論だったようだ。
部屋中が?マークで一杯になった。ある人からは「小峰さんは何が言いたいのだろう」という?マークが、別の人からは「そんなことを議論して何になるんだろう」という?マークが立ちこめたのだった。つまり、議論に加わっていた人たちのほとんどは、私の疑問が理解出来なかったか、または、理解したとしても、議論するほどの問題ではないと考えたようだ。そのため、私のこの時の疑問は、答えなしで終わってしまった。
翌日、大守氏が、資料を手に再び私のところにやって来た。彼は私の疑問に対する答えを持ってきてくれたのだ。大守氏持参のシミュレーションは、石油価格が上昇した場合の経済の姿を標準ケース(石油価格不変)と比較したものである。計量モデルでは国民経済計算の諸勘定が整合的に計算される。石油価格が上昇すると、当然、石油の輸入金額が増えるから、貿易収支(経常収支も)は黒字縮小の方向に動く。このシミュレーションを見れば、その時ISバランスがどう変化しているかも見ることができるのだ。
そして、そのISバランスの姿を見た時、かねてからの私の疑問は、まるで立ち込めていた霧が晴れるように、雲散霧消したのであった。それは次のようなことである。経常収支の黒字が減少した時、ISバランス上では、「家計の貯蓄超過が減少する」「企業の投資超過が拡大する」「政府の財政赤字が拡大する」という三つのうちのどれかが必ず起きていなければならない。シミュレーションによれば、起きていたのは「企業の投資超過の拡大」であった。
つまりこういうことだ。石油価格が上昇すると、企業にとっての原材料価格が上昇する。この時すぐにコストアップ分を価格に転嫁することはできないので、企業収益が悪化する。一方投資サイドは、短期的にはあまり変化しないので、結果として企業の投資超過幅が拡大するのである。これで、石油価格上昇に伴う短期的な経常収支の変化についても、整合的にISバランスの変化で説明できることが分かった。積年の疑問が解消して私はすっかり嬉しくなった。
大部分の人が、私の提示した疑問を無視した中で、一人大守氏だけは、私の疑問の趣旨を正確に理解して、同じ疑問を共有し、さらには計量モデルを動かしてその疑問点を解明してくれたのだ。この時の経験で、私は大守氏のエコノミストとしての能力の高さと、物事に取り組む積極性を知ったのだった。
香西さんは大守氏のことを直接知っていたわけではなかったが、私の推薦の辞を聞き、大守氏を指名し、それは実現した。その後大守氏はエコノミストとしての実績を積み、やがて内国調査課長となって経済白書を執筆し(その時の調査局長は私であった)、役人を退いてからも各方面で活躍している。
もちろんこの時日本経済研究センターの主任研究員にならなかったとしても、大守氏は同じような道をたどったのかもしれない。しかし、日本経済研究センターでの景気予測の経験は、間違いなく大守氏のその後のキャリア形成を支えたはずだと私は秘かに自負しているのである。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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