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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第97回)

国士とテクノクラートの間で

 

2021/10/18

 最近いくつかの局面で、官僚の役割について改めて考えさせられることがあった。私は、経済企画庁で35年ほど官僚生活を送り、その後20年ほどは大学の教員として民間人としての生活を送ってきた。その中で官僚の役割について考えてきたことを紹介したい。

国士かテクノクラートか

 まず、官僚の分類から始めよう。私は官僚生活を送る中で、官僚には二つのタイプがあると感じていた。一つは「国士」タイプである。「自分たちが国を動かしているのだ」という使命感と誇りを持ち、自らが政策をリードしていくというタイプだ。

 もう一つは「テクノクラート」タイプである。官僚は時の政権(または内閣)から与えられた課題を効率的に処理するのが基本的な役割であり、その範囲で全力を尽くせばよいと考える。

 私自身は、テクノクラート型を志向していた。私の考えはシンプルだ。行政が実行する政策の基本方向は民主的な政治プロセスを経て決定されるべきであり、官僚はその基本方向に沿ってできるだけ効率的に政策を実施すればよい。選挙によって選ばれたわけではない官僚が、国民の代理として政策の基本方向を決めるのは僭越である。

 こうした私の考え方は、私が主に、官庁エコノミストとしてのキャリアを歩んできたことと関係しているかもしれない。経済分析という仕事は、情報を分析してそれを関係者に広く提供して意思決定の参考にしてもらうということが任務であり、国士タイプとはほとんど無縁だったからだ。

 ところが案外、世の中の人々は、国士タイプの官僚を求めているようにも思われるのだ。官僚は、私が割り切って考えたようにテクノクラートに徹していればよいのか、はたまた世の中の人々の期待に応えて、国士タイプの官僚を目指すべきなのか。こうした点について、実は私自身もそれほどクリアに整理しきれているわけではない。今でも悩んでいる問題である。そこで以下では、私が官僚の役割を考えさせられたいくつかの局面を紹介し、読者の皆さんにも一緒に悩んでもらおうと思う。

第1話 官僚を辞めた時の話

 私は、2002年の7月に官僚を辞め、民間人となった。キャリア官僚は、どのようにして辞めていくのかということも、案外誰も書かない面白い話になりそうなのだが、今回のテーマとは関係がないので、ここでは触れない。

 この時、内閣府からは6~7月頃辞めるか、9~10月頃辞めるか、どちらが良いかと聞かれた。もちろん辞めてしまうと収入はほとんどなくなるので、長く勤めたほうが経済的には有利である。しかし私は迷うことなく7月を選んだ。どうせ今のポストの後はない、ということであれば一刻も早く自由になりたいと思ったからだ。

 さて、晴れて退職してみると、自分でも驚くほどの解放感があった。どのくらい開放感があったかというと、どうやら顔つきまでが変わったようなのだ。例えばこんなことがあった。官僚を辞めてから、ある研究会に出席したら、昔からよく知っている研究者がいた。研究会が終わってから「やあ」と声をかけると、「あれ、小峰さん、いたんですか。なんだか顔つきが変わったので分かりませんでした」と言われた。同じようなことは、他にも数人の人からも言われたので、どうやら本当に印象が変わったようなのだ。

 私自身、その解放感に驚いたのだが、驚いた理由の一つは、テクノクラート型官僚といえども、各方面からのプレッシャーが意外に大きかったのだなと気が付いたからだ。確かに、経済分析といえども「どんな問題を取り上げるか」「分析結果をどのように表現すべきか」といった問題については、各方面に配慮することになる。また、経済白書を担当した時には、私自身「今回はこの問題を取り上げて世の中の考え方をリードしてやろう」という気持ちを持ったものだ。要するに、国士とテクノクラートはそれほど載然と区分できるわけではないのだ。

 なお、辞めてから、それまで結構プレッシャーがあったのだということに気が付いた私は、ある後輩に「辞めて自由になったら驚くほど解放感があった。これからは自由に書いたり話したりできる」と述べたところ、この後輩に「小峰さんは、現役時代から結構自由に書いたり話したりしていたように見えましたけどね」と言われてしまった。なるほど、そう言われてみるとそうだったのかもしれない。

第2話 大学で教え始めた時の話

 さて、私は、官僚を辞めた翌年から大学で教鞭を取り始めた。なお、官僚は辞めた後の就職先をどう見つけるのか、ということも、案外誰も実際のところを書かない面白い問題なのだが、これも今回のテーマとは関係がないので、ここでは触れない。話を戻すと、私は民間人なのだから何を言ってもいいということになった。時の政府を批判してもいいのだ。といっても、官僚を辞めたとたんに政府の批判を展開し始めるのはさすがに気が進まなかった。何となく品がない感じがするし、現役官僚で私を知る人たちに「小峰さんは、辞めたとたんに政府批判を始めた」と思われるのも嫌な気がする。

 あまり遠慮なしに政策批判をするようになったのは3~4年たってからだと思う。特に、2009年に民主党政権が発足してからは、全く遠慮がなくなった。後述するように、民主党政権の政策運営は批判すべき点がたくさんあり、黙っていられなくなったからだ。おそらく私は当時、最も厳しく民主党政権を批判したエコノミストではなかったかと思う。あまりにも批判すべき点が多かったので、何人かの仲間と「政権交代の経済学」(日経BP社、2010年5月)という、民主党の政策を批判する本を出してしまったほどだ。

 さてこうした政策批判を展開してみると、今まで気が付かなかったことが分かってきた。まず、学生諸君が、国会、政府、官僚というものについて全く分かっていないことが分かった。私は、授業の中で、生きた教材として、政府の政策批判を展開したのだが、例えば、次のような反応があった。

 まず、「なぜ頭のいい官僚がこのように間違った決定をするのか」という反応が出る。どうも、政策は官僚が決めていると思っているようだ。これに対して、政府は、与党の総理が組閣した内閣によってコントロールされており、役人が政策を決めているわけではない、と説明すると「そうだったのか」という顔をするが、まだ半信半疑で、「それでも間違った政策が決まりそうなときには、官僚が反対すればいいではないか」と言う。

 そんな時、私は、組織の構成員というものは、組織が決めた結論には従うのが当然で、各自が気に入らないからと言って方針に従わないでいたら、組織は動かなくなる。組織の決定は、構成員の多数決で決めているわけではないのだと説明する。もちろんこれは建前論であって、現実には官僚が政策のかなり基本的な部分を決めてしまっていることもあるのだが、それを言い始めると話が混乱してくるので、あまり深入りしないようにしていた。

 また、私が政府批判を展開していると、同僚の大学人から「小峰さん、そんな風に政府批判をして大丈夫ですか」と言われたりする。こちらは、純粋の民間人なのだから、全く気にする必要はないと思っているから、なぜそんな質問が出るのか全く不思議であった。

 「官僚出身だから」という眼で見られるのもあまり愉快ではなかった。例えば、私の政府批判に賛成の人が「官僚出身であるにもかかわらず、政府を批判するのは立派だ」と褒めてくれることもあれば、逆に、私が財政再建の主張を展開すると「官僚出身だから、財務省の立場に理解があるのでしょうね」と言われたりする。いずれも私としては心外である。私は、官僚出身だから政府に賛成したり、官僚出身にもかかわらず政府を批判しているわけではない。私がそう考えるからそう言っているだけなのである。

第3話 民主党政権時代の話

 2009年秋に誕生した民主党政権は、官僚の役割というものを全く分かっていなかったようだ。この点は私の著書「平成の経済」(日本経済新聞出版社、2019年)で詳しく述べているのだが(第11章の1「官僚支配から政治主導への試みとその挫折」)、簡単に言うと次のようなことである。

 民主党は2009年8月の衆院選挙でマニフェストを掲げて政権交代を実現したのだが、そこでは、官僚支配からの脱却と政治主導が強く打ち出されている。どうやら民主党は、官僚支配こそが諸悪の根源であり、これを直せば民主党の掲げる政策が実現すると考えていたようだ。驚くべきナイーブな発想である。

 この方針が実行されたため、政府内は大混乱となった。民主党は初閣議で「内閣の基本方針」を決定したのだが、この方針で、官僚の行動は制限され、例えば「府省の見解を表明する記者会見は大臣などの『政』が行う。ただし、専門性その他の状況に応じ、大臣などが適切と判断した場合は『官』が行うことがある」とされた。ややあいまいな方針であったため、役所によって差が出たようだ。私の出身母体の内閣府では、機械受注などの統計の解説のための記者会見まで政(副大臣や政務官)が行うこととなったらしい。このため、官僚が準備してレクチャーしておくわけだが、当然統計上の細かい話になると、政では答えられない。このため次第に、記者の側でも質問しなくなり、聞きたいことがあれば後で官僚に聞きに来るという面倒なことになったようだ。

 こうした官僚への接し方は誤りだった。自民党時代の官僚は、表面的には自民党の方針に従って、その政策運営をサポートしたように見える。民主党はこれが気に入らず、政権交代後には、官僚をできるだけ排除して自分たち政治家だけで政策を進めようとした。しかし、官僚は自民党をサポートしていたわけではない。時の与党が自民党であり、内閣が自民党内閣だったから従っていただけなのだ。だから民主党は官僚に自分たちの方針を伝え、コントロールすればよかったのである。

第4話 矢野次官の論考についての話

 最後は、ホットな話題で、現職の財務次官である矢野康治氏が、文芸春秋2021年11月号に発表した「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」という論考についてである。現職の次官が経済政策の方向性と財政再建の重要性について明確に所論を述べたのだから、話題になるのも当然だ。

 私はその内容についてほぼ全面的に賛成なのだが、ここではその内容ではなく、現職の公務員が政策についての意見を公にすることの是非について考えたい。今回の矢野論考については、ムード的には「現職であるにもかかわらず、自らが正しいと信ずることを思い切って主張している」という好意的な評価を得ているようだ。

 例えば、農水省が省の方針として、食料の自給率の向上を目指していたとする。この時に、農水省の現職の公務員が外部に「自給率の向上を目指すことにはあまり意味はない」という論文を発表したとしよう。これは組織として許容できないはずだ。

 ただ、組織の構成員が、組織の方針を、かみ砕いて外部に説明したり、データや理論を補充して説明することは全く問題がない。日本では、特定の政策を整理された文章の形で提示するということがあまり行われていないので、こうした行為はむしろ歓迎すべきことだと私は思う。組織の高い地位にある人間が、公の場で政策を体系的に説明するということは、海外ではしばしば行われているし、日本では、日本銀行の幹部が、かなり事前の準備をした上で、講演などを通じて政策についての説明を行っている。同様のことがもっと積極的に行われていいと思う。

 では、組織や政治家の方針と異なる意見は言えないのかというとそんなことはない。矢野次官も、今回の論考の中で「(公務員は)単に事実関係を説明するだけではなく、国家国民のため、社会正義のためにどうすべきか、政治家が最善の判断を下せるよう、自らの意見を述べてサポートしなければなりません」と述べている。この辺は、国士とテクノクラートの中間領域である。テクノクラートだからと言って、与えられた課題だけに対応すればいいだけではない。政治的な提案が出てきた時に、組織として意見があるのであれば、それを主張するのは当然である。もちろんそれは、最終的な結果が出る前の話であり、政治的な決断が下されてしまった後は、反論は封印して、後はテクノクラートに徹するしかないのである。

 私は現役の役人時代にしばしば外部への発言を行ってきたが、それは私が所属する組織の方針とは無関係であるか、組織の方針に反しないと考えてきたからだ。例えば、「景気を見る場合には、どんな経済指標をどのように読みこなせばいいか」ということは、一般的な経済の解説だから、組織の方針とは無関係である。政策的な判断に属する問題は、組織の方針に関係するが、その場合、一々上司の許可を得なくても、そのくらいは大体見当がつくから、あまり苦労することはなかった。

 このように考えてくると、今回の矢野次官の論考は、財政再建を推進すべきだとする財務省の方針に沿ったものであり、その方針を分かりやすい言葉で外部に説明したという位置づけになる。したがって、私の判断基準からしても、何の問題もないと思う。

 一方で、今回の矢野氏の発言を「勇気ある発言だ」「職を賭して政治に苦言を呈している」と誉めそやすのも、私はどうかと思う。こういう評価が出るのは、官僚は政治的に誤った決断がなされそうな時には、体を張ってそれを阻止すべきだと考えている人が多いからだろう。しかし、選挙で選ばれた政治家の決定を、選挙で選ばれたわけではない官僚が阻止しようとするのは民主主義の原則に反しているように思われる。こうした議論は、国士的な官僚の行動を期待しているように私には見える。

 官僚は国士であるべきか、テクノクラートであるべきか。明確な線引きは難しく、誰もが賛成するような結論は出ない問題であるようだ。



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。