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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第108回)

民主党時代の経済・財政政策(1) 鬼門としての社会保障改革

 

2022/09/20

 前回まで、財政政策の流れを辿ってきて、小泉内閣の画期的な財政再建計画が出来上がったところで終わった。今回は、その財政再建計画がどこで行き詰まったのかを振り返ることから始めることにしよう。それはその後の政権交代、民主党政権の発足につながっていく。

役人出身者は政府に同情的になるのか

 以下、後述するように、私は、2009年9月に発足した民主党の経済政策に対して、最初からかなり批判的であった。特に、当初の鳩山由紀夫内閣、それに続く菅直人内閣の政策は問題が多いと感じていた。あまりに問題が多いと思ったので、ついには、何人かの仲間と「政権交代の経済学」(2010年、日経BP社)という本を出したほどである。この本では、「最低賃金の引き上げは、働く人の経済状態を改善するのか」「子ども手当は、出生率を引き上げるのか」「民主党の成長戦略は、人間のための経済というスローガンにふさわしいものになっているのか」など、民主党の経済政策を批判的に検討している。自分自身で考えても、おそらく私は当時のエコノミストの中で、最も民主党の経済政策に批判的だったのではないかとさえ思う。

 こうした私の姿勢に対して、大学の同僚などからは「小峰さん、そんなにはっきりと政府批判をして大丈夫ですか」「お役人出身なのに、随分政府に厳しいんですね」と、「やや意外だ」というニュアンスを込めた言葉を掛けられたものである。要するに周りの人々は、私の民主党批判に違和感があったようなのだが、私は、そのように違和感を持たれることの方に違和感があった。この点を少し考えてみよう。

 まず、前者の「政府批判を展開して大丈夫か」という意見は、「政府から何かしっぺ返しを受けないのか」「官僚OBとしての今後に悪影響はないのか」という懸念を踏まえたものだろう。このうち、「政府から何らかのしっぺ返しがあるか」という点については、「そんなのあるわけがない」というのが私の考えである。私自身政府にいた時に、私が関係する政策や経済分析について、何度も批判されてきたが、「いろいろ議論したいことはあるが、一々構っていられない」というのが正直なところであった。要するに一介のエコノミストである私が何を言っても、政府は気にしないのである。しっぺ返しなど面倒なことをするわけがない。

 「OBとしての立場が悪くなるのではないか」という考えには一理ある。例えば、退職後も元の役所の関係する機関で働いていたりすると、まだ半分は公務員のようなものだから、確かに政府の政策を批判するのは控えた方がいいかもしれない。しかし私の場合は、退職後、法政大学に職を得るに当たって、特に大学に便宜を図ってもらった覚えはないから、この点についても遠慮する必要はなかった。

 ただし、道義的な遠慮はある。特に、役人を辞めた後すぐに、それまで自分が所属していた組織の政策を批判するのはためらわれる。これにはいくつかの理由がある。まず、漠然と「辞めた途端に、それまでお世話になっていた組織を批判し始めるのは、人間としてどうなのよ」という感覚がある。また、「そういう批判的な考えがあったのであれば、在職中に組織内で抵抗すべきだったのではないか」と言われそうなのも気になる。さらに具体的に言うと、辞めた直後に組織批判を展開したりしたら、直前まで一緒に仕事をしていた人たちの顔が浮かんでしまい、どうしても遠慮してしまうのだ。私が書いたものを読むであろう人の中で、顔が浮かんでしまうのは、ほんの数人に過ぎないのだが、それでもやはり、その数人の人がこれを読んでどう考えるだろうかと思うと、筆先が鈍るのである。

さて、前置きが長くなったが、民主党政権が発足した時、私は既に役人を辞めて8年が経過していたので、前述のような遠慮は全く消えており、後顧の憂いなく、政府の批判を展開することができたのである。

社会保障経費の機械的削減を巡る議論

 前回、政府は「2006年の骨太方針」で画期的な財政再建計画を決定したことを述べた。特に私は、主要歳出項目ごとに歳出抑制の目標を明示したことを高く評価していた。これを頑張って実行して行けば、着実に財政再建への道を歩むことが出来そうに思われた。しかし現実にはそうはならなかった。これにはいくつかの要因があるが、最も大きかったのは、社会保障費の抑制についての批判が強まったことであった。

 2006年の骨太方針で、社会保障費については、国地方合わせて1.6兆円(うち国は1.1兆円)を削減するという目標が決められていた。この削減額を対象期間の5年間でどう割り振るかについては、2006年の骨太方針ではわざわざ「今後5年間に実施すべき歳出改革の内容は、機械的に5年間均等に歳出削減を行うことを想定したものではない」と明記してある。そしてこの方針通り当初は毎年度弾力的に削減が行われていった。例えば、03年度は3000億円、04年度2200億円、05年度1254億円という具合である。しかし、07年度以降は、毎年度2200億円(1兆1千億円÷5=2200億円)というシーリングが設定され、その金額がそのまま削減目標となった。

 このような削減は、いかにも机上の計算に沿って、社会保障費を削っていくという印象を与え、強い社会的反感を呼ぶことになった。私なりにもっと正確に言うと、「血も涙もない機械的な削減だ」という批判を受けやすいやり方を採用してしまった、ということになる。その後、民主党への政権交代に大きな役割を果たすことになる2009年衆院選挙に際しての民主党のマニフェストでは「社会保障費2200億円削減は行いません」と明記されている。これをみても、この点がいかに政府批判の焦点であったかが分かる。

 なお、「血も涙もない機械的削減」という批判は極めて分かりやすいのだが、この2200億円の削減が「何に比べての削減なのか」という点で誤解を招くことが多かったようだ。その誤解の代表として、2008年3月の参議院予算委員会での、民主党櫻井充議員の発言を紹介しておこう。櫻井議員は次のように発言している。「2200億円いつも毎年減額して、厚生労働省の予算がどんどん減っていって、そのためにワーキングプアを創って、経済が伸びない、それから個人消費が伸びない、その原因を作っているのは経済財政諮問会議じゃないですか。」

 しかしこの発言は明らかに間違っている。2200億円の削減というのは、前年度に比べて削減するということではない。「何もしない場合の増加額(いわゆる高齢化などに伴う自然増)」から2200億円削るということであり、その自然増は、1兆円前後にもなるのだから、2200億円削っても、事後的な社会保障費は増えることになる。「削減して増やさないようにする」ということではなく「増え方を抑制する」ということなのである。したがって櫻井議員の言うように、「厚生労働省の予算がどんどん減っていく」ということは起きず、厚生労働省の予算は削減後も増え続けるのである。

 なお、こうした批判を受けて、社会保障費の2200億円削減が骨抜きになり、ついには撤回されて行く経緯については、大田弘子氏の「改革逆走」(2010年、日本経済新聞出版社)に詳しい。大田氏は、小泉内閣を引き継いだ安倍(第1次)、麻生内閣で、経済財政諮問会議を所管する経済財政担当大臣を勤めている。ここで紹介した櫻井議員の発言は、同書からの引用である。私は同書でこの発言を見て、大田氏が社会保障費の削減について、いくら説明してもなかなか消えない誤解によってさぞ大きなフラストレーションがあったのだろうと想像し、心を痛めた。その印象が強かったので、この発言は、私の著書「平成の経済」(2019年、日本経済新聞出版社)でもそのまま引用させていただいている。

鬼門としての社会保障

 ここで述べてきたような経験を踏まえて私が感じるのは、財政改革にとって社会保障は鬼門だということだ。何度も言うように、社会保障費は、高齢化に伴う年金、医療、介護の費用が自然増で増えて行くし、子育て支援も必要だから増加圧力は大きい。これに対しては、歳出を削減するか、消費税などの増税、社会保険料の引き上げなどの歳出増加策が必要となるが、いずれもいざ実行するとなるとどうしても国民的批判を招く。このハードルを乗り越えるのは非常に難しい。

 機械的削減を批判して政権交代を実現した民主党は、マニフェストで公言した通り、2200億円の機械的削減は行わなかった。しかし「やりません」と言っただけでは、問題は何も解決しない。社会保障費は自然増で増え続けたわけだが、改めて考えてみると、民主党のマニフェストには、この自然増への視点が全く欠けていた。マニフェストでは、公約として掲げた歳出増加要因に対して、一応財源の見通しを示している。この財源見通しは結局実現しなかったわけだが、この時計算していた歳出増加には、社会保障費の自然増が含まれていなかった。マニフェストに掲げた政策群への財源手当てさえ実現しなかったのだから、財源の手当を考えていなかった社会保障費の増加が、結局赤字国債で賄われることになったのは最初から分かり切っていたことであった。

 この社会保障が鬼門だという点で、私が深刻な問題だと思っているのは、社会保障への考え方が、国民一般と経済専門家の間で全く異なることである。例えば、本年7月に行われた参議院選挙の前に日本経済新聞が行った世論調査では、参院選で重視する政策としてトップだったのが「景気回復」の44%で、次が「年金・医療・介護」の35%だった。国民にとって社会保障が重要な関心事項であることが分かる。これは当然ながら「社会保障をもっと充実して欲しい」という要望であろう。

 一方、経済の専門家はどう考えているのか。この点については、内閣府の経済社会総合研究所が「日本経済と経済政策に係る国民一般及び専門家の認識と背景に関する調査」という長いタイトルの調査を行ったことがある(こちらで全文を読むことができる。https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/archive/bun/bun197/bun197g.pdf)。これは同じ質問に対する一般国民とエコノミストの回答を比較するという、なかなか面白い調査である。この中で、国民負担の展望について尋ねているのだが、経済の専門家は、半数以上が「国民負担の今後の増大は避けがたい」と答えているのだが、一般の回答では、国民負担増が不可避と考える割合は低かった(15%程度)。また、将来的に必要となる消費税率については、専門家が10%を超えて20%前後までの引き上げをやむをえないと考える傾向が見られたのに対して、一般の回答者の大部分は、現状水準(当時は8%)から10%程度とする回答が多かった。これは、経済の専門家は、将来の社会保障費の増加を見越して、消費税などによる負担増が必要だと考えていることを示している。

 つまり、経済専門家は、合理化、スリム化、財源手当ての対象として社会保障を考えているのに対して、特に選挙ともなると、多くの国民は「どんな政策を求めますか」と問われれば、社会保障の充実と答えるのである。こうした専門家と一般国民の認識ギャップの大きさは、考えれば考えるほど深刻な問題であるように思われる。政治家はどうしても選挙に勝とうとして、国民の要望に応えようとする。その結果、経済専門家が考える政策とのかい離はどんどん広がっていってしまうからだ。これは、現在に至るまで続いているように思われる。(続く)



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」は こちら(旧サイト)をご覧ください。