私とGDP
2021/08/17
長い間エコノミスト生活を送っていると、いろいろな局面で国民経済計算(以下、GDP)とのかかわり合いを持つことになる。GDPは経済指標の王様であり、最も基本的な指標なのだからそれも当然だと言える。
私の場合は、景気分析に使うだけではなく、GDPの超短期予測に取り組んだり、さらには、GDPを作成する側にも身を置いたりしているから、GDPに関しては、エコノミストの中でもかなり多面的な経験をしてきたのではないかと思う。以下では「GDPを使う」「GDPを予測する」「GDPを作る」という三つの側面について、代表的な思い出を紹介しよう。
吉富さんの教え GDPは三面等価ではない
GDPは、日本経済の全体像を体系的に網羅したものだから、これを分析していると「なるほどそうだったのか」ということに出会う。経済分析の醍醐味の一つだ。その一例としてここでは、吉冨勝さんに教えていただいた「交易条件とGDP」について紹介しよう。
私が知る限りにおいて、企画庁出身の最強エコノミストは、香西泰さんと吉冨勝さんだということは、この連載でもどこかで書いた。ここで脇道にそれるのだが、ここまで書いたら、突然、この二人との出会いの場面を思い出した。ある時、吉冨さんと話していたら、香西さんとの交流の思い出話が出た。吉冨さんは「大学院を出て就職を考えた時、経済企画庁に行くことを考えたんです。そこで、既に企画庁に入っていた香西さんの下宿を訪ねた(吉冨さんは1962年の入庁で、香西さんは58年の入庁)。私が畳に座っていたら、香西さんがお茶を入れてくれて、その茶碗を畳の上に置いた。今でも、あの時香西さんが畳に置いたお茶碗を思い出します。どうしてあのお茶碗がそんなに忘れられないのかは良く分かりませんけどね」
読者の方々は「それがどうした」といぶかるかもしれないが、その後のお二人のエコノミストとしての大活躍を知る身としては、若かりしエコノミストの巨人が、渋茶を挟んで畳に座っているという場面は、なぜか私の胸に迫るものがあるのだ。
私が企画庁に入ってから間もなく、IMFに出向中だった吉冨さんが帰国して、企画庁の経済研究所に赴任した。私はそれまで、吉冨さんという人を全然知らなかったので、そのエコノミストとしての能力を見て「はあ、企画庁にはこんな人もいたのか」と驚いた。
吉冨さんは、1977年に、「現代日本経済論」(東洋経済新報社)という本を出し、日経・経済図書文化賞を受けている。この本の出版が、めぐりめぐって私の処女作の出版に関係してくるのだが、これは本連載で既に述べた(第77回「本を書く」2020年1月)。
ここからようやく本題に入る。吉冨さんの「現代日本経済論」が出ると、私はさっそく読んでみたのだが、最も驚いたことは、吉冨さんが、当時、日本でもっとも高名なエコノミストの一人であった下村治さんと対談しており、その中で、私の見るところ、吉冨さんが余裕で下村さんを論破していることだった。私は「いやいや、あの下村さんに堂々と議論を挑んで、しかも言い負かしている。全くすごい人がいたものだ」とすっかり感心してしまった。
その中で登場したのが交易条件の悪化による実質所得の減少という議論だった。私はそれまで「GDPの三面等価」という大原則を信じ切っていた。GDPには「生産」「支出」「所得」という三つの側面があるが、この三つは等しいという原則がある。これはごく自然な考えである。誰かが200万円の自動車を買えば、200万円消費支出が増える(支出)、その支出が実現するためには必ず200万円の自動車が生産されている(生産)、そして、お金が渡ったのだから、必ずその支払われた200万円を誰かが所得として受け取っているはずだ(所得)。すると一定期間における経済全体の支出と生産と所得は等しくなる。
ところが、吉冨さんの本を読んで、この三面等価は名目の世界の話であり、実質では成立しないことを知った。これは私にとって衝撃的だった。「大学ではそんなこと習わなかったぞ」と思い、既存の知識に安住していてはいけないということを改めて学んだ。
実質の世界では、「実質国内総生産」と「実質国内総支出」は、単に「買う側から見るか」「売る側から見るか」の違いだけであり、要するに同じものを見ているのだから一致するのは当然だ。ところが「実質国民所得(GNI)」はそうではない。実質的な生産活動は同じでも、所得の実質価値が変動することがあるからだ。
この実質生産・支出と実質所得の違いをもたらすのが交易条件の変化である。交易条件というのは、輸出価格と輸入価格の比(輸出価格/輸入価格)である。例えば、輸入価格に比べて輸出価格が相対的に上昇すると(これを「交易条件の改善」と呼ぶ)、日本から見ると、同じ輸出でより多くの輸入品を受け取ることができるようになる。これが交易利得である。逆に、交易条件が悪化すると、交易損失が生まれる。こうした交易利得(損失)は、実質GDPには無関係だが、実質国民所得(GNI)を変動させることになる。
これを当時の状況に当てはめてみよう。1974年に石油危機があり、石油の輸入価格が4倍になった。これによって輸入価格が急上昇するから、日本の交易条件は悪化する。すると、実質GDPよりも実質国民所得が大きく減少する。簡単に言えば、日本では一生懸命働いても、実質的な所得はあまり増えない(つまり生活水準は上昇しない)という状況になる。逆に産油国の側は、あまり働かなくても実質所得が大幅に高まることになるのだ。これは、石油危機後の日本と産油国の状況をきわめてうまく表している。
当時、ほとんどのエコノミストたちは、伝統的なGDP(またはGNP)概念で経済を分析し、「GDPがマイナス成長になった」「設備投資が落ち込んだ」という次元の議論をするばかりだったから、吉冨氏が提示した「交易条件の悪化による実質所得の減少」という指摘は実に新鮮で、「なるほどそう考えればいいのか」と私は大いに感心したのだった。
それから十数年の時が流れ、私は、内国調査課長となって、93年の経済白書を執筆し、バブルの総括を行った。その白書の結びで、この交易条件が登場する。具体的には次のような文章である。
「結局のところ、経済の発展、所得水準の向上には生産性の上昇、交易条件の改善、バブルによる資産価格の上昇という三つの道がある。この三つの道を、「サステイナブル(持続可能)であるか」「プラスサム(他人の所得を減らしていない)であるか」という尺度で評価してみると、交易条件の改善は、サステイナブルではあるが、プラスサムではない(一国の交易条件が改善すれば、他国の交易条件は悪化する)。バブルによる資産価格の上昇は、プラスサムではあるが(株価が上昇しても誰も損はしない、ただし地価はプラスサムではないともいえる)、サステイナブルではない(永遠にバブルが続くことはありえない)。結局、サステイナブルでかつプラスサムでもある所得上昇の道は、生産性の上昇しかないのである。」(この辺の詳しい経緯については、本連載第54回「むすびを書く」2018年2月、を参照して欲しい)
交易条件が改善すれば確かにその国の実質所得は高まり、国民の福祉は高まる。しかし、その分どこかの国では交易条件が悪化しているのだから、福祉水準は低下している。ゼロサムの世界である。これはまさに、吉冨さんの著作から学んだことだったのである。
超短期予測を始める
次に、GDPを予測するということを考える。
私は、1987年に、経済企画庁から日本経済研究センターに出向した。理事長は香西さんで、会長は金森久雄さんだった。
センターでの私の仕事は、短期経済予測の主査を務めることだった。これは毎四半期、先行き2年程度の経済を予測するもので、伝統的な景気予測である。
センターに赴任して間もなく、香西さんに呼ばれた。香西さんは、「短期経済予測も歴史が長く、需要も多いのだから引き続き頑張ってほしいのだが、何か新機軸を考えられないだろうか」と私に注文を出した。同じ仕事に安住せず、少しでも新しい分野を広げたいということなのだろう。私は「少し考えさせてください」と言って、数日考えた末、二つの案を持参した。
一つは、世界経済予測である。これからはグローバルの時代なのだから、日本の予測だけではなく、世界経済全体の予測をやってはどうかというものだ。
もう一つは、超短期予測である。これは通常の景気予測ではなく、次に企画庁から発表されるGDPの数字を予測しようというものだ。要するに、企画庁よりも1~2カ月早く、GDPの結果を出してしまおうというものだ。この二つの案の説明を聞いた香西さんは、即座に超短期予測を選択し、試作版を作るよう私に指示した。
ここで、この超短期予測について説明しよう。企画庁では毎四半期GDPを推計して発表している。例えば、1-3月期のGDPは、5月の中旬に発表される。この推計は、各需要項目ごとに行われる。例えば、消費は家計調査、設備投資は法人企業統計季報、輸出入は貿易収支などから推計される。この時、各需要項目の推計材料がそろうのは時期的にずれがある。例えば、貿易収支は比較的早めに統計が出るが、法人企業統計季報はかなり遅くなる。すると、統計全体は、最も発表が遅い統計を待っている状態になる。つまり、全体の7~8割は推計できているのだが、最後のピースが埋まるのを待っているのである。つまり、公式発表の前に、GDP推計のかなりの材料は揃っているのである。したがって、手元にない部分だけを何らかの想定で補えば、かなりの確度でGDPを予測できるはずだ。これが超短期予測の考え方だ。
私は早速、四半期予測チームを動かして、この超短期予測を試作してみた。そしてその結果は、なんと「ドンピシャリ」だったのである。すっかり自信を得た我々は、これをセンターの正式な事業とし、毎月発表し始めたのである。当時、こういう経済指標の予測を手掛けているエコノミストはいなかったから、この超短期予測は、日本で最初の経済指標予測だということになる。
やってみると、この超短期予測は通常の景気予測とはかなり色合いが異なることが分かってきた。
第1に、この予測は、ほぼ機械的にデータを積み上げて需要項目を計算するだけなので、余計な経済学の知識は必要ない。消費を予測する時、「消費を決めるのは可処分所得で‥」といった経済のメカニズムについても考える必要はないのだ。
第2に、この予測は、結果がすぐに判明するので、予測が正しかったかどうかがすぐに分かってしまう。「結果を問われるのは、普通の景気予測でも同じではないか」という人がいるかもしれないが、現実はそうでもない。例えば、毎年、年末には翌年度の経済成長率がどの程度になるかが話題になり、多くのエコミストが予測を出す。例えば、2020年の年末には、2021年度の経済が予測の対象になる。ところがその2021年度予測の実績値は、2022年の5月にならないと分からない。分かった頃には、誰もが20年末の予測のことは忘れているということになる。
第3に、この予測は市場の期待を左右し、実際に統計が発表された時の反応を穏やかにするという機能がありそうだ。例えば、次期のGDPがマイナス成長になりそうだということが分かり、日経センターがマイナス成長の予測を出したとする。すると、市場関係者は「次はマイナス成長らしい」と考えるようになるから、実際にマイナス成長という統計が発表されても、それほど驚かないということになる。
いろいろな意味で、私にとってはこの超短期予測は面白かったのだが、その後、次々に各調査機関が、こうした市場予測を手掛けるようになり、日経センターが改めて作業するだけの意味がなくなってきたので、現在では行われていない。
現在では、超短期も含めて、これら各機関の予測を集約したものが、日経センターから「ESPフォーキャスト調査」として発表されているから、これが市場の期待形成に大きな役割を果たしているようだ。このESPフォーキャスト調査についても、私がその発足に関与しており、いろいろな思い出もあるのだが、既に十分紙数を使っているので、今回は省略する。
GDPを作る
最後に、GDP統計を作るという観点から、私の経験を紹介しよう。
私は、1997年に経済企画庁の経済研究所長となった。この研究所には、国民所得部という組織があり、ここがGDP統計を作成して公表している。つまり、私はGDP統計の責任者になったのだ。
責任者になったといっても、毎四半期発表されるGDP統計の作成そのものには全くタッチしない。統計の作成自体は、マニュアルに従って、専門家集団が粛々と行うので、私は結果を見るだけである。そもそも作成された統計がどんな数字なのかも、直前にならないと知らされない。これは意図的にそうしている面もある。GDPの発表が近くなると、マスコミはその中身を早く知ろうと思って、私にコンタクトしてくる。もちろん情報は漏らさないのだが、情報を漏らさないための最も有効な手段は、「そもそも知らない」という状態にしておくことだ。漏らすべき情報を知らなければ、情報を漏らしようがないからだ。
この情報漏れには随分気を使った。私の在任中は情報漏れはほとんどなかったが、かつては、どんどんマスコミに漏れたことがある。企画庁でもなんとか防止策をということで、いろいろ手を打った。噂話としては、「専用の金庫を準備した」という話が出たかと思うと、「金庫は準備したが、実はその金庫はカモフラ―ジュで、他の場所に隠してある」という話もあった。末尾の数字を、配布者ごとに少しずつ変えておけば、漏れた時に、誰に渡した資料から漏れたかが分かる、という作戦を提案する人もいた(らしい)。
私は、役人を辞めた後、発表前のGDP統計を何度も記事にしていた(つまり事前に情報を入手していた)元記者の方と話をする機会があった。私が「どうやって情報を得たのですか」と聞くと、その元記者の方は「もちろん取材源は言えませんが、複数の人から情報を得ていました」と答えた。裏を取っていたわけだ。情報の入手先が一人であっても私は信じられなかったのだが、複数と言われると全く信じられない気がする。
統計の作成そのものには関わらなかったが、研究所長として政府・党の高官への説明は私の役目だった。統計の説明だから、特に問題になることはなかったが、時々、日本のGDP統計について苦情を受けることがあった。典型的なものは「統計が出るのが遅いではないか(日本のGDP統計は中国より遅い)」「1次速報、2次速報、確報となるたびに、数字がずいぶん動くではないか(プラスがマイナスに変わったこともある)」などである。
やや杓子定規に言えば、これらは統計作成者の責任ではなく、基礎統計の問題であることが多い。例えば、作成が遅くなるのは、ベースとなる統計の中で最も遅い法人企業統計季報の公表を待っているからだし、確報は、速報より正確な基礎統計を使えるようになるから数字が動くのである。私に言わせれば、不愉快な情報を伝えた使者が責任を取らされているような気になったのであった。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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