PCR検査は増やすべきか
2020/06/16
前回に続いて、コロナショックについて考えてみたい。途中からPCR検査を増やすことの是非という、専門外の領域に踏み込んで行くことになるが、コロナ危機という緊急性に鑑みてご容赦いただきたい。
コロナショックのインパクトをどう評価するか
前回示した私の仮説は、日本はコロナ感染症の脅威を比較的うまく乗り切っているというものだった。もちろん色々不満を言いたい人の気持ちも分かる。私も日本のコロナショックへの対応については文句を言いたい点はある。しかしこれは何と比較するかだと私は思う。これまでの日本の経験に照らして考えると、今回のショックは前例のないものであり、経済の落ち込みも大きい。しかし、同じことは世界中で起きている。そこで国際比較すると、日本はまだうまく乗り切っている方なのだ。
日本の対応は良い方だという点で、前回示した根拠は、人口当たりで見て、コロナ感染症による死者の数が極端に少ないというものだった。その後の情報を踏まえてこの点を補足しておこう。
まず、明らかに日本における感染症はピークアウトし、急速に終息に向かっている。一般の報道では「新規感染者の増加数」と「累積感染者の推移」がしばしば登場する。「6月13日には、全国の感染者数は42人増えました。これでこれまでに感染した人の累計は1万7154人になります」という具合だ。しかし、私はこの二つは、感染症の広がりを示す指標としては余り適当ではないと考えている。新規感染者数は、日々の変動がかなり大きいし、PCR検査の実施体制にも依存しているので、統計の漏れも大きそうだ。累積患者数はストック変数だが、日々の感染者数を足し上げたものであり、一方的に増え続けるしかないという性格を持つから、毎日これを報道されると、聞いている方は「感染者が増え続けている」という暗い気持ちになってしまう。
ストックを見るのであれば、感染者累計から退院者、死亡者を除いた「現時点での感染者数」の方がまだましだ。日本経済新聞には毎日感染者の統計が公表されているので、私はこの表を使って、ストックの感染者数を自力で計算している。それによれば、5月13日には5355人だった感染者数はどんどん減っており、最新の6月13日時点では828人まで減っている。日本全体では14~15万人に一人だから「ほとんどいない」と言っていいレベルだ。
さらに、医療崩壊を避けるという点では、「現時点での重症患者数」というストック変数を見るべきだろう。これは東洋経済のデータベースで追跡することができる。これによれば、その数は4月30日の328人をピークに減少してきており、6月13日時点では73人だ。
経済へのインパクトの程度も分かってきた。この点についても、日本だけを見ていると、消費が落ち込んだり、雇用情勢が悪化したり、観光・外食産業が大打撃を受けたりと暗い話ばかり目にするが、他の先進諸国と比較してみると話が違ってくる。例えば、1-3月期のGDPの落ち込み度合(前期比年率、いずれもマイナス)を見ると、アメリカ4.8%、ドイツ8.6%、イタリア17.7%、フランス21.4%に対して、日本は2.2%であった。雇用情勢についても、2020年4月の最新の失業率は、アメリカ14.7%、EU7.3%に対して、日本は2.6%である。こうした指標を見ると、他の先進諸国に比べると、日本の経済的打撃は相対的に小さいようだ。
日本は他の先進諸国よりはずっと緩い外出規制で感染症を乗り切りつつあるからこそ経済的打撃も相対的に小さかったと言えそうだ。
日本的対応の評価
さて、こうして日本は比較的うまく行っているということに対して、「どうも我々は、自らの優れた業績を客観的に分析し、その成果を国際的にPRするのが苦手であるようだ」「おそらく日本人自体もこの点をあまり認識していないのではないか。日本人でも認識していないのだから、海外の人が認識していないのは当然だ」と前回書いた。この点については、その後若干の変化があった。
例えば、5月25日に安倍総理が「日本モデル」の成功を讃える記者会見を行った後、英BBCは次のように報じた。「ロックダウンを実施する法的強制力が政府にない中、日本が新型ウィルスの感染拡大を抑制できたことについて、多くの専門家は不思議がっている。日本は世界で最も高齢化が進んだ国だが、その国がなぜ感染者や死者を比較的少なく抑えられたのかも明らかではない」
同じくワシントンポスト紙は次のように報じた。「日本は、ソフトロックダウンを事実上終わらせた。‥これは、政府の命令や法的罰則ではなく、要請、合意、社会的圧力に基づき、ウィルスを封じ込める日本独自のアプローチだが、当初の混乱と安倍政権の広報の失敗にもかかわらず、ある程度成功したものである」
さらに、ウォールストリートジャーナルは次のように報じた。「多くの先進国では最初の波が衰退していることで、多くの専門家は、迅速な対応、ロックダウン、大規模な検査が重要だと指摘している。しかし、日本は別のコースを取り、成功のための別の方程式があることを示唆している」
こうしてみると、海外でも日本がコロナショックをうまく乗り切っていることは認めつつあるが、その理由についてはもう一つ理解できないでいるようだ。
石油危機の経験から考えること
本連載は、日本経済史のコラムであるので、これまでの歴史から、関連しそうなことを述べておこう。それは、日本が石油危機をうまく乗り切ったという経験である。日本は1973年の第1次石油危機で原油価格が一挙に4倍、79年の第2次石油危機でさらに2倍になるという大ショックを受けた。ほぼ石油の全量を輸入に頼っている日本経済にとって、これはそれまで経験したことのないような大変な大ショックであった。当然「これは大変だ」「日本経済は沈没する」という議論が沸き起こり、世の中は悲観一色となった。ところが、当初は確かに物価は上昇し、成長率はマイナスになるという大きな負の影響が出たのだが、結局のところ、日本経済はこの2度にわたる石油危機を他の国々よりもうまく乗り切ったのである。
これがなぜかを解明しようとしたのが、私が1982年に著した「石油と日本経済」(東洋経済新報社)である。詳しい議論は省略するが、この本の中で、私は次のような議論を展開した。
日本は石油に強いのだろうか、弱いのだろうか。「石油に弱い」と考える人は、日本のエネルギー資源の海外依存度が高いことを強調し、石油価格の上昇がインフレや景気後退を招きやすいと主張する。しかし、やや中長期的な視野で考えると、日本は石油危機後他の国より早く経済のバランスを回復している。すると「石油に強い」ように見える。
これは次のように整理できる。石油価格の上昇のような外的ショックに対して経済がどの程度の安定性を保つことができるかについては、二つの安定性を区別する必要がある。一つは、ショックが生じた時に経済のバランスが崩れないという安定性であり、もう一つは、ショックによってバランスが崩れた後、すぐに元のバランスに復するという意味での安定性である。「石油に弱い」という議論は前者の安定性を、「強い」という議論は後者の安定性を問題にしているのだ。
こうして日本経済の強さと弱さを論じた後で、私はこの本の中で次のように述べている「(石油危機への対応が評価される中で)手放しの日本経済礼賛論さえ現れるようになった。日本人そのものの持って生まれた民族性、島国、単一民族という国民的特性によって日本経済の強さを説明しようというのがその例である。しかし、簡単にこうした文化的、民族的資質を持ち出すのは、自信過剰につながりやすく、国際的な対話を拒否することになってしまう。これを防ぐためには、日本経済の弱さと強さの秘密を経済論理の枠組みの中で可能な限り解明してみることが必要だと思う。事実、日本経済の脆弱さ、力強さのかなりの部分は経済的メカニズムの差として説明可能なのである」
コロナショックへの対応についても同じような議論が成立するだろう。コロナ禍はまだ終わっておらず、今後第2波、第3波もありうることを考えると、我々は、日本が緩い規制で感染を防いできた理由を究明し、それを世界に発信していく責務があると言えるだろう。
PCR検査は増やすべきか
さてここでようやく今回の本題である、PCR検査の問題を議論するところまでたどり着いた。これは、コロナショックについても「日本モデル」や「民度」といったあいまいな概念をできるだけ排して、可能な限り経済のロジックに基づいた議論をしようではないかという試みの一環である。
PCR検査については、「日本のPCR検査は諸外国に比べて大幅に立ち遅れている」「コロナと疑わしい状態でもなかなか検査してもらえなかった」といった声が聞かれており、これを受けて「もっと検査体制を充実させよ」「もっと検査件数を増やせ」という声が強まっている。極端な場合には「国民の不安を一掃するために、国民全員を検査せよ」という意見さえ出ているようだ。この問題について考えてみよう。
医療経済学の本を見ていると「ベイズの定理」によって、普通の人が陥りやすい誤解を解くという部分が出てくる。私が最近目にしたものでは、井伊雅子他「新医療経済学」(2019年、日本評論社、32ページ)にこれが紹介されている。この本では次のような例を出している。ある新聞に次のような記事が出た。「公表されているデータによると、子どもがダウン症だった場合、(妊婦の血液検査で)ダウン症と判定できる精度は98.6%だった。反対に、ダウン症でないのに、ダウン症と判定してしまった率は0.2%だった。かなり正確に判定できると言える」というものだ。
さてこの記事を読むと多くの人が「血液検査で陽性だった場合は、かなり高い確率でダウン症」と考えるだろう。ところが、検査が陽性だった時のダウン症の確率は33%であり、10人検査すると7人は間違いとなるのだ。この時、条件付きの確率を計算する際に使うのが「ベイズの定理」である。
しかし、確率論を使うまでもなく、次のように考えれば分かりやすいだろう。今、ダウン症が発症するのは千人に一人とし、百万人の新生児の血液検査を行ったとしよう。百万人のうちダウン症は1000人であり、このうち検査で陽性となるのは986人である。一方、ダウン症でないのは99万9千人だから、このうち検査で陽性になる(偽陽性)のは1998人である。すると、検査で陽性になった人が、真のダウン症である確率は、33%となる。
この考え方をPCR検査に適用してみよう。いま、新型コロナ感染者がPCR検査で陽性と判定される確率を70%、コロナに感染していない人が陰性と判定される確率を99%とする。感染していないのに陽性となる(偽陽性)確率は1%である。
まず、コロナの疑いのある濃厚接触者10万人を検査するとし、これら検査対象者が実際にコロナに感染している比率を50%としよう。コロナ感染者で、検査で陽性となるのは3万5千人、偽陽性は5百人である。検査で陽性となった人で、実際に感染している人の割合は98.6%である。PCR検査はかなり正確であることが分かる。
次に、これを日本人全体に拡張してみよう。今、コロナ感染者の数を37万人(6月13日段階の累積感染者の20倍とした)とする。日本人全体の0.3%である。全員を検査すると、感染者で陽性となるのは25万9千人、偽陽性は119万6千人となる。今度は、検査で陽性となった人で、実際に感染している人の割合は、17.8%となる。陽性となった人の約5人に4人は誤って陽性と判定された人である。
分かりやすく表にしてみよう。
つまり、検査の対象者を非感染者が多いような領域にまで広げていくと、相対的に偽陽性の人がどんどん増えるので、検査の精度が落ちてしまうのである。
以上の簡単な分析から得られる結論は次の通りである。まず、PCR検査は、感染の疑いがある人に絞った場合は、かなり正確な結論が得られる。これまで日本が、他の国よりPCR検査の範囲を絞り気味に運営してきたことは、検査の精度を高く保つことになったはずだ。逆に、他の先進諸国では、検査対象をどんどん広げていったため、偽陽性者が増え、その対応のために病院のキャパシティが足りなくなったのかもしれない。一方、日本の側も、もし医師や保健所の判断で検査が必要と判断された場合は、速やかにPCR検査をすべきである。これまでこれが不十分だったとすれば、早急に検査体制を充実させる必要がある。
しかし、検査対象をむやみに広げていくと、検査の精度が落ち、偽陽性者が大量に発生する。これを治療対象にしてしまうと、病院は資源を浪費することになり、日本でも医療崩壊が起きかねない。これでは国民の不安を払しょくするどころか、不安を大きくしてしまうようにもなりかねないだろう。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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