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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第107回)

私が見てきた財政政策の変化(下) 小泉内閣の財政再建計画

 

2022/08/22

前回までのあらすじ
 前回は小泉内閣の下で、2006年の骨太方針において画期的な財政再建計画が示されたところまで述べた。この財政再建計画について、さらに詳しく振り返ってみよう。

小泉財政再建計画の具体的な姿

 まず、2006年の骨太方針で示された財政再建計画の具体的な姿を見ておこう。以下の議論は、ややマニアックな細かい議論になるので、一般読者向けの読み物にはふさわしくないかもしれない。私は、2019年に「平成の経済」(日本経済新聞出版社)という本を出して、平成時代の経済政策の歩みをまとめたことがある。この本を書いた時にも、以下の議論を盛り込もうかとも思ったのだが、話がマニアックすぎるかもしれないと思って、書くのを止めたということがある。しかし、私自身は大変面白い点だと考えているので、ここで紹介しておこうと思う。

 まず表を見て欲しい。これは、2006年骨太方針の別表として公表されたものである。この表には、主要項目ごとに歳出削減額の目安が具体的な金額で表示されている。たとえば、社会保障については、基準となる2006年度の歳出は31.1兆円である。社会保障については、制度上、高齢化が進み、高齢者の数が増えて行くと年金・医療・介護などの経費が自然に増えて行くので、2011年度の歳出額は39.9兆円となる。これが「自然体」として示されている金額である。同じように、人件費、公共投資などについても金額を埋めていくと、歳出の合計は2006年度の107.3兆円から、2011年度には128.2兆円に増える。

 ところが、この自然体の場合は、内閣の財政再建目標を達成できない。この時の骨太方針の本文では「財政健全化努力を継続し、2011年度には国・地方の基礎的財政収支を確実に黒字化する」と明記されているのだが、表に示した自然体の歳出では、基礎的財政収支が16.5兆円の赤字となってしまうのだ。すると、目標達成のためには、歳出の削減か歳入の増大でこの16.5兆円の未達成分を解消する必要がある。これが「要対応額:16.5兆円」の意味である。

 そこで、骨太方針では、主要歳出項目ごとに改革を進めて、2011年度の歳出額を削減することにした。その改革後の歳出額が「改革後の姿」として示されているものである。社会保障の場合は、何もしない場合は2011年度39.9兆円となるところを、38.3兆円程度に抑制しようというわけである。2011年度までの削減額は1.6兆円程度となる。同じように、他の項目についても削減額を決めて行き、これを積み上げて行くと、2011年度の歳出額は113.9~116.8兆円程度、削減額は14.3~11.4兆円程度となる。

 要対応額は16.5兆円で、歳出削減額は14.3~11.4兆円だから、歳出削減だけでは2011年度の基礎的財政収支均衡化という目標は達成できない。2.2~5.1兆円程度(要対応額の1~3割程度)が、依然として要対応額として残ることになる。これをどうするかはどこにも明示されていないのだが、常識的には「歳入の増加」で、さらに常識的には「消費税の増税」で対応すると考えるのが自然である。必要な調整の7~9割は歳出削減で対応したのだから、残りを増税で対応しても、大きな国民的不満は出ないだろうということである。

 こうして立派な計画が出来た。あとはこれを実行すればいいのだ。


歳出削減額を巡る議論

 さて、この歳出削減額計画については、さらに述べておきたいことが二つある。一つは、この歳出削減計画が党のハードルをどうやって乗り越えたのかということだ。

 日本の政治プロセスを知る人は、ここで示したような歳出削減額がどうやって実現できたのか不思議に思うのではないか。この財政再建計画を閣議決定するためには、事前に自民党の総務会の了解を得る必要がある。しかし、政治家はもっぱら歳出の増加を求める傾向があるから、歳出の削減についての合意を得るのは難しいはずだ。自民党の議員は、社会保障、道路建設、農業などの政策分野ごとにしばしば集まって、担当省庁の説明を聞き、勉強会を開き、必要な政策の実現をしようとし、そのための予算を確保しようとする。いわゆる「族議員」である。各分野の族議員たちは、こうした歳出の削減に抵抗するはずである。

 なお余談だが、マスコミなどではこうした「族議員」を「関連業界と連絡し合いながら、自分たちの関心分野に予算を回そうとする」人たちで、どちらかというとネガティブなニュアンスで言及されることが多い。しかし、一人一人の国会議員が全ての分野に精通することは不可能であり、役割分担を決めて分業するのは必要不可欠である。もちろん、政治資金をめぐって利益誘導的な行動がもたらされることもあるが、それはそうした行動の是非を議論すればいいのであって、族議員という政治的分業の必要性を否定することはできないと思う。

 小泉内閣は、予算の獲得に熱心な族議員たちのハードルをどうやって乗り越えたのだろうか。この点を理解するには、小泉内閣の推移を理解しておく必要がある。2001年4月に小泉内閣が成立した当初は、小泉首相は「自民党をぶっ壊す」という過激な言葉をつかって、不良債権処理、郵政民営化、財政構造改革などに取り組んだのだが、この時、いわゆる族議員のような行動をするグループは、いわゆる「抵抗勢力」としてむしろ積極的に対峙するという戦略を取ったのである。

 その対立の天王山となったのが、郵政民営化を巡る党との対立である。小泉首相は、就任当初から郵政の民営化に熱心であった。なぜこれほど熱心だったのか、私には謎なのだが、とにかく熱心であった。しかし、党側は全く熱心ではなかった。自民党は元々、特定郵便局のネットワークなどを通じて郵政事業とは深い関係がある。そんな関係を壊したくなかったのだろう。それでも「自民党をぶっ壊す」という意気込みの小泉首相は全くめげず、2004年9月、郵政事業を4つの会社に分割するという「郵政民営化の基本方針」を、自民党の了解を得ないまま閣議決定し、これを法律化して国会に提出した。これを審議した衆議院では、与党議員からも反対や棄権票が出たが、際どく賛成多数で通過した。しかし、参院では否決されてしまい、一旦は廃案となった。私は既に退官して、法政大学にいたのだが、このあたりの攻防は、党議に縛られないアメリカ議会の審議を見ているようで、見ている分にはなかなかスリリングで面白かった。

 参議院で否決された時、小泉首相は驚天動地の作戦に出る。なんと、参議院で否決されたことを理由に、衆議院を解散して民意を問うことにしたのである。確かに、参議院は解散という制度がないので、解散するとしたら衆議院しかないのだが、参議院での否決を理由に、賛成多数だった衆議院を解散してしまうというのは、「それはないでしょう」と考えるのが自然である。私もそう思ったが、見ている分には「これはますます面白くなった」と思ったものだ。

 この選挙はさらにドラマチックな展開をする。この衆院選挙で。小泉首相は、民営化に反対した自民党の前議員の選挙区に、対立候補(いわゆる「刺客」)を擁立したのだ。同じ自民党内で、小泉支持と抵抗勢力が争うことになったのである。私は、「なるほど、こういう展開になるのであれば、衆院を解散するという手もありだったかもしれない」と思った。こういう理屈はともかくとして、世間はこのドラマチックな展開にすっかり心を奪われた。マスコミも連日のように、前議員と刺客との選挙戦を報道する。あまりにも自民党の報道ばかりとなったため、野党側がバランスのとれた報道をするようマスコミに申し入れたほどであった。そして、小泉政権はこの選挙で歴史的大勝利をあげた。比例区で準備した自民党候補が人数的に足りなくなるというほどの大勝利だった。この大勝利を受けて、自民党内の郵政民営化反対論者はすっかり牙を抜かれた状態となり、2005年の特別国会で、郵政民営化法案は両院を賛成多数で通過したのである。

 なお、この点は本題とずれるので詳しくは述べないが、私は「この時の郵政民営化論議は何だったのだ」という気持ちを拭えないでいる。これほどの圧倒的支持を受けたはずの郵政民営化は、小泉政権以後、どんどん骨抜きになって行ったからだ。結局のところ、国民の多くは郵政民営化を本気で支持していたわけではなく、この時のドラマチックな選挙戦の渦中で、雪崩のように小泉総理サイドを支持したのだと思う。

 こうして2005年9月の総選挙以降は、自民党内での、小泉改革路線対抵抗勢力という対立は解消し、本心はともかくとして、表面的には全員が改革支持となったのである。その小泉首相が、財政再建を掲げ、主要項目別に歳出削減目標を決めるという方針を示したので、族議員は今度は「いかに歳出を削減するか」を競うようになった。この時の財政再建計画を決める時には、各分野の議員は、「他の分野にひけを取らないような歳出削減目標」を目指して議論を進めたと言われている。

公共投資の削減額について

 歳出削減計画についてもう一つ指摘しておきたいのは、公共投資の削減額についての議論である。議論に入る前にお断りしておくが、以下の議論はかなりマニアックな議論で、多くの読者は「何だそれは」という気持ちになるかもしれない。これまで誰も議論してこなかった点だからそれも無理はない。ただ、私自身は、独自に疑問を持ち、色々調べた末にたどりついたことなので、結構面白いなと考えてきたことである。

 もう一度表を見て欲しい。すでに説明したように、この表では主要項目ごとに、2011年度の「自然体」の支出額と「改革後」の支出額が明らかにされている。両者の差が「削減額」である。

 私が最初にこの表を見た時に疑問に思ったのは、3.9~5.6兆円という公共投資の削減額だ。これは自然体と改革後の差である。では、自然体とは何だろうか。社会保障費であれば、高齢者の増加で、何もしなければ歳出は拡大していく。これは分かる。人件費も、物価の上昇や民間賃金の上昇で、何もしなければ公務員の人件費は増えて行く。これも分かる。しかし、公共投資は何もしなければ増えて行くというメカニズムはない。何もしなければ、公共投資は現状維持となって増えないのだから、自然体は基準年と同じで、自然増はゼロだとも考えられる。

 いろいろ調べてみると、どうやら公共投資の自然体とは、公共投資を名目成長率(3%程度)と同じ率で増やしていった場合の金額を掲げたようだ。しかし、公共投資を成長率と同じだけ増やさなければならないというルールはないのだから、これを自然体として掲げる意味は乏しいように見える。そこで、何もしない自然体を「横ばい」状態だとしよう。すると、自然体の歳出は2006年度と同じ18.8兆円となり、削減額は1.0~2.7兆円となる。これは表に掲げられている削減額よりかなり小さい。そう、自然体を大きくすれば削減額も大きくなるのだ。

 私は次のように想像した。公共投資に自然増はないと考えると、公共投資の削減額は他の項目に比べて見劣りがする。成長率に合わせて自然体の歳出額を増やすと、削減額も増え、他の分野の関係者にも「公共投資もこんなに削減しました」と胸を張ることができる。日本では、常に横並びを意識するから、他の分野と見栄えが異なるのは困るのだ。注意して欲しいのは、こうして削減額が変わっても、目指す歳出規模は同じなのだから、実際の歳出削減行為そのものには何の影響もないのだ。

 私の想像が正しいとして、我々はこうした数字上の操作をどう評価すべきだろうか。批判的に見れば、公共投資の自然体の歳出額を水増しすることによって、削減額を見かけ上大きく見せているのはごまかしだとも言える。一方で、結果的に目指す歳出額は同じなのだから、見かけを工夫することによって、自民党内の合意を得やすくしても許されるような気もする。事実、ここで指摘したことは、誰も気が付かなかったのか、気が付いても議論する価値がないと思われたのか、国会でもマスコミでもエコノミストの間でも全く議論にならず、財政再建計画はスムースに受け入れられていった。私自身は、長い間政府の中にいて、関係部門の合意を得るために苦労してきたので、「うまく工夫したものだ」と、計画策定者に同情的になる。私が担当者だったら同じようなことを考え、実行したかもしれない。読者の方々はどう思うのだろうか。

 さて、こうして苦労して作り上げた画期的な財政再建計画は、小泉総理が退陣した後数年で挫折することになる。これについては、次回以降、稿を改めて説明することにしよう。



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」は こちら(旧サイト)をご覧ください。