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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第102回)

役人を辞める時

 

2022/03/22

 大学の同僚の先生方と話していたりする時、答えるのにやや戸惑う質問を受けることがある。「小峰さんはどうして役人を辞めたのですか」という質問だ。質問する人の気持ちは分かる。「安定した役人の地位を捨てて辞職したからには、何か理由があるはずだ。上司と喧嘩したのか、政府の方針に抗議して辞任したのか。役人としての仕事に限界を感じたのか。どうしてなんだろう」と思うのかもしれない。

 この質問に私が戸惑うのは、多くの役人は、自分から進んで職を辞するわけではないからだ。組織として「もう君のポストはないから、辞職届を出してください。辞職後は、〇〇の仕事をしてもらいます」と言われることが多い。もちろんこれは一般的な場合であって、自ら役人に見切りをつけて、政界に打って出たり、民間企業に移ったり、大学の先生になるというケースもある。ただ、どちらが一般的かと言われれば、「そろそろ辞めろ」と言われたから辞めるという場合が多いということである。私もそうであった。

国土計画局長への道

 私が役人を辞めたのは2002年の7月である。ややわき道にそれる面もあるが、2001年の省庁再編から話を始めることにしよう。

 橋本龍太郎総理の執念で省庁再編が実現し、2001年1月から新しい組織が動き始める。そのかなり前から、上層部ではどんな人員配置にするかの議論が重ねられていたはずだ。当時私は経済企画庁の調査局長であった。

 ある時、アメリカのイェール大学におられた浜田宏一先生から電話がかかってきた。浜田先生と私はそれまで全く面識がない。浜田先生は何と、「今度自分が内閣府の経済社会総合研究所の所長になることになった。ついてはあなたが研究所の次長として私を補佐してくれることになっているので、よろしくお願いしたい」と言ってきたのだ。さらに「大学の図書館で、あなたの著作にも目を通してみました。きれいな文章を書く人だなと感心しました」と褒めてくれた。さすがにアメリカの有名大学の図書館は充実していると私は驚いた。私自身は、研究所次長になるという話は全く聞いていなかったのだが、「なるほど」と思った。

 省庁再編で新たに発足する経済社会総合研究所は、新組織の一つの柱であった。その前身は私も所長を務めたこともある、経済企画庁の経済研究所なのだが、省庁再編で大変身が予定されていた。まず、所長は、それまでの局長クラスから次官並みの扱いに格上げされた。また、所長は、これも新たに発足する経済財政諮問会議にも出席することとなっており、大物経済学者が就任するのではないかと噂されていた。浜田先生であればその条件にぴったりだ。こうして所長が次官クラスに格上げされると、次長は局長クラスとなるから、私が就任してもおかしくない。

 ところがふたを開けてみると、私は、建設省、運輸省、国土庁の三つが合体して発足した国土交通省の国土計画局長になるという内示を受けた。私がなるはずだった研究所の次長には、私よりも年次が2年下のU氏が就任した。その後、国土計画局長になってから得られた情報も合わせて考えてみると、この間の事情は次のようなことだったのではないかと思う(あくまでも私の想像です)。

 国土交通省に行ってみると、国土計画局というのは建制順で2番目のかなり上位に位置づけられている局であった。建制順というのは、役所の組織の名称を並べる時の順番である。大臣以下の幹部が集まる省議の場での席次も、局長の中では上から2番目である。さてここで問題になるのが入省年次だ。

 私は、昭和44年に役所に入った(これを役人の間では44年組と呼ぶ)のだが、その私が研究所の次長となり、46年組のU氏が国土計画局長になるはずだった。U氏は、国土庁で計画部門の課長を務めたこともあるので適任だ。浜田先生には、この段階での人事が伝えられており、それを受けて浜田先生は、フライング気味に私に電話してきたのだろう。ところが、国土交通省はこの人事案に異議があったのだろう。その理由として考えられるのは年次だ。発足したばかりの寄せ集めの省としては、建制順が上位の局の長は、年次も上位者であることが望ましいと考えてもおかしくない。ところが、46年組は、国土交通省の中では若い方の局長になってしまい、建制順上位の国土計画局長としては収まりが悪い。44年組であればバランスもおかしくない。そこで、私とU氏が入れ替わったのではないか。こうして、私の役人としての最後のポストは、国土交通省の国土計画局長ということになったのである(何度も言いますが、あくまでも私の想像です)。

辞職の要請

 国土計画局長になって1年半が過ぎたころ、人事異動の季節がやってきた。役人の人事異動は6~7月であることが多い。予算が決まり、国会が一段落するのがこの頃だからである。そんなある日、私は内閣府次官から「明日、部屋に来るように」という連絡を受けた。私は瞬時に「いよいよ来たか」と思った。間違いなく辞職を促されるのだと思った。入庁年次からいっても、もう行き先がないのだ。帰宅して、家人に「明日次官に呼ばれたよ」と言うと、家人も察したようで「いよいよですかね」と言った。

 翌日、次官の部屋に行ってみると、案の定、辞職するようにというお達しだった。やや普通と違ったのは「君はどこか大学にでも行けるんだろう」と言われたことだ。「辞職後は自分で何とかしろ」ということである。普通はここで「君には〇〇公団に行ってもらいたい」という具合に、再就職先を提示するのだが、私の場合はそれがなかったのだ。

 なお、これは私が退職したころの話で、現在では、組織的に再就職の斡旋をすることは禁じられているようなので、自分で探すのが普通になっているのかもしれない(良く知りません)。

 ただ、私は、幸いにして再就職先にはあまり困らなかった。私は、この連載でも紹介してきたように、経済白書を書いたり、おびただしい著作を著したりしていたため、エコノミストとして比較的名前が知られるようになっていたから、課長時代から、いくつかの大学からの誘いがあった。いずれも一応お断りした。後からわかったことなのだが、私にではなく役所の人事に「自分の大学に招きたい」という申し入れがあったのを、人事当局が(私に相談なしに)断ったケースもあったようだ。

 ただ、退職を伝えられた時点では、具体的な話が生きていたわけではないので、何らかの就職活動は必要であった。私は、法政大学はどうかなと思った。2年ほど前に、法政大学社会学部のS先生から面会したいという話があり、お会いしてみると「今度、大学院に政策科学研究科という新しい研究科を発足させるので、経済の先生を探している。私は、小峰さんを直接存じ上げているわけではないが、色々関係者に話を聞いてみると、複数の方から、小峰さんを推薦された。ついては当大学においでいただけないか」という話であった。この時、もし辞職の話が出ていれば、これをお受けしただろうが、まだ先があるかもしれないと考えていたので、この時はお断りしたのだ。

 辞職の話を聞いて私は、ある人(友人の大学教授)を介して、「2年前にはお断りしたが、このたび退職することになったので、法政大学で受け入れていただくことは可能か」をS先生に打診してもらった。するとしばらくしてS先生から「2年前のポストは既に埋まっているが、小峰さんが来ていただけるなら、別のポストを用意しても良い。ただし、正式には教授会の決定を経る必要があるが」という返事が来た。私は喜んでこれに応じることにし、その後、法政大学社会学部の教授会の議を経て、正式に採用が決まったのである。

 後から分かったことだが、これは「スカウト型人事」と呼ばれるものだった。大学の教職のポストは、通常は「一般公募」→「書類選考」→「模擬授業などを含む複数の候補者への面接」→「正式決定」というプロセスを踏んで決定される。しかし、これとは異なるプロセスもあり、大学の方から特定の候補者に目を付けて就任を要請することもある。これがスカウト型人事である。私の場合は、このスカウト型のプロセスに乗せてくれたわけである。

 こうして私は2002年の7月に退職し、翌2003年の4月から法政大学で教鞭を取ることになったわけだ。なお、この時私は、6~7月頃辞めるか、10~11月頃辞めるかの選択を求められ、なるべく早く6~7月頃辞めたいと希望したこと、辞めてみると自分でも驚くほどの解放感があったことなどのことがあったのだが、こうした点については、第97回「国士とテクノクラートの間で」で書いたので、ここでは繰り返さない。

天下りについて考える

 私自身の退職時のことを話してきたので、ここでいわゆる「天下り」について考えてみよう。

 そもそも「天下り」とは何だろうか。役人の再就職が全て天下りかというと、どうもそうではないようだ。大学の授業で、公共部門の話になり、私が公務員時代の経験を話すと、学生諸君は結構興味を持って聞いてくれる。そうした中で「公務員の天下り」が話題になることがある。一般的に「天下りをどう思うか」と聞いてみると、「あまり良いことではなく、規制するのは当然だ」という反応が返ってくる。そんな時私は「では、私は天下りになるのか」と尋ねてみる。すると学生諸君はやや考えて、「先生の場合は天下りではない」と答える。「なぜ私の場合は天下りではないのか」とさらに尋ねると、「役所の世話になったわけではなく、自力で再就職先を見つけてきたから」という答が返ってくることが多い。すると、役所サイドで、何らかの役所としての力を使って、退職予定の再就職先を準備するのが天下りだということになる。

 では、なぜ天下りが必要となるのか。ここでは、その是非を論じるのではなく、なぜそれが必要とされてきたかを説明する。以下の説明にはもちろん例外もあるのだが、典型例として説明していく。

 まず、中央省庁には、人事について二つの慣行がある。一つは、典型的なメンバーシップ型の雇用になっていることだ。すなわち、各省庁が、それぞれ新卒者を採用し、採用された人たちは、基本的には採用された省庁の中でキャリアアップしていくことになる。もう一つは、入省年次別に見た時に、自分より下の年次の人間の部下になることはないということだ。要するに、先輩と後輩がポストの上で逆転することはない。

 すると、同期生がほぼ同じペースでキャリアアップしていくことになるわけだが、役所の組織は、ピラミッド型になっているから、ポストが上がるほどポストの数は減って行く。すると、同期入省者のポストが上がっていくにつれて、ポストの数が足りなくなる。そこで順次、人間を退出させていかざるを得ない。この時、何もしないで退職させるわけにはいかないから、役所の側で何らかの再就職先を準備し、退職した人が困らないようにしておく。これが天下りのメカニズムである。

 ここで、実体験に即していくつかの感想を記しておこう。一つは、「当の本人は、できれば天下りはしたくない」と考えている場合が多いことだ。というのは、私の後輩にあたる多くの役人が、できれば私のように、役所の世話にならずに、自力で実力を発揮できる再就職先を見つけたいと思ったようなのだ。私が法政大学に行った後、全く見知らぬ役人から「自分も、小峰さんのように大学に職を得たいと希望している。ついては、どうすれば大学に職を得られれるのか、ぜひ教えて欲しい」というメールが来たことがある。この人も含めて、いろいろ話を聞いてみると、役所の世話になると、第2の職場でも元の役所に気を使い、後輩に頭を下げなければならないようになったりする。第2の人生においては、役所からは独立した生き方をしたいという人が多かった。

 もう一つは、天下りをなくすには、経済全体の雇用の仕組みを変えていく必要があるということだ。前述のように、役所はメンバーシップ型雇用だから、途中で組織から放り出されてしまうと、行き先がなくなってしまう。これがジョブ型で、空きポストに応じてその都度内外から募集して補充していくシステムであれば、そんな問題は起きない。年次が下の人間の部下にはならないという慣行も、ジョブ型で職務に最もふさわしい人間がそのポストに付くということであれば、年次が逆転しても構わないはずだ。ただし、そのためには、役所だけではなくて、経済全体がジョブ型になる必要がある。全体がジョブ型になっていれば、役所のポストに、大学、民間から最適な人材を任命することができ、役人から民間企業や大学にも移りやすくなるだろう。そんな日が早く来てほしいものだ。


※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」は こちら(旧サイト)をご覧ください。