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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第92回)

東京五輪について考える(上) 五輪の経済効果をどう考えるか

 

2021/05/17

 東京オリンピック・パラリンピック(以下「五輪」)の開催予定時期が近づいてきた。五輪については、その経済効果についても関心を抱いてきたし、私自身、1964年の東京オリンピックを実体験しているので、いろいろ言いたいことがある(64年の話は次回になります)。

2020オリンピック・パラリンピックの影響

 これまで、2020年の東京五輪は、景気に大きな影響を及ぼすと考えられてきた。2020東京五輪の開催が決まった直後には、五輪の関連需要増によって景気にプラスだという議論が盛んに行われた。同じことの裏返しだが、五輪が近づいてくると、今度は「東京五輪が終わると景気が悪くなるのではないか」という議論が盛んになった。

 私は、大学で長年、日本経済論の講義を担当してきた。この講義では、最新の景気情勢や今後の景気の展望を紹介するのが常であった。話はわき道にそれるが、大学の講義で最新の景気情勢を取り上げることは少ないのではないかと思う。最新の情勢を講義するためには、最新の情勢を調べておかなければならないのだが、経済は日々刻々変化するので、せっかく調べても、話がすぐに古くなってしまうし、学術論文の材料にもならないからだ。

 話を戻すと、2~3年前学生諸君に景気の話をして、「何か質問はありますか」というと、かなりの確率で「東京五輪が終わると景気が悪くなるという話を聞きますが、本当ですか」という質問が出たものだ。おそらく、自分たちが卒業する時に、五輪後の不況に直面したら大変だと思ったのであろう。

 ところが、最近時点では、東京五輪と景気との関係はほとんど話題にならなくなった。当日経センターのESPフォーキャスト調査では、2カ月に1度、景気のリスク要因についての質問をしているのだが、最新時点の5月調査では、34人が「新型コロナウィルスの感染状況」と答えたのに対して、「オリンピックの再延期・中止」を挙げたのは3人だけだった。もはや五輪が延期や中止になっても、景気に大きな影響はないと考えられているのだ。

 これはもっともな話だ。五輪がもはや景気とは無関係だというのは、次のような理由があるからだ。第1に、コロナというもっと大きなリスク要因があるから、五輪はすっかり影が薄くなってしまった。第2に、五輪が景気にプラスだと考えられていたのは、スタジアムや選手村の建設などの事業が需要を底上げするからなのだが、これらの施設の建設はとっくに終わってしまっている。第3に、海外から大勢の観戦者がやってくるということも景気のプラス要因と考えられていたわけだが、コロナの現状を見ると、五輪を開催してもしなくても海外からの訪日客が大幅に増えるとは考えられない。

 このように考えてくると、五輪と景気の関係があまり話題にならなくなったこともうなずけるだろう。しかし、もっと本質的な問題がある。私は、そもそも五輪が予定通りフルスペックで開催されたとしても、その経済効果はそれほど大きくないと考えていたからだ。

そもそも五輪の経済刺激効果は大きかったのか

 では私はなぜ、五輪の経済効果に懐疑的だったのか。その一つの理由は、通常行われている経済効果の計算手法に疑問があったことだ。その疑問は二つあるのだが、これを考える材料として、五輪の経済効果についての公式の試算である「東京2020大会開催に伴う経済波及効果」(東京都オリンピック・パラリンピック準備局、2017年4月)を取り上げてみよう。

 この中に、需要増加額の計算として「東京2020大会開催に伴う東京都の需要増加額は、直接効果で約2兆円、レガシー効果で約12兆円、合計で約14兆円」という記述がある。このうち「レガシー効果」というのは、五輪開催に伴って、後々まで残る効果のことで、国際ビジネス拠点の形成、中小企業の振興、ITS・ロボット産業の拡大などを見込んだものだが、これはあまりにも漠然としているので、申し訳ないが相手にしないことにする。問題は直接効果の方だ。その中身は、新国立競技場などの施設整備費、観戦者の消費支出(交通費、宿泊費など)、五輪関連グッズの売り上げ、テレビの購入などを積み上げたものである。一般の人が、五輪の経済効果として思い浮かべるのはこうした需要増であり、最も分かりやすい効果だろう。

 ところが私はこれに異論があるのだ。「部分均衡的だ」というのがその理由だ。例えば、五輪を観戦するために新しい4K対応のテレビを購入したとしよう。これは消費の純増になるだろうか。これが需要拡大になり、成長率を押し上げると考えている人は、暗黙のうちに「テレビ以外の消費は不変」という仮定を置いている。これは怪しい。例えば、今年は五輪があるからボーナスでテレビを購入したとしよう。もし、テレビを買わなければ、この家計は、その分を別の消費(例えば、家族旅行)に振り向けていたかもしれない。すると、五輪の影響は、消費の中身が家族旅行からテレビに振り替わっただけであり、ネットで見れば消費は増えていないかもしれない。

 実例もある。五輪の効果の一つは、海外から観戦客がやってきて、国内でお金を使うことである。これは、日本にとっては輸出の増加になり、特に部分均衡的な考え方ではないように見える。ところがそうでもないのだ。イギリスのOffice for National Staticsが出した” Visits to the UK for the London 2012 Olympic Games and Paralympics”によると、ロンドン五輪の期間中、確かにロンドンへの観光客は増えたのだが、ロンドンでの全体としての宿泊客はほとんど増えなかったという。これは、観光客が増えた分、ビジネス客が減ったからである。ビジネスパーソンたちは、「この時期にロンドンに行っても、オリンピックで仕事にならないし、ホテルも取れないだろうから、ロンドンに行くのは後回しにしよう」と考えたのだ。すると、海外観光客の増加を期待するのも部分均衡的だということになる。

 こうして見ると、多くの人が考えている五輪による需要誘発効果というのは、そのかなりの部分が部分均衡的な考え方に基づいており、ネットで需要を増やす効果は意外と小さいというのが私の考えだ。

 さて、五輪の経済効果の計算についてのもう一つの疑問は「生産誘発額」という発想に関するものである。前述の、波及効果についての報告書の中に、「東京2020大会開催に伴う経済波及効果(生産誘発額)は、東京都で約20兆円、全国で約32兆円」という記述がある。この生産誘発額に関しては、私にとって歴史があるので、ちょっと話が長くなる。

生産誘発額とは何か

 私の最初の著書は、1980年(おお、もう40年以上前だ)の「日本経済適応力の探求」(東洋経済新報社)という本だ。当時私は、公共投資の経済効果についてマニアックな関心を持っていた。この本は、私の内国調査課の課長補佐時代に手掛けた経済分析に基づいているのだが、内国調査課の前に私は、経済研究所で計量モデルを使った分析に従事していた。したがって、私にとって、公共投資の経済効果として真っ先に頭に浮かぶのは「公共投資の乗数」であった。公共投資を行うと、その追加的な需要が所得を生み、さらに追加的な需要増を生み出すから、1単位の公共投資は、回り回って1単位以上のGDPの増加を生み出す。これが乗数の議論である。

 ところが似たようなものとして「生産誘発効果」というのがあった。これは、産業連関表を使って、1単位の公共投資が行われた時、「橋の建設→鉄骨やコンクリートの投入」といった具合に、関連産業への波及がどの程度になるかを計測したものである。公共投資に関連して当時議論になっていたのは「公共投資の中身が、高速道路などの産業関連社会資本から公園などの生活関連社会資本にシフトすると、公共投資の生産誘発効果が小さくなる」というものだった。確かに、公共投資の生産誘発係数(1単位の公共投資によって、何単位の生産額が増えるか)は、高速道路(産業関連の代表)の2.29に対して、公園(生活関連の代表)は2.07であった。

 私は、計量モデルの乗数と産業連関表の生産誘発係数はどこが違うのかを懸命に考えた。考えに考えた末、大変なことに気が付いた。それは、付加価値ベースで考えると、乗数は大きければ大きいほど経済効果が大きいが、生産誘発係数についてはその大小に関わらず、追加的な経済効果はゼロということだ。この点について、私の著書の中では次のように書いている。

 「(産業連関表の)誘発係数が大きければそれだけマクロ経済に及ぼす影響も大きいように見えるが、実はそうではない。なぜなら、産業連関表でいう生産額とは、中間取引を全部加えたグロス(粗)生産額であり、付加価値で測ったネット(純)生産額は(したがって生み出される所得も)最終需要と同じ1単位しかないからである。誘発係数が大きいということは、1単位の最終需要によって産み出される所得がたくさんの産業に、少しづつバラまかれるということであり、それが小さいということは少数の産業に多くの所得がバラまかれるということなのである。したがって、誘発効果の大小にかかわらずGNP(当時は、GDPではなくGNPが基準だった)への影響は全く同じなのである。」

 これは考えてみれば当然のことである。乗数の場合は、第1段階の所得を受け取った経済主体が、それを使うのだから、付加価値は増えていく。しかし、産業連関表の生産誘発効果については、とにかくお金を支出したのは当初の公共投資の額しかないわけだから、資材や部品の調達・発注を繰り返しているうちに、全員の分け前が増えるということはあり得ないのだ。

 私は、自分自身のこの発見に大変驚いた。「こんな世間の常識を全否定するようなことを言っていいのだろうか」とさえ考えた。「この点を誰も指摘しないということは、もしかしたら私の考えの方が間違っているのかもしれない」とも思った。

 なぜこれほど驚いたかというと、この私の考えを各方面に適用してみると、多くの人が正しいと思いこんでいる常識的な考えが、次々に否定されてしまうからだ。公共投資については、前述のように、生産誘発係数に基づいて「生活関連よりも産業関連社会資本投資の方が経済効果は大きい」「土木工事よりも、パソコンを学校に配布したほうが経済効果は大きい」といいう議論を展開するのはすべて誤りだということになる。

 否定される常識はもっとある。この点については、1997年に上梓した私の「最新日本経済入門(第1版)」(日本評論社)で次のように書いている。

 「イベントの経済効果にも生産誘発係数はしばしば使われる。『ワールドカップを開催すると、何兆円の生産誘発効果がある』という議論である。これも、イベントの経済効果は、イベントによって実現する最終需要の大きさ(公共投資、個人消費など)によって測られるべきであり、誘発される生産額の大小を議論してもマクロ経済全体としては無意味である(個々の産業にとっては意味があるが)。

 同じ論理によって、『すそ野の広い産業が経済効果が大きい』という主張も否定される。しばしば自動車産業は関連産業が多いから経済全体に及ぼす影響が大きいという指摘がある。しかし、同じ金額の最終需要に対応するのであれば、自動車産業でもレジャー産業でも経済効果は同じである。自動車産業が日本のリーディング産業であったのは、すそ野が広かったからではなく、自動車という耐久消費財に対する最終需要(国内の消費、海外への輸出など)が大幅に増加したからである。

 以上見てきたように、多くの人々は生産誘発効果について誤ったイメージを持っている。これは単なる誤解というよりも、『大誤解』と言うべきであろう。我々は、『産業連関表が教えてくれるもの』だけでなく、『産業連関表は教えてくれないもの』についても理解しておくべきなのである。」(同書113ページ)

 当時の私は、上記のように、常識が次々に否定されてしまうのを驚いたのだが、もっと驚いたのは「同じことについて誰も驚かない」ということだ。私の主張に対して、多く人の反応は「ふーん」という感じであり、私ほど驚いた人は見かけなかった。やがて私は、他の人の反応をあまり気にしないことにした。悟ったのである。他人の反応を気にしても仕方がない。人はさまざまである。多くの人が驚いているのに、私は一向に驚かないということもあるだろうし、私が驚いても、他の人は驚かないということもあるだろう。重要なのは自分自身の気持ちだ。自分が驚いたということは、自分自身の経済の理解が新たな次元に達したことを意味しているのだから、純粋にそのことだけを喜ぶようにしようと思ったのだった。

 さて、2020年東京五輪については、私にはもっと言いたいことがある。それは、私自身が1964年の前回の東京五輪を身近に体験しているからなのだが、紙数も尽きてきたので、その話は次回に回すことにしよう。(続く)



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。