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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第96回)

GDPデフレータが意味すること

 

2021/09/21

 前回「私とGDP」と題して、私のGDP統計とのかかわりについて書いた。これを書いた後、さらにGDPについて、いくつかの思い出がよみがえってきた。そこで今回は、前回の続編として、GDPデフレータについて書いてみたい。

金庫は本当に存在した

 まず、前回の補足から。前回、GDPの内容が発表前にマスコミに漏れるのをいかに防ぐかについて書いた部分で、「噂話だが、GDP統計専用の金庫を準備したという話もあった」と書いた。

 すると、これを読んだ大先輩のK氏が私に手紙を寄せてくれた。その手紙によると、この金庫は本当に実在したそうだ。当時(1970年代前半)は、ガリ版印刷(若い人は知らないでしょうが)の時代で、原稿を地下にある印刷会社に渡すと、筆耕屋さん(専用のペン-鉄筆-で蝋引きの特殊な紙を削って字を書く専門家)が印刷用の原紙を作る。これを発表前日に所定部数印刷しておくわけである。

 この事前に印刷した資料が漏れないように、当時の担当部長が庶務課長(ロジ担当)に、金庫を設置して一晩預かってほしいと提案し、その結果、高さ50センチほどのガッシリした金庫が購入され、庶務課に設置されたのだという。

 K氏は、この金庫にまつわるエピソードも紹介してくれた。この金庫は、鍵と暗証番号がないと開かないようになっている。そこで、部長が鍵を、庶務課長が暗証番号を管理するという、万全の仕組みを作った。

 ところが思わぬことが起きた。ある発表当日に、庶務課長が出勤してこない。この課長は小田急線のかなり遠いところに住んでおり、その電車が遅延しているということが分かった。困った研究所では、都内の金庫販売店に「至急開けて欲しい」と頼んだが、「京都のメーカーの人でないと開けられない」という返事。「どうしよう」と困っているところに庶務課長が現れて事なきを得たということだ。今となっては笑い話のような話だが、当事者は死ぬほど焦ったに違いない。

 完璧すぎるセキュリティー対策は、自らがセキュリティーのバリアを解除できなくなるというリスクがあるわけですね。

GDPデフレータとは

 さてここから本題に入る。以下では、GDPデフレータについて述べるのだが、これが私が石油危機を分析した時の大ブレークスルーにつながることになる。

 「そうだ、GDPデフレータの話があった」ということを思い出したのは、8月18日の日経新聞に「6月の交易条件、11年ぶり悪化幅」という記事があり、その中で「政府がデフレ脱却の指標として重視する『GDPデフレータ』もマイナスに転じる見通しだ」とあるのを見た時だった。そこで、まず、物価の指標としてのGDPデフレータについて考えてみよう。なお、数式付きの詳しい説明は、私が書いたnote「物価指標としてのGDPデフレータ」を参照して欲しい。

 GDPデフレータは、名目GDPを実質に変換する際に割り引く数値であり、しばしば、物価の総合的な指標だと考えられている。GDPデフレータは、経済全体の経済活動である名目GDPを割り引くのだから、経済全体の物価を示す総合的な指標だと考えたくなる。しかし、それは誤りである。

 数式は省略して結論だけ言うと、GDPデフレータは、各需要項目のデフレータを、それぞれのGDPに占める比率でウェイト付けして合計したものである。ここで注意して欲しいのは、輸入はGDPの控除項目であるため、輸入デフレータもまたマイナス項目となることだ。すると、例えば、石油価格が上昇して輸入価格が上昇すると、GDPデフレータは低下してしまうことになる。これは、物価の指標としては奇妙である。

 ところが、この議論は、「石油の輸入価格が上昇した時、輸入以外の各需要項目のデフレータは変化しない」という前提を置いている。石油の輸入価格が上がれば当然、国内の物価は上昇するから、各需要項目のデフレータも上昇する。この時、輸入価格上昇分によるコストアップ分が、全て各需要項目のデフレータの上昇となると、輸入価格上昇によるGDPデフレータの下落と、輸入デフレータ以外のデフレータの上昇がちょうど相殺されるため、GDPデフレータは不変となる。

 分かりにくいかもしれないが、次のように考えてはどうか。輸入価格の上昇によるコストアップが全て価格に転嫁されれば(価格上昇による数量減はとりあえず無視する)、各事業者の付加価値は不変である。GDPは国内で形成された付加価値を捉えたものだから、付加価値が変化しない時には、付加価値の合計についてのデフレータであるGDPデフレータも変化しないのである。

 すると、GDPデフレータには別の意味が出てくる。それは、物価の上昇が「輸入インフレ」か「ホームメイド・インフレ(国内に原因があって物価が上昇するケース)」かという区別である。輸入価格が上昇して、それによるコストアップ分が国内物価に反映されれば、国内物価は上昇しても、GDPデフレータは変化しない。ホームメイド・インフレの場合は、物価上昇分だけ国内で形成される付加価値が増えているから、GDPデフレータが上昇する。つまり、GDPデフレータは、物価の総合指標ではなく、ホームメイド・インフレの指標なのである。

石油価格上昇のツケはだれが払ったのか

 この「GDPデフレータはホームメイド・インフレの指標」という認識を得たことは、私のエコノミスト人生にとっての大きな果実を生むことになった。

 私は、経済企画庁の内国調査課の課長補佐時代に、経済白書の原案を執筆する役割を担っていたのだが、第1次、第2次石油危機を経た1981年の経済白書で、GDPデフレータを使ってホームメイド・インフレの議論を展開している。この時の分析では、第1次石油危機では、激しいホームメイド・インフレが発生した(輸入デフレータとGDPデフレータが上昇した)が、第2次ではそれが抑制されていることが示された。

 これは、「石油価格上昇のツケはだれが払ったのか」という議論にとって大きな意味を持つことになる。それはこういうことである。

 日本経済は、1973年と79年に2度にわたる石油価格の急上昇を経験している。これが第1次、第2次石油危機である。その経済的な負の影響をどの主体が被ったのかという点については、第1次石油危機は企業、第2次は家計というのが当時の通説であった。例えば、朝日新聞の社説は次のように述べている。「春闘とは、石油値上げというツケを誰がどのくらい負担するかというツケ回しのゲームの一環だ、という見方がある。第1次石油危機では企業がそのツケを支払わされ、第2次石油危機では勤労者がそのツケをひっかぶった。企業、勤労者のどちらかが一方的にシワ寄せを受けると、日本経済にはさまざまな歪みが起きてくる」(1981年4月5日)。

 私はこの通説がどうもしっくりこなかったのだが、どうアプローチしていいのか分からずに日々苦悩していた。この時、大ブレークスルーとなったのが、「GDPデフレータで見ると、第1次石油危機にはホームメイド・インフレが発生していたが、第2次ではそれがなかった」ということである。ということは第1次危機では経済全体の付加価値が増えていたが、第2次では増えなかったということである。すると、付加価値の分配を基準にシワ寄せ論を整理すればいいということに気が付いた。ややマニアックになるが、次のようなことである。

 経済のどの部門が石油価格上昇のシワ寄せを受けたのかという点を考えるには、判断の基準を明確にしておく必要がある。そのためには「公平な負担」とは何かを決めておくことが有用だ。そこで以下では「所得分配率に中立的である」ことを公平な分担と考えることにする。つまり、石油価格上昇のツケを家計が負担すれば賃金の分配率は下がるし、企業が負担すれば賃金の分配率は上がる。両者が均等に負担すれば分配率は変化しない。

 そこで、石油危機後の分配率の変化を見ると、第1次と第2次でその姿がかなり違っている。分配率の代理指標として、雇用者所得の名目GNP(当時はGDPではなくGNPを使うのが一般的だった)に対する比率を見ると、第1次石油危機の後には、1974年1‐3月期の47.3%から1975年7-9月期には54.7%に高まったのだが、第2次石油危機の後には、1979年1‐3月期の53.3%から1980年10-12月期の54.4%へとそれほど大きな変化は見られない。

 さらにこれを石油価格の上昇が、価格や賃金にどのように転嫁されていくかという観点から見ると、次のようになる。今仮に売上高100万円の企業があったとしよう。この売り上げは、石油コストとして20万円、賃金に40万円振り向けられ、残りの40万円が企業収益になるとしよう。付加価値は80万円だから、賃金の分配率は50%である。ここで、石油価格が2倍になったとする。そのままだと、収益は20万円に減ってしまう。そこで企業は20%値上げして、売り上げを120万円とし、収益を40万円に保とうとする。すると物価は20%上昇し、賃金は目減りする。この目減りを解消しようと、賃金が20%引き上げられると、再び企業収益は32万円に減る。これをカバーしようとすると、物価は再び6.7%上昇する。こうして、賃金の分配率の上昇と物価上昇が続くことになる。これがホームメイド・インフレであり、企業が石油価格上昇のコストを払うことになるケースだ。第1次石油危機後にはこうした事態が生じたのである。

 これに対して、物価が20%上昇した段階で、賃金の目減りを放置したとしよう。売り上げは120万円、賃金は40万円、企業収益は40万円で、付加価値ベースでは石油価格上昇の前と同じであり、分配率は50%で不変である。石油価格上昇の前後で分配率は不変なのだから、石油価格上昇の負担は、家計と企業で平等に負担されたことになる。ホームメイド・インフレは発生することなく、物価の上昇は1回だけの輸入インフレで終わる。これが第2次石油危機後の姿であった。

 こうしたロジックが現れた時、私はそれまでのもやもやが消え、石油価格の影響をクリアに理解することができた。このロジックはまた、二つの意味で大きな意味を持っていた。

 一つは、第1次石油危機のツケは企業が、第2次のツケは家計が払ったという通説は誤りだということが示されたことだ。第1次は企業が払ったが、第2次は家計と企業が平等に負担したのである。

 もう一つは、石油価格が上昇して物価が上昇した時、それを賃金に転嫁すると、負担の平等性が崩れるとともに、一度限りで済んだはずの物価上昇が長引いてしまうということだ。賃金が上がらないと、賃金は物価上昇分だけ目減りするのだが、その目減りは我慢すべきだということになる。「価格を引き上げたことによって、企業収益は無傷だが、賃金は目減りするから、やはり家計だけが負担することになるのではないか」という人が出そうだが、この議論は、企業収益は名目、賃金は実質で考えているという点でフェアな議論ではない。両方とも名目で考えれば両方とも無傷であり、両方とも実質で考えれば、両方とも目減りしているのである。

 以上のようなロジックを見出したことは、私の大きな自信になった。かねてからの疑問が極めて明瞭に解明され、その結論がいくつかの点でそれまでの通説を覆すことになったからだ。誰かが推薦してくれたのだろう。日経新聞からは、この議論を経済教室で展開するという機会を与えられた。これが私の経済教室へのデビューである(「第2次石油危機、ツケはだれが払った-家計が公平分担」1981年3月21日)。さらに私は、こうした一連の石油危機についての分析を「石油と日本経済」(東洋経済新報社、1982年)という本にまとめた。この本は、その年の優れたエネルギー関連図書に与えられる「エネルギーフォーラム賞(1983年)」を受けた。この原稿を書いている私の部屋の壁には、その賞状が誇らしげに飾られており、この原稿を書いている私の机の上には、その時の賞品の置時計が、約40年もの間、誇らしげに時を刻み続けているのだ。



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。