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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第101回)

背高コンテナ物語

 

2022/02/18

 翁邦雄さんの近著「人の心に働きかける経済政策」(岩波新書)を読んでいたら、日米貿易摩擦の話が出てきた。この本は、行動経済学の知見をマクロ経済政策(特に金融政策)の議論に適用するという画期的なものだ。行動経済学は、これまで主に、個々人の行動というミクロ的な分野での議論が中心だった。本書を読んで私は「ついに、行動経済学の影響がマクロ経済学にまで及んできたのか」という感慨を覚えた。

 当時の日米摩擦における米国側の言い分については、日本側では、その強硬かつやや理不尽な要求に戸惑いもあったのだが、結局は日本側が譲歩して、何とか収めるということがほとんどであった。なぜこうなったのかについて、翁さんの本では、「それが『国際協調』というフレーミングで議論されたからだ」と説明している。なるほど、特に日本では「国際協調に資する」というのはかなり強力な理由になる。「国際協調通れば道理が引っ込む」という時代だったのだ。

 私も役人時代、日米経済摩擦の前線に立ったことがある。この本を読んでいて、その頃のことを思い出した。今回は、日米経済摩擦で私が最も印象に残っている「背高コンテナ問題」についての思い出を紹介することにしよう。

OTO対策官になる

 84年11月に、内閣改造があり、河本敏夫経済企画庁長官が交代したので、秘書官の私も交代となった。新しい仕事は、OTO対策官であった。

 このOTOとは何か?これは、Office of Trade Ombudsmanの略で、正式の名称は「市場開放問題苦情処理対策本部」という。この組織が発足したのは82年で、貿易摩擦に対応するために設けられた。日本の輸入手続きについて何か苦情があれば、ここに持ち込むと、ここから担当の省庁に伝えられ、最優先でこの苦情を処理する。こうした具体的な措置の積み重ねで、日本の市場開放度を引き上げたり、「日本の市場は閉鎖的だ」という評判を覆そうという狙いである。

 しかしそれにしても、「市場開放問題苦情処理対策本部」にOffice of Trade Ombudsmanという英語を当てたのは、政府にしてはずいぶんとしゃれた名前を付けたものだと思う。確かに、直訳して、Market Opening Problem Grievance Countermeasures Headquarters(Google訳)とするよりはよほどカッコ良い。

 問題は、英語のOmbudsman(オンブズマン)という言葉である。オンブズマンというのは、ヨーロッパの国でよくある制度で、行政府から独立したオンブズマンという特別な職を設けて、市民からの申し立てに沿って行政を監視するものである。つまり、オンブズマンという地位の人物が存在するのである。海外の人がこのOTOという名前を見れば、誰もが、日本にオンブズマンという人がいると考えるだろう。私が、OTO対策官をしている時にも、海外から「日本のオンブズマンに会いたい」とやってくる人がいて困ったものだ。誰か「私がオンブズマンです」といって出ていければよいのだが、日本では、OTOの事務局が苦情を処理する窓口になって、その処理を後押しするというものである。事務局は政府の一部門だから、行政機関そのものであり、ヨーロッパのように行政機関から独立しているわけではない。あまりにもカッコ良い名前を付けると、付けられた方が後で困るのである。

背高コンテナ物語 第1幕 コンテナ船に積みにくい

 このOTOには多くの苦情が寄せられ、政府はその一つ一つに対応していったのだが、私の任期中に扱った問題の中で、最も印象に残っているのが「背高コンテナ問題」である。

 背高コンテナとは何か。日本で普通トラックに積んで走り回っているコンテナは、高さが8フィート6インチあり、「8・6コンテナ」と呼ばれている。背高コンテナというのは、これよりも高さがあり、高さが9フィート6インチの「9・6コンテナ」と呼ばれるものである。8・6コンテナよりもかなり大きく、より大量の貨物を運ぶことができる。

 この背高コンテナについて、アメリカの船会社がOTOに苦情を持ち込んできた。その言い分はこうだ。アメリカでは背高コンテナを標準的に使っている。アメリカだけではなく、アジアの諸国でも背高コンテナを使うことに問題はない。しかし、日本では背高コンテナを積んだトラックが走行できないので、日本向けには8・6コンテナを積んでこなければならない。ところが、同じ船に、背高コンテナと8・6コンテナを混載するのは非常に効率が悪い。積み荷の一部だけ高さや幅が揃わなくなってしまうからである。

 アメリカの船会社は、これは効率的な貿易を阻害しているのだから、一種の貿易障壁である。日本でも背高コンテナ(正確にはコンテナを積んだトラック)が走れるようにして欲しいと言ってきたのだ。

 ではなぜ背高コンテナは日本の道路を走れないのか。それは、「道路法」や「道路交通法」によって、日本の道路を走れる車両の高さは3.8メートル以内と決められており、これを基準にして、信号機やトンネルなどの道路施設が設けられているためだ。8・6コンテナについては、床を低くした低床式シャーシに積めば、高さは3.8メートル以内に収まる。だが、背高コンテナの場合は、高さが4.1メートルになってしまい、高さ制限をオーバーしてしまうのだ。

 道路法を所管しているのは当時の建設省(現在は国土交通省と一体化している)であり、道路交通法を所管しているのは警察庁である。アメリカの船会社の苦情を伝えたところ、両省庁とも「拒否」という返事であった。

 これは我々も「それはそうだろう」と思った。規定の高さより高いトラックが日本の道路を走り回れば、至る所で信号機を壊したり、トンネルの屋根にぶつかるという事故が多発するだろう。とにかく法律で決まっているのだし、日本の運送業者も3.8メートルという高さ制限を守っているのだから、海外の業者だけに不公平な扱いをしているわけではない。

 ただ、確かに3.8メートルという日本の高さ制限は、国際標準から見てかなり低い。論理的には、日本の法律を変えて、高さ制限を国際標準並みの高さにすれば、国境を越えて大きなコンテナが自由に行き来することになるから、物流の効率化に資することは間違いなさそうだ。しかしそのためには、信号機やトンネルを作り直さなければならないから、あまりにも非現実的である。最初に法律を作った時に、国際標準を意識していてくれれば良かったのだが、いまさらそんなことを言っても仕方ない。残念ながら、これはアメリカ側の要求は拒否せざるを得ない。

背高コンテナ問題 第2幕 日本はダブルスタンダードか

 ところが話はこれで終わらなかった。アメリカ側は、新たな理屈を持ち出してきた。「アメリカの船会社が使っている背高コンテナは日本製だ」というのだ。これは驚愕の事実だった。背高コンテナは、輸出のために、日本国内の製造所から港まで、日本の道路を走っているのである。

 アメリカ側は、輸出用の背高コンテナは日本の道路を走っているのに、アメリカの船会社が積んできた背高コンテナは日本の道路を走れない。これは、ダブルスタンダードであり、日本の輸出優遇策、人為的な輸入障壁だと主張してきた。私も、これはアメリカ側の言い分が正しいと思った。

 しかし、建設省も警察庁も、依然として「アメリカの船会社が積んできた背高コンテナの通行は認められない」という従来の主張を変えなかった。ではなぜ、輸出用の背高コンテナは走ることができるのに、アメリカの船会社のコンテナは走ることができないのか。建設省、警察庁の言い分はこうである。日本でも、どうしてもやむを得ない場合は、ルートを限って通行を特別に許可している。その場合の重要な判断基準は、その貨物が分割できるかどうかである。例えば、外国からキリンを連れてきて、これを国内の動物園まで運ぶとする。この場合、キリンが3.8メートルを超えたからといって、キリンの首をちょん切るわけにはいかないから、これは「分割できない貨物」である。そこでキリンは特別な許可の対象となり、ルートを審査した上で、通行可能であれば許可する。

 ところで、輸出用の背高コンテナは、それ自体が一つの製品であり、港まで運ぶために分割することはできない。だから、特別扱いになる。しかし、積んできたコンテナの場合は、港で積み替えればいいわけだから、分割不可能な貨物とは言えない。よって道路を通すことはできない、というわけだ。

 要するに、輸出用のコンテナはキリンと同じだが、積んできたコンテナはキリンではないというわけだ。我々はこれを略して「キリン論」と呼んでいた。このキリン論は、なかなか強力で、建設省も警察庁も頑としてその主張を変えない。しかし当然ながら、アメリカ側も「分かりました」とは言わない。我々も、要は苦情の伝達者に過ぎないので、なかなか打開できない。私もすっかり困ってしまった。

背高コンテナ物語 第3章 打開への道

 どうしようかとさんざん考えた私は、一つの打開策を思いついた。それは、味方になりそうな省庁に議論に参加してもらうことだ。現状では、背高コンテナが実際に関係する行政分野を担当している建設省と警察庁が、行政分野を実際に担当しているわけではない経済企画庁のOTOと議論しているのだ。数の上でも2対1であり、OTOに不利だ。

 そこで我々が考えた作戦は、運輸行政を所管している運輸省(現在は国土交通省に統合)に参加してもらうことだった。運輸省は、効率的な物流の実現を目指しているのだし、航空分野などで多くの国際的な交渉を行ってきているので、国際感覚も十分だ。この運輸省に参加してもらえれば、劣勢を挽回できるのではないかと考えたわけだ。

 この作戦は大成功だった。議論に加わった若手の課長補佐クラスの担当官は、優秀で弁の立つ人物だったから、建設省、警察庁とも互角に議論してくれた。運輸省の主張は、いくら中身を積んできたコンテナは、港で積み替えることができるから分割可能だと言っても、コンテナというのは、相手方の戸口まで運んで初めて意味があるのだから、港での積み替えは不可能であり、キリンと同じでいいのではないかというわけだ。

 この議論は延々と続いたのだが、途中でちょっと面白いことがあった。誰かが(半分冗談で)、次のような解決策を提案した。まず、背高コンテナはキリンだと認めて、特別に通行を許可することにする。しかし、このコンテナを通すには、ルートをチェックして、障害がないことを確認した上で許可を出す必要がある。そこで、関係する内外の企業が出資して「背高コンテナ審査機構」という半官半民の組織を作るというものだ。この案が出ると、それまで頑強に反対していた建設省、警察庁の担当者が一斉に(半分冗談で)「それはいい考えだ。そういうことなら我々も賛成する」と言い始めたので、会議の場は爆笑に包まれた。これは分かりますね。仮にこういう組織ができると、そのトップには、建設省か警察庁の退職者が就任することになる。要するに天下り先が増えるのだ。これは大きな功績として評価されるだろう。

 この話は冗談なのだが、案外真実を突いているところがあると私は思ったものだ。要するに、建設省や警察庁にとって、海外の船会社が運んできたコンテナを通したからといって、何もいいことはない。それまでの運営規則を変え、各方面に伝達し、実際に通行するときはその安全に配慮しなければならないのだから、面倒な仕事が増えるだけだ。ということは、アメリカの要求を認めても、彼らが組織の中で評価されることには全くならないのだ。逆に、アメリカの要求を突っぱねて、現状維持で済ませたほうが評価される可能性が高い。

 こうした事務的な議論が延々と続いた後、ついに建設省、警察庁も諦め、背高コンテナは、キリンと同じ扱いになり、日本の道路を通れることになった。では結局のところ、アメリカの要求を認めることになった大きな理由は何だったのだろうか。それは、やはり日米の力関係だったのではないか。仮に、背高コンテナの通行を認めないまま時間が過ぎていくと、アメリカの船会社は、アメリカの通商代表部に駆け込み、正式な日米交渉の対象になっていったかもしれない。そこでさらに突っぱね続けていると、アメリカ側は「日米首脳会談で大統領に言わせる」と言い出したかもしれない。その時、議論としては、前述の「日本ダブルスタンダード論」の方が「キリン論」より圧倒的に分かりやすい。日本の総理に、キリン論で反論してくださいと説明したら「私にそんな議論をさせるのか」と怒り出すだろう。要するに、閣僚レベルの話になると一段と面倒な話になるから、どこかで決着をつけることになり、その場合はどうしてもアメリカ側の要求を認めることになるのだ。日米経済摩擦の現場とはそんなものだったのである。

※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」は こちら(旧サイト)をご覧ください。