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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第80回)

コロナショックは新たな日本の奇蹟を生むのか

 

2020/05/19

 全く世の中は何が起きるか分からないものだ。今年の初めまでは、コロナショックのような歴史的大ショックが発生して、世界経済・日本経済が大混乱に陥るなどとは夢にも思わなかった。今回は、日本経済がこれまで数々のショックにどう対応してきたかを振り返り、その経験をコロナショックに当てはめてみたい。以下、議論がやや厳密性を欠いていることは私も自覚しているが、何分、コロナショックという全く未経験の事象を取り上げているということでご容赦いただきたい。

高度成長を当時の人々はどう受け止めていたのか

 戦後の日本経済は数々のショックを経験してきたのだが、その最大のものは「戦後」そのものであろう。もちろん私自身は何も覚えていないが、終戦直後の多くの日本人は、これからどうやって食べていくのか、日本経済はこれだけの民を食べさせていくことができるのか、途方に暮れたに違いない。当時は、「日本の人口は多すぎる」と考えられており、ブラジルなどに移民を送り出すという政策が進められた。人口が減り、外国人労働力を積極的に迎え入れようとしている現在とは全く逆である。

 私には次のような思い出がある。高校生の時の英語の授業でのことだ(私の高校時代は1962~64年)。immigrationとemigrationという単語が出てきた。共に「移住」という意味だが、immigrationは自国に入ってくる移住であり、emigrationは自国から出ていく移住である。英語の先生は、その覚え方として「immigrationは『忌む』だから入ってくる方、emigrationは『笑む』だから出ていく方」と覚えればいいと教えてくれた。つまり、海外から移住者が来るのは日本にとって困ったことであり、海外への移住者は日本にとって喜ぶべきことというのが常識だったのだ。

 この敗戦ショックを、日本は高度成長という形で見事に克服することになるのだが、どうも日本人の多くは、世界に誇るべき高度成長の中にあっても「日本はまだまだ遅れており、問題だらけ」という意識が強かったようだ。

 私が大学を出て経済企画庁に入ったのは、高度成長末期の1969年である。経済白書を作る内国調査課に配属されたのだが、私が赴任した時には69年の白書はほとんど出来上がっていた。当時の課長は宮崎勇氏(超有名)で、副題は「豊かさへの挑戦」という結構おしゃれなタイトルだった。その白書に次のような記述がある。「昭和30年度以降43年度までをとってみても、年率約10%(実質)の高い成長をつづけている。戦後の荒廃の中で、このように高い成長の持続を予想しえたものはいなかったであろう。それからすでに4分の1世紀が過ぎようとしているが、その間日本経済には、いつも『やがて成長率は鈍化する』という予想が多かった。しかし、事実は反対であった。」つまり、経済白書の記述が多くの人々の認識を代弁しているとすると、多くの人々は、まれに見る期間高い成長が続いていた間にも常に「これは実力ではない。いつかはメッキが剥げる」と考えていたようだ。

 「日本はまだまだ遅れている」という意識も根強かったようだ。この経済白書に「 “2位と20位”の意味」という節がある。その中で白書は次のように書いている。「経済規模において自由世界第2位になった日本経済も、1人当たりの国民所得でみると昭和43年(1968年)には1,110ドル(約40万円)でなお20位前後である。」高度成長の結果、経済規模では第2位になったものの、一人当たり所得はまだまだ低いというわけだ。

 白書はさらに「成長経済の苦悩」という節で次のようにも言う。「高度成長は日本経済の水準を高めるとともに国際的地位を向上させた。‥しかしながら、このような成長過程は、同時に、新しいアンバランスを作り出す過程でもあつた。農業、中小企業の相対的立遅れや消費者物価の上昇にみられるような経済的なアンバランスのほか、社会資本の立遅れ、公害問題などの社会的なアンバランスも生まれ、それらが国民の間の不満や不安感の一因にもなっている。」

高度成長の理由とその世界史的な意味

 もちろんこうした白書の指摘は間違いではない。高度成長の過程で多くのひずみが生じたことは事実だし、解決すべき課題も多く残されていた。しかし、今にして思えば、経済白書の認識(当時の多くの人々の認識)には、次のような重要な点が欠けていたと私は考えている。

 私は、内国調査課長を務めた後の1997年に「最新日本経済入門」(日本評論社)という本を出している。ややわき道に逸れるが、この本は、私が日本経済研究センターで行った日本経済についての連続講義を「経済セミナー」に連載したものがベースになっている。この本はその後、村田啓子氏を共著者に加えて、延々と改訂版を出し続けており、2020年3月に第6版が出ている。

 この本の第2章「戦後日本の経済成長」で、私はそれまでの高度成長論にいくつかの疑問を呈している。その一つは、日本の高度成長の説明が、日本だけの説明(例えば、朝鮮特需など)になっていて、国際的な汎用性を欠いていたことだ。高度成長の最中には、多くの人は、これは日本だけの現象だと思っていたようだが、そうではなかった。日本の高度成長を引き継ぐような形で、70年代以降、台湾、韓国、香港、シンガポールが、さらに80年代に入ると東アジア諸国のタイ、マレーシア、インドネシアなどが、さらにさらに中国が高度成長の道を歩み始めた。こうなってくると、日本の高度成長の説明は、日本だけではなく、これら日本に続いて高度成長を遂げた国にも当てはまるものでなければならないはずだ。私の本では、この点をオーソドックスな生産関数の議論に基づいて、労働力(人口ボーナス)、資本(豊富な貯蓄)、技術(先進諸国へのキャッチアップ)という生産要素の観点から説明している。この説明であれば、後続の国・地域にも適用可能だ。

 もう一つは、日本の高度成長の世界史的な意義を軽視していたことだ。この点について私の本(第6版)では次のように述べている(文体を変えています)。「戦後の日本は、西欧以外の国で初めて自力で経済を発展させ、先進工業国の仲間入りをした。戦後の非先進国の中には『先進国が途上国を搾取するという構造を改めなければ、途上国の発展はあり得ない』『先進国からの援助が途上国の発展のための不可欠の条件である』という考え方があった。しかし日本経済の経験は『やれば出来るのだ』というお手本を示すことになった。多くの国々が『第2の日本』になろうとして、経済開発に力を入れた。‥戦後の日本経済の高度成長は、『奇跡』によって実現したのではなく、他の国々がたどることのできる『経済的メカニズム』によって実現したのである。」

 こうした経験から、やや乱暴だが結論を導いてしまうと、私は次のように考えるに至っている。

 第1に、我々は、特に外部からのショックで国民全員が厳しい対応を迫られるような危機の局面では、全国民一丸となって「火事場の馬鹿力」的な適応力を発揮して、当初考えられていたよりはずっと円滑にその危機を乗り越える傾向がある。ただし、この馬鹿力的な適応力が発揮されるのは「外部からのショック」による危機に限られる。詳しい説明は省略するが、第1次・第2次石油危機への対応(1973年と83年)、円高ショックへの対応(85年)、東日本大震災(2011年)などがそれに当たる。

 ということは、外部からでないショックについては対応がもたつくということである。例えば、バブル崩壊ショックだ。これは日本発の、つまり自分たちで引き起こしたショックなのだが、この処理はうまく行かなかった。不良債権処理、デフレへの対応、働き方改革など、いずれも後手に回っている。財政再建や社会保障改革も進まない。つまり、自分たちで引き起こした問題を、自分たちの間でコストを分け合いながら処理していくというのが苦手なのだ。

 第2に、自らの優れた業績を客観的に分析し、その成果を国際的にPRするのが苦手である。どうも、「自分たちはうまく行っていない(諸外国の方が優れている)」「うまく行ったように見えるのは運が良いだけで、実力ではない」とやや自虐的に考える傾向があるようだ。自らを評価しないのだから、対外的にPRすることもしない。

 さて、ここでようやくコロナ感染症に話が及んでくることになる。私の仮説は、コロナ感染症への対応も外部ショックであり、これも馬鹿力でかなりうまく乗り切りつつあるのだが、自らがそれを十分認識していないというものだ。

コロナ感染症への我が国の対応

 私の仮説は、日本はコロナ感染症の脅威をうまく乗り切りつつあるというものだが、なぜそう言えるのか。これにはしっかりした指標が必要だ。私はその指標としては「人口当たりのコロナ感染症による死者数」が適当だと思われる。我々は何のために厳しい自粛要請に応え、不便に耐えているのか。それは、感染症で亡くなる人を極力減らすためだ。報道などでは「今日判明した新規感染者数は〇人」という数字が前面に出るが、いくら感染者が増えても、亡くなる人がいなければあまり問題にならない。逆に、感染者が少なくても、死亡者が多いのでは何にもならない。必ずしも感染者と死亡者は比例していないので、感染者数を死亡者数の代理(または先行)変数とみなすわけにもいかない。

 その人口当たりの死亡者数を国際的に比較してみよう。内閣府が経済財政諮問会議に提出した資料(5月15日)によると、人口百万人当たりの死亡者数(累積)は、イタリア513.7人、イギリス491.4人、フランス415.7人、アメリカ255.6人、ドイツ94.1人となっているのに対して、日本は異次元の5.4人である。なお、韓国も5.1人と非常に少ない。客観指標で見て、日本は感染症を最小限の被害で乗り切りつつあるということである。

 では、この点を国民の多くは認識しているのだろうか。もちろん知っている人は知っているのだが、報道を見ていても「感染者が増えた(減った)」「これで国内の感染者の合計は〇人になりました」「日本のPCR検査体制は、海外に比べて遅れています」といったことはしばしば登場するのだが、「日本は国際的に見てもかなりうまく乗り切っており、他の国のお手本になっています」という話はほとんど前面に出ない。おそらく多くの人々は余りこの点を認識していないのではないか。日本人でも認識していないのだから、海外の人々が認識していないのは当然だ。だから、日本よりずっと成績の悪い欧米諸国から「日本の外出規制は緩すぎる」「PCR検査をもっと増やすべきだ」等の助言を受けるという、やや不思議なことが起きているのだ。これは、前述の高度成長の中で、「自分たちは世界史的な成果を挙げている」とは夢にも思わず、「まだまだ遅れている」と考えていたのと全く同じという気がする。

 なぜ日本は好成績なのか。その理由について、国際的にも説得的な理由を提示すれば、大きな国際貢献になると思うのだが、そうした議論が少ない。これも、高度成長の中にあっては、自らの成長要因を国際的に説得的な形で示してこなかったということと同じである。

 余談だが、5月14日に、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の副座長、尾身茂氏が記者会見に臨んだ際に、「日本の感染者、死亡者数が米欧と差が大きいのはなぜか」という質問が出た。私はNHKで中継を見ていたのだが、「おお、ついにその質問が出たぞ」と身を乗り出した。尾身氏はこの質問に答えて三つの理由を挙げた。「第1は、日本の医療制度が充実しており、多くの重症者が適切にケアされ、医療崩壊も防げていること、第2に、初期のクラスター対策が有効だったこと、そして第3に、私はこの点が最も重要だと思うのですが、国民の‥」と進んだところで、何とブチッと中継が切れてしまったのだ(見てた人いますか?これはあんまりですよね)。私は、怒りと失望で卒倒しそうになったのだが、気を取り直して、その後ネットで調べてみると「第3は、国民の健康意識が高い」と続いたようだ。

 以下、全く私の専門外だが、世の中では断片的に次のような理由が指摘されている。

BCGワクチン説・・結核を予防するBCGワクチンが自然免疫の力を高めている。尾身先生は前述の会見で、この点についてはまだエビデンスがないとしていたが、支持する専門家もいる。

日本型の対応成功説・・日本では当初から、日本独自の対応をしてきた。PCR検査を抑制気味に運営してきたこと、三密(密閉、密集、密接)を避けるというキャンペーンを展開してきたことなどがある。PCR検査については、一般には「日本は少なすぎるからもっと増やすべきだ」という意見が圧倒的だが、私は「検査が少なかったにもかかわらず、死亡者が少ない」と考えるよりは「検査を絞り、院内感染を防いだからこそ死亡者が少ない」と考える方が自然だと思っている。

充実した医療体制説・・国民皆保険のしっかりした医療体制の下で、医療崩壊を起こさなかった。逆に、欧米で死者数が桁違いに多いのは、医療崩壊が起きたせいだと言えるかもしれない。

日本人の同調的行動説・・日本が進めている外出規制、行動規制は、諸外国に比べると、強制力や罰則がなく、かなり緩いのだが、多くの日本人は自主的に外出を控え、人と人の接触を大幅に減らした。これは前述の「火事場の馬鹿力」に相当するかもしれない。

日本の生活慣習説・・日本では屋内では靴を脱ぐし、普段からマスクを厭わないし、握手・ハグなどの身体接触を伴う挨拶をしない。また、そもそも清潔好きだ。確かに、ニュースなどで、マスクなしで集まっている欧米諸国の様子を見ると、多くの日本人は「マスクしろ」と思っているに違いない。

 高度成長が東アジアの奇蹟を生んだように、我々はコロナ対応で新たな奇蹟を起こしつつあるのかもしれない。そうであれば、是非他の国々でも成果を共有して欲しいし、そうではなくて、単なる偶然、または運が良かったというだけであるなら、これからに備えてしっかり気持ちを引き締めなければならない。いずれにせよ、なぜ日本の死亡者数は少ないのかを専門家の手で科学的に解明して欲しいものだと思う。


※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。