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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第90回)

官から見た国会と民から見た国会

 

2021/03/15

 私は、2月24日に衆議院予算委員会の公聴会に参考人として出席した。この時の意見陳述で使用した資料の全文は、note(https://note.com/tkomine/n/nfdd5c222ceda)で公開したので、関心のある向きはそちらを見て欲しい。

 私は、長かった役人時代にも国会とかかわってきた。今回は、民間人として国会で意見を述べる機会を得た。面白いことに、役人の目から見た国会と、民間人の目から見た国会はかなり印象が異なる。考えてみたら、この両方の視点を経験した人間は結構少ないかもしれないので、参考までにこの違いについて考えてみたい。

役人の目で見た国会

 役人の目から見た国会は、一言で言えば「煩わしい」に尽きる。

 そもそも論になって恐縮だが、日本における役人と国会との関係を整理しておこう。行政の仕事は、種々の政策を立案しそれを実行することである。そのためには、予算を組んでそれを執行する必要があるし、場合によっては立法措置も必要になる。予算の具体的な姿を描いていくのは役人の仕事である。法律を作るのは本来は国会の仕事だが、日本では政府提案の法律が多く、その内容は役人が練り上げていくことが多い。

 しかし、予算も法律も、最終的には国会の議決を得る必要がある。役人は国民に選ばれているわけではないから、これは当然のことだ。役人の側からすれば、せっかく予算や法案を練り上げても、国会で通らないと元も子もないので、国会議員に働きかけて、内容を理解してもらい、賛成してもらう必要がある。これがいわゆる根回しである。これが煩わしい。

 私は、経済分析の仕事が長く、この分野では根回しの必要性は少なかったので、あまり経験はないのだが、他省庁(国土庁や国土交通省)に出向していた時に、根回しに従事したことがある。法律を通そうとするときには、関連委員会の所属議員は当然のこととして、関心がありそうな議員にも説明に回る。中には「どうでもいいよ」という無関心議員や「君たちが丁寧に考えた末の法案なのだから任すよ」という反応の議員もいるから、根回しの数は明らかに多すぎる。

 にもかかわらず多くの議員を回るのは、少しでもリスクを小さくしたいからである。というのは、説明を省いた場合「自分は聞いてない」と言ってごねる議員が、一定割合で存在するからだ。それが10人に一人だとしても、事前に誰がその10人に一人かは分からない。するとどうしても10人全部に説明しておこうということになるのだ。

 役人の側では、手分けしてこの説明に臨むことになる。この時、議員の重要度に応じて説明者のランクを決める。与党の幹部クラスや当該分野の実力者のところには局長、その下のランクが審議官、次が課長、その次は課長補佐という具合である。野党の場合は与党よりも説明者のランクが一段階下がる。この説明者のランクを決めるにも神経を使う。派遣する役人のランクを間違えると、「前回は局長が来たのに、今回は審議官か」「〇〇(議員の名前)のところには審議官が来たのに、私のところには課長か」という反応を招くからだ。

 なお、93年8月に、非自民8党派の連立内閣(細川首相)が成立して、自民党が下野したことがある。この時、自民党が野党になったので、役人の説明者のランクが一段下がった。自民党議員はこれで「なるほど野党とはこういうものか」ということを実感したと言われている。自民党は、翌94年6月に、何と社会党と連立して、当時社会党党首の村山富市氏を総理に担ぐという、にわかには信じられないような奇手によって政権を奪回している。味わった野党の悲哀から何としても抜け出したかったのかもしれない。

 国会答弁の準備も煩わしいものの一つだが、これについては、本連載「国会答弁が完成するまで」で詳しく書いたことがあるので、ここでは省略する。

 長い間役人をやっていると、こうした根回しや国会答弁の際に、不愉快な経験をしたことが何度か必ずあるものだ。私もある。頭ごなしに乱暴な言葉を浴びせる、無茶な要求を持ち出す、誤解を解こうとしても聞く耳を持たない。数えていくときりがない。ついでに、国会の職員の対応でも不愉快な思いをすることもあった。国会議員が役人を見下した対応をしていると、自然に国会の職員も役人を見下すようになるのだ。

 役人がこうしたことにひたすら耐えて、低姿勢を貫くのは、組織に迷惑がかかるからだ。自分の対応がまずくて、予算や法案審議に障害が出ると大変だ。それだけは何としても避けたいのだ。

 結論としては、要するに役人から見た国会のイメージはあまり良くないのだ。

民間人の目で見た国会

 その後私は役人を辞めて、大学の教員となった。国会との関係はほとんどなくなったのだが、参考人として意見を求められるという機会が何度かあった。今回、この原稿を書くために調べてみたら、私はこれまでに5回、国会に呼ばれて意見を述べている。今回は6回目である。結構多いので自分でもやや驚いた。リストアップすると次のようになる。

 ①2006年2月15日「参議院少子高齢化に関する調査会」参考人
 ②2009年2月18日「参議院国民生活・経済に関する調査会」参考人
 ③2011年6月16日「参議院日本大震災復興特別委員会」参考人
 ④2012年6月8日「衆議院社会保障・租税特別委員会」参考人
 ⑤2015年3月4日「参議院デフレ脱却及び財政再建に関する調査会」参考人
 ⑥2021年2月24日「衆議院予算委員会公聴会」参考人

 こうした参考人の意見陳述とはどんなものなのか。本年2月の衆院予算委員会を例に説明しよう。

 この公聴会では、4人の参考人が出席し、最初に各自が20分ずつ所信を述べる(計1時間20分)。その後、各党を代表する6人の議員からの質問を受ける(各党15分ずつで計1時間半)。所要時間は2時間50分である。休憩はない。国会質疑の場合は、事前に質問通告があるが、参考人への質疑については、事前通告はない。参考人の側からすると、いつ誰からどんな質問が飛んでくるか分からない。

 さて、こんな経験をするうちに、私は、自分がこの参考人の立場を楽しんでいることに気が付いた。結構好きなのだ。理由は、役人時代のように気を使う必要はなく、自由で率直な議論ができるからだ。質問通告がないから、どんな質問を受けるか分からないが、それはそれで結構スリリングで面白い。自分の専門分野について意見を言うわけだから、どんな突然の質問でも、大体は答えられる。どうしても答えられなかったら「知りません」といえば済む。国会議員の側が間違っていると思ったら、遠慮なくそれを指摘してもかまわない。これには実例がある。

 2006年の少子高齢化に関する調査会に呼ばれた時のことである。質疑の中で、ある議員から「保育園が利用しやすくなるのもいいんですが、やはり子供は幼児期には母親の手元で、母親が愛情をもって育てるのがベストだと思うんです。それが少なくなったことが、最近非行が多くなっている一つの原因ではないかと思いますが、いかがですか」という質問が出た。これに対して私は、「保育園に預けたからといって、母親の愛情豊かな子育てができないということはないと思います。逆に、保育園に預けなければ、必ず母親が愛情豊かに育てるとも限りません。結局、保育園に預けても預けなくても、母親が愛情豊かに育てるチャンスは同じですし、預けても預けなくても非行に走るリスクは同じだと思います」と答えた。この答えは、要するに質問者の意見を全否定しているわけで、役人時代であったらとても考えられない答えぶりである。

 また、本年2月の予算委員会の参考人の意見陳述の時に、私は、次のようにGoToキャンペーンを批判している。現在の状況では、外食や旅行などの対面型サービスは、コロナの感染を広げるという意味で外部不経済に相当する。教科書的には、外部不経済には、そのサービスに課税して需要を抑制するか、生産の抑制に協力した生産者に補助金を出すという方策が考えられる。現在、飲食店に支払われている協力金は、この補助金に相当する。しかし、GoToキャンペーンは、外部不経済の増大に補助金を出していることになるので、不適当である。机上の空論を言わせていただければ、外食や旅行に課税して、その財源で関係業者を補助するのが最善の策である。

 これも役人だったら絶対にありえない発言だ。出席している議員の中には、GoToキャンペーン推進派の議員もいるから、気を悪くしたかもしれない。また、このコロナ禍の中で増税を提案するなどもっての外だと怒る議員もいるだろう。しかし、こちらは民間人で国会議員の受け止め方を気にする必要はないのでこういう発言も可能なのだ。

官の目と民の目の差はなぜ生まれるのか

 こうして、役人時代は煩わしくて好きになれなかった国会との対応が、民間人になると結構楽しいものに変わったのだ。なぜこのような違いが出たのだろうか。

 最大の違いは、本音ベースで議論できるかどうかだ。役人時代に接した国会では、野党が政府・与党を追及し、問題点を指摘する。政府サイドは、とにかく問題が起きないように答弁を準備するのに心血を注ぐ。双方向の議論ではなく、攻撃と防御という感じになる。これはちっとも面白くない。しかし、民間人であれば、質問者が不愉快な思いをしてもしなくても、自分の考えを自由に述べることができる。

 もう一つ違うと思ったのは、民間人として国会に行くと、民間人の側も国会の側も相応の礼儀をわきまえた対応をすることだ。民間人の側は、国権の最高機関である国会に敬意を払い、意見を述べる時には最初に誰もが「本日はこうして意見を述べる機会を与えていただき、ありがとうございます」と礼を述べる。質疑になって質問された時も「質問ありがとうございます」と言ってから答える場合が多い(そうしない人もいるが)。

 国会の側も、冒頭、委員長が立ち上がって「本日はお忙しい中を出席いただき大変ありがとうございます」と礼を述べる。質問に立つ各党の議員も「参考人の皆さん、本日はご意見を賜り誠にありがとうございます。○○党を代表して、いくつか質問をさせていただきます」と丁寧である。

 参考人の側も国会の側も、こうした発言は、半分は儀礼的なものだが、半分は本当の気持ちだと私は思う。私自身の場合も、多くの専門家の中から、国会に呼ばれたということは大きな名誉であり、自分の意見を聞いてもらえることは大きな喜びである。だからこそ、多くの参考人は、直前の招集にもかかわらず、出来るだけ予定をやりくりして出席する。私の場合、大学の試験の日程と重なったことがあったが、大学サイドも「国の仕事は最優先で」という姿勢で出席を認めてくれた。誰でも、自分の知識や考えが、国の政策の参考になることは嬉しいものなのである。

 私は、大学の授業(財政論)で、何度か、参考人として出席した時の国会動画を上映したことがある。動画のいくつかは、国会のアーカイブにアクセスすれば、今でも見ることができるのだ。これを見た学生諸君の感想を聞いてみると、「国会でこのようなまともな議論が行われているとは知りませんでした」という反応が返ってくる。無理もない、国会審議の映像といえば、野党が猛烈に閣僚を攻め立てている場面が多く、ひどい時には強行採決で乱闘ということになるのだから。

 私は、何とかして、与野党間の議論が、今回示した官から見た国会と民から見た国会の中間くらいにはならないものだろうかと考えることがある。質問に答える閣僚は、所管分野についての十分な知識を持ち、質問に対して自分の言葉で答弁する。質問する方も、相手のミスをほじくり出そうとするのではなく、自らの立場を示しながら政府側の考えをただすようにできないか。

 また、与野党ともにもう少し礼儀をもって接することはできないのかとも思う。与党は、国会の場で自らの考え方を示すことができるのだから、積極的に国民に語りかける。野党は、閣僚が忙しい時間を割いて審議に出席していることを評価した上で、同じような質問は繰り返さず、効率的に議論を進めるようにできないものかと思う。

民の目から見た国会対応の疑問点

 最後に、せっかくの機会なので、やや蛇足気味ながら、民の目で見ても国会側の対応にはいくつかの疑問点があるということを述べておきたい。

 第1は、拘束時間のことだ。前述のように、参考人の側は、3時間座りっぱなしで、いつ質問が飛んできてもいいように集中していなければならない。一方、質問者の国会議員の方は、自由に席をはずして出入りしている。こういう予定を決める時に、「参考人の皆さんも長時間で疲れるだろうから、途中で5分程度休憩を入れたらどうか」という提案がどうして出ないのか不思議である。

 第2は、事前に参考人には「質問者への逆質問はできないことになっています」という注意がある。参考人の方から国会議員側に「それはどういう意味ですか」とか「ではあなたはどう思うんですか」といった質問をしてはいけないということである。これは、国会の質疑ではおなじみのルールである。質問された閣僚が逆質問してはいけないことになっているのだ。それは分かるとして、同じことを民間人に従わせるのはどうだろうか。民間人の側も、そのくらいの礼儀はわきまえているから、言われなくても、質問者が困るような逆質問をするはずがない。これは、民間人の良識に任せてもいいのではないか。

 第3は、準備する資料をどちらが準備するのかということだ。かなり細かい話になって恐縮だが、神は細部に宿るというから書いておこう。

 公聴会の出席が決まった後、予算委員会の事務局から連絡がきたのだが、その中に資料の配布についての説明があった。それには、「資料配布を希望される場合、原則として、ご自身で100セットご用意していただくことになっていますが、」とあるではないか。これには驚いた。私はコロナ禍で自宅に籠っているので、100セットなんて準備できない。では資料は出さないことにしようと思ったが、これには続きがあり、「資料原稿のデータを、PDF等で‥(アドレス)‥まで事前に送信いただければ、当方でプリントアウトとカラーコピーを致します。送付の期限は〇日です。」となっていたので、やれやれと思ったのだった。

 しかし、これは書き方に問題がある。この書き方だと、「資料は発言者が準備する」がデフォルトになっているように受け取られて感じが悪い。結果は同じなのだが、「配布資料については〇日までにデータでお送りいただければ、当方で印刷配布します。それ以降になる場合は、恐れ入りますがご自分で100セット準備していただくこととなりますので、よろしくお願いいたします」とすれば、今度は事務局が準備するのがデフォルトに感じられるから印象がだいぶ違う。

 国会対民ではなく、民対民の世界であれば、人を呼んでおいて3時間休憩なしに質問攻めにしたり、「質問に答えるだけで、こちらに逆質問はしないでください」と言ったり、「資料はそちらで準備して持ってきてください」などと言うはずがない。国会の対民間の姿勢にはまだ改善の余地がありそうだ。



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。