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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第89回)

奇抜策の系譜 地域振興券の場合

 

2021/02/16

 日本経済はこれまで何度も難しい問題に直面してきた。そんな時、それまで誰も考えたことのないような奇抜な政策が提案されることがある。そのアイディアをひねり出した方々の苦労は大いに多とするのだが、私はこうした奇抜策の多くは失敗だったと考えている。

 私がここで「奇抜だ」と評価している政策は、一般的な評価ではなく、私の個人的な評価である。要するに経済学に基づいたロジックに基づかない思い付きだと私が判断した政策である。その上での私の結論は、やはり経済学の正統的な議論から外れた奇抜策に期待するのはやめた方がいいというものだ。

 私がこうした奇抜策を目にした最初のものは、1994年の羽田内閣が打ち出した「実質所得倍増計画」なのだが、これについては、本連載第72回「物価問題のパラダイム転換(下)実質所得倍増計画」(2019年8月)で書いたので、ここでは触れないことにして、奇抜策第2弾の地域振興券について述べることにしたい。

地域振興券はなぜ効果がないのか

 1998年11月の「緊急経済対策」で、「地域振興券」を配るという前代未聞の政策が決まった。これは、15歳以下の児童のいる世帯、65歳以上の高齢者で一定の条件を満たす人のいる世帯に、一人当たり2万円の地域限定の商品券を配るというものである。予算規模は7千億円である。

 普通に考えれば、政策的に個人の所得を増やす政策は減税である。これは奇抜でも何でもない。それがなぜ商品券なのか。当時の国会論議を振り返ってみると、それは「商品券を配った方が、減税よりも消費刺激効果が大きい」と考えられていたからである。減税は貯蓄に回る可能性があるが、商品券は貯蓄できないので、確実にその分消費が増えるはずだと考えたのである。

 これを見た私は、直ちに「これはとんでもない愚策だ」と思った。理由は簡単で、高校生でも分かることだ(実際に高校生に聞いてみたことがあるから間違いない)。商品券そのものは貯蓄できないのだが、その商品券で、もともと買うはずだったものを買えば、その分お金が浮くから、それを貯蓄に回せばいいのである。もし家計が合理的であれば、減税で所得が増えても、商品券で所得が増えても、同じ割合を貯蓄に回すはずだ。なぜなら、そうするのがその家計にとって最も望ましいお金の使い方であり、その姿を実現することが可能だからだ。

 私は、その後、大学で教鞭をとるようになってから、しばしばこの政策を初歩的な経済学教育の教材として使ってきた。経済学の基本的な教えである「部分均衡的な発想を避けよ」ということを示す格好の実例になっているからだ。部分均衡的な発想というのは、何かが変化した時、その変化した部分だけを見てその経済的影響を考えようとすることだ。商品券を配布した時、その商品券だけに着目すれば、その分確実に消費が増えるように見える。しかし、商品券をもらうと、それまでの消費パターンが変わり、結果的に商品券の一部を貯蓄に回そうとする。すると、商品券の効果はなくなってしまう。経済学はこのように、何かが変化した時には、できるだけその影響を広く考慮して(一般均衡的に)効果を判定すべきだと教えているのである。

 なお、ついでに言えば、地域限定の商品券を配れば、その地域での売り上げが増えるから、地域の振興にもなるという考えも誤りだと私は考えている。これは経済学で言うところの「合成の誤謬」の典型例である。合成の誤謬というのは、一人が行えば成立する命題でも、全員が行ったらその命題は成立しないことを言う。例えば、サッカーの試合を見に行って、よく見えないので立ったら、よく見えるようになったとする。「立つとよく見える」という命題が成立したわけだ。しかし、一人が立つと、その後ろの人が見えなくなるから、その人も立つ、するとそのまた後ろの人も立つ。これが広がっていって、全員が立ってしまったら、「立つとよく見える」という命題は成立しなくなってしまう。

 地域振興券の場合、ある地域だけが商品券を配ると、確かに、それまで隣の地域で買い物をしていた人が自地域で買い物をするようになるから、地域振興になる。しかし、日本全国で同じことをやってしまったら、自地域で買い物が増える分と、隣の地域の人の自地域での買い物が減る分とが相殺されてしまうので、地域振興効果は消えてしまうのだ。

 つまり、この時の地域振興券配布政策は、一つの政策の中に「部分均衡的な発想」と「合成の誤謬」という二つの誤りが含まれているわけで、経済学の教材として非常にうまくできているのである。

地域振興券の消費刺激効果をめぐる出来事

 さて、こういう政策的誤りに気が付いた時、私はどう行動すべきだっただろうか。「政府のエコノミストとして間違いに気が付いたのであれば、それを主張して、間違った政策の実現を阻止すべきだ」という意見を持つ人もいるかもしれないが、それは無理というものだ。政府全体が組織として決定した政策に対して、責任者でもないポジションの人間が口をはさむことはできない。そんなことを許していたら組織として収拾がつかなくなる。できることといえばせいぜい、周りの同僚と「この政策はおかしいよね」と雑談の種にするくらいだ。事実、これは雑談の種になったのだが、多くの同僚は私と同意見であった。

 ただ、私には「匿名で意見を述べる」という手段があった。当時私は、某媒体に定期的に匿名のコラムを書いていた。このコラムは私の身の回りの人たちも読んでいて、いつの間にか「このコラムの筆者は小峰だ」ということが知られるところとなっていた。当時の経済企画庁の幹部も薄々知っていたと思う。私は、このコラムに早速、地域振興券は愚策であるという趣旨のことを書いたのだが、特に誰からも何も言われなかった。もちろん実名で書いたら大騒ぎになっただろう。当時の経済企画庁には、「官庁エコノミストであるからには、(匿名であれば)これくらいのことを書いてもかまわない」というおおらかな雰囲気があったのである。

 ところが、この地域振興券問題はそれだけでは済まなかった。私は、翌99年7月に調査局長となった。ここから私自身が地域振興券問題に関わることになったのだ。その経緯は次のようなことであった。

 当時、この政策を熱心に進めたのは党幹部の実力者N氏だったのだが、N氏は、一部の新聞や評論家が「地域振興券の消費刺激効果は小さい」という議論を展開しているのが不本意だったようで、「地域振興券の効果について、政府がきちんと調査すべきだ」と言い出した。

 党の実力幹部の注文なので、政府としても無視することはできず「では調査しましょう」ということになったのだが、問題は「どこの誰が調査するか」ということだ。見渡したところ、それは経済企画庁の調査局が適任であるように見えた。調査局は日本経済全体の動きを調査するのが仕事なのだから、多くの人がそう考えたのも無理はない。そこで自然の流れとして、私が局長を務める調査局にその仕事が下りてきたのである。

 企画庁の幹部をはじめとして、多くの私を知る人たちは、「地域振興券は愚策だと批判していた小峰が局長を務めるところに、地域振興券の調査をやらせて大丈夫なのか」と心配したようだが、「小峰も馬鹿じゃないから何とかするだろう」と考え(ここは私の想像です)、そのまま調査局に仕事が下りてきた。

 この調査にはちゃんと予算もつけてくれたので、調査局ではアンケート調査票を設計し、実際に商品券を受け取った人たちが、それをどのように使ったのかを調べた。調べてみるといろいろ面白いことが分かったのだが、ここでは肝心の消費をどの程度引き上げたのかの部分だけ紹介しておこう。調査では、商品券による消費を「振興券がなければ購入しなかったもの」と「振興券がなくとも購入したもの」に分けて答えてもらった。前者は消費の純増になった分であり、後者は実質的に貯蓄に回った分となる(実際の質問はもう少し複雑だが、ここでは簡略化して示している)。その結果は、消費の純増になった分は約3割であった。残りの7割は貯蓄になったということである。

 その後、この調査をもとに更に分析が加えられており、その消費刺激効果は減税とほぼ同じという結論が得られている。私はこの結果を見てちょっと感動してしまった。私は、頭の中で、「家計が合理的であれば、減税と商品券の効果は同じになるはずだ」と考えていたのだが、実際にどうなるかは別問題だと考えていた。ところが調べてみると、減税と商品券の効果は同じとなり、家計は実に合理的に行動していることが分かったのである。わざわざ商品券にする必要はないという当初の私の議論は全く正しかったのである。

 さて問題はこの結果をN氏にどう説明するかということだ。私は、調査結果を携えてN氏の元に行き、「商品券のうち3割は消費を刺激する効果がありました」と説明した。N氏はこれを聞いて「そうですか、やっぱりある程度の消費刺激効果はあったのですね」と言い、満足そうな様子であった。私はここで話を切り上げてさっさと帰ってきたのだが、実は、この時私はかなり危ない橋を渡っていたのである。もしN氏がこの結果を見て「減税より効果は大きかったのですか」と聞かれたら、ちょっとピンチだったからだ。嘘をつくわけにはいかないから、そう聞かれれば私は「減税とほぼ同じ効果でした」と答えざるを得ない。しかしその答えは、商品券配布政策そのものを否定することになる。もともと、この政策は、減税よりも消費刺激効果があるという触れ込みで実施されることになったものだからだ。全く危ないところだった。下手に答えてN氏の逆鱗に触れていたらどうなっていただろうか。

今も残る奇抜策の系譜

 読者の皆さんは、今回私が説明した、商品券についての説明をどう思うだろうか。「そんなこと言われなくても分かるよ」と思ったかもしれない。しかしそうでもないのだ。全く同じような発想は今に至るまで続いているのだ。

 実例を示そう。中央公論の2021年3月号に、池上彰氏と佐藤優氏による「菅総理の欠点は日本人の欠点」という対談が掲載されている。この中で、次のような部分がある(敬称略)。

佐藤「‥私は今からでも遅くないから、また全国民に10万円を配るべきだと思うのです。ただし、現金ではなく使用期限付きの金券にします。」

池上「急いでいたから仕方がないとはいえ、前回の銀行振り込みというのは、賢いやり方ではありませんでした。振り込まれたお金を使うためには、わざわざ下ろしに行く必要があります。だったら今は我慢しようか、というマインドになりますよ。」(本筋からそれるが、今時、お金を使うためにいちいち銀行に下ろしに行く人がどれだけいるのだろうか?)

佐藤「将来に対する不安があるからなおさらそうなるのです。野村證券が総務省の公表している『家計調査』などを基に試算したら、なんと前回配った10万円のうち1万円程度しか消費に回らなかったそうです。経済効果はほとんどなかった可能性があります。でも、金券にすれば話は別でしょう。ずっと手元に置いておいたら、紙くずになってしまうのですから。」

池上「(途中略)‥必ず使われる金券を配るというのは、グッドアイデアだと思います。」

 当代一流の評論家でもこう考えるのだ。私は、前述の理由により、これは全くグッドアイデアではないと思う。こういう主張をする人は、それが国民をごまかそうとしている政策だということに気が付かないのだろうか。国民は、銀行に振り込まれると、将来不安で消費しないが、金券で配られると、消費すると考えるのは、同じお金でも配り方を変えれば国民は行動を変えると考えていることになる。しかし、地域振興券の分析で示されたように、国民は合理的に行動する。将来不安があって消費が増えないのはその通りだと思うが、であれば金券で受け取っても同じように消費を増やさないだろう。

 国民を信頼しているのであれば、目先のお金の渡し方で国民の行動を変えようとするのではなく、将来不安をなくして、国民が安心して消費できるような環境作り上げることが経済政策の王道なのではないか。国民をごまかそうとしている。これが私が奇抜策を嫌う最大の理由である。



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。