民主党時代の経済・財政政策(2) 政治と官僚の関係を考える
2022/10/18
前回に続いて、2009年に発足した民主党政権の政策運営について振り返る。民主党政権下では、特に当初の段階で、官僚との関係が混乱した。この点については、本連載第97回「国士とテクノクラートの間で」でも簡単に触れたことがある。また、私が2019年に出した「平成の経済」(日本経済新聞出版社)の中でも詳しく論じている。こうした記述と重複する面もあるが、改めてじっくり考えてみよう。
民主党のマニフェストと官僚
民主党が大勝利して政権交代が実現した時、大きな役割を果たしたのが、「民主党が政権を取ったらこんなことをやります」という公約をまとめた「マニフェスト」である。この時は「マニフェスト」という言葉が新鮮で、名前だけで訴える力があったようだ。その後、このバラ色のマニフェストと、現実の政策運営のギャップが余りにも大きくなっていったため、「マニフェスト」は、「実現できないような方針を文章で掲げるだけのもの」というイメージが定着してしまい、最近ではほとんど使われなくなった。言葉の運命というのも残酷なものだ。
さて、改めてこの時のマニフェストを読み直してみよう。マニフェストは、その冒頭で「5原則」と「5策」なるものを掲げている。5原則は次の通りである。
原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。
原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。
原則3 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。
原則4 タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。
原則5 中央集権から、地域主権へ。
5つのうち3つ(原則1、2、3)が、官僚のあり方に関係している。
5策は次の通りである。
第1策 政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。
第2策 各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。
第3策 官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。
第4策 事務次官・局長などの幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行動規範を定める。
第5策 天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を整備する。
この5策は全て官僚のあり方が関係している。つまり、全部で10ある5原則、5策のうち、実に8つが官僚に関係するものである。このことは、民主党は、官僚支配こそが、諸悪の根源だと考えていたことを伺わせる。
政党と官僚の建前と現実
このように民主党が官僚支配に極端な反感を持っていたのは、何となく理解はできるが、かなりの部分は認識の誤りであったと私は考えている。
何となく理解できるのは、民主党の人々は、次のように考えていたのだと想像が付くからだ。野党の側から見ると、政策が打ち出されたり、予算案が提出される時、自民党と政府の間では完全に意見のすり合わせができている。野党が政策の中身についての細かい説明を求めると、すぐに官僚が飛んできて、詳しい資料を基に説明する。各省庁にはいわゆる「族議員」と呼ばれる議員集団が付いており、両者は一致した利害の下に、各省の政策を実現しようとしているように見える。その内容はかなり吟味され、打たれ強くできているので、これを批判するのはなかなか難しい。どうも政策の実質的な立案は、官僚が自民党の意向を汲みながら作っているようだ。各省の政策のマスコミへの説明も官僚がやっているようだし、中には積極的に役所外で講演などで自省の政策をPRする官僚もいるようだ。官僚は、守られた地位で仕事をし、辞めると関係団体に天下りし、しかも複数の天下りを繰り返す例もあるようだ。これは本来の民主主義の制度設計に反している。本来は国民に選ばれた政治家が政策を決めるべきであり、官僚はその決定に従って効率的に政策を実行すればいいのだ。
このように受け止めていた人は、確かに民主党のマニフェストのような「官僚主導から政治主導への転換」が必要だと考えるのかもしれない。この民主党の受け止め方は、当たっている面があることは否定しないが、首をかしげざるを得ない認識も多い。現実の政策はどう動くのか。私が見てきた姿はつぎのようなものだ。
例えば、少子化対策について考えよう。厚生労働省では、次年度の予算要求をターゲットとして、政策を練り始める。一方、与党内でも関心を持つ議員グループが、少子化対策を打ち出して選挙でアピールできるようにしようと考える。官僚は、関係者からヒアリングしたり、各国の実例を調べたりして勉強する。必要な経費を積み上げ、予算要求書を作っていく。場合によっては法律の改正も必要になるから、法制局と協議しながら法案の準備を進める。さて、この政策は、官僚の力だけでは絶対に実現しない。法律を変えるのも、予算を決めるのも国会だからだ。
そこで、官僚は、与党の少子化に関心を持つグループと密接に情報交換をしながら、与党の理解を得て行く。与党の側は、細かい実務的な具体案作りは官僚の力を借りながら、自分たちの希望を盛り込もうとする。こうした調整の結果出来上がった法律案や予算案は、与党の中での意思決定を経て、与党の政策となっていく。つまり、与党と官僚は、実務的な政策の設計は官僚が、法案、予算案の国会通過は政治家が担うという形で、補完的な役割を果たしていたわけである。
さて、この時、官僚は自民党だから共同で政策の実現を図っているわけではない。自民党が時の与党だから自民党と一体化するのである。だから、民主党が政権を取った時にやるべきだったのは、官僚主導から政治主導への転換を図ることではなく、官僚に自分たちの政策の基本方針を示して、具体策を検討させれば良かったのである。今度は、民主党が与党になったのだから、各省は民主党と共同で政策を進めようとしただろう。
混乱する政治と官僚の関係
こうして基本的な対応の方向が見当外れだったのだから、当初狙っていた政治主導路線が混乱するのは当然だったと言える。私が実際に見聞したことだけからも、次のような混乱が見られた。
例えば、マスコミとの対応である。2009年9月16日の初閣議で決定した「内閣の基本方針」では、「府省の見解を表明する記者会見は、大臣などの『政』が行い、事務次官などの定例記者会見は行わない。ただし、専門性その他の状況に応じ、大臣などが適切と判断した場合は『官』がおこなうことがある」と定められた。要するに、官僚は記者会見はせず、政治家から任命された各省の大臣、副大臣、政務官が行うということである。
しかし、記者会見と言っても多様である。各省の重要政策を説明する場もあれば、内閣府で言えば、機械受注統計のような、定期的に公表される統計資料を解説する場でもある。これを政治家がこなすのは大変だ。統計調査の細かい仕組みや、その時々の変動要因を理解し解かなければならないからだ。第1弾の説明は、事務局が用意したペーパーを読んでいれば出来るのだが、記者から細かい質問が出ると答えられない。内閣府では、すぐに記者の方で「これは聞いても無駄だ」とわかり、記者会見が終わってから、担当課長に細かい点を聞きに来ていたようだ。
なお、前述の閣議決定はあいまいなところがあり、専門性が高い分野では「官」が記者会見をしてもいいとなっている。省によっては、「政」の方で「これはまずい」とすぐに気が付いて、細かい統計の説明などは、最初から「官」に任せたところもあったようだ。
「政」の側が、あまりにも細部に立ち入った例もあったようだ。この頃私は、法政大学で教鞭を取る一方で、当日本経済研究センターの主任研究員を務めていたので、しばしばセンターを訪れていたのだが、ある時、帰りのエレベータで、明らかに国会議員と見られる3人と一緒になった。彼らは「ここのようにしっかり研究活動をしているのであれば、何の問題もないですね」などと言いながらうなずき合っていた。私は、「ははあ、日本経済研究センターの実情を調査に来たのだな」と直感した。各省が所管している財団法人や社団法人は、若干の税制上の優遇措置を受けていたし、しばしば官僚OBの天下り先となっていた。そこで、民主党政権では、所属議員が分担して財団法人や社団法人を調べて回ったのであろう。私は「こんな細かいことまで国会議員がやるのか」と暗然とした。そんな仕事は国会議員の仕事ではない。こういう仕事のために官僚がいるのだから、調べたいのであれば、調査の方針を示して、細かい作業は官僚にやらせればいいのである。
国家戦略局の挫折
最後に、冒頭で示した5策をもう一度取り上げよう。「総理直属の『国家戦略局』を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。」とされている。私から見ると、これは「机上の空論」の典型例である。
まず、「官民の優秀な人材を結集して」とあるが、どうやって結集させるのだろうか。官については、各省から優秀な人材を供出してもらうしかない。この時、政の側では、そもそも誰が優秀な人材かが分からないから、各省から推薦してもらうしかない。各省でも、求められれば、粒よりの人材を出すだろう。集められた官僚に、政は「各省の立場を離れて国家的な見地から仕事をしろ」と言うだろう。集められた官僚も立場をわきまえているから、露骨に出身省の利益になるような姿勢は取らないだろう。しかし、これらの人々は、いずれは出身省に戻るのだから、出身省が困るようなことはどうしても控えるだろう。これは、終身雇用的な慣行が維持され、退官後の人生についても出身省がある程度面倒を見てくれることを考えればやむを得ないことである。
同じことは民間の人材についても言える。優秀な人材を見出すのがまず難しいが、仮に見つかったとしても、その人を国家戦略局に連れてくるのは容易ではない。優秀な人材であれば、それなりの報酬を得ているはずだが、戦略局がそれに匹敵する報酬を出すとはとても思えない。また、戦略局で仕事をした後のキャリア設計がどうなるのかも不透明である。国家ビジョンが出来たら放り出されるのかもしれない。かといって、民主党が将来の条件の良いポストを保障することは不可能であろう。
そして何よりも、優秀な人材を結集すれば、立派な国家ビジョンが出来るという発想そのものが余りにもナイーブである。国家ビジョンの専門家などいないのだから、集まってくるのは、経済、社会、技術開発、企業経営などの専門家である。一人ひとりが「国家ビジョンについて述べよ」と言われれば、ある程度のことは言えるかもしれないが、それは当然千差万別であり、それを集めてもビジョンにはならない。ビジョンを作るのであれば、それを主導しようとしている民主党自身の国家ビジョンをまず明確にしておく必要がある。
かつて内閣府の前身である経済企画庁には、総合計画局という組織があり、100人近いスタッフがいた。この局では、新しい内閣が発足すると、新首相の基本方針に基づいて、5年前後の長期経済計画を策定していた。その際には経済審議会に、学界、労働界、産業界、消費者代表、マスコミ、官僚OBなどから200人を超える有識者を集めたものだ。これらの有識者が半年から1年程度の時間をかけて、長期的な政策をまとめるのである。国家ビジョンを作るというのであれば、この程度の組織と時間をかける必要があったのである。
発足以来の国家戦略局の推移を見ると、十分な身分保障もないまま優秀な人材が集まるはずもなく、2009年11月初めの段階でも、民間採用者5名、役所からの出向者5名の合計10名、12月末になってようやく20名(サポートスタッフを除く)という有様であった。その後、鳩山内閣を継いだ菅内閣になると、戦略局の機能そのものが見直され、情報収集や政策提言を通じて首相をサポートすることとされた。国家ビジョンという大きな任務はいつの間にか消えてしまったのである。
ここで取り上げた論点の他にも、冒頭の5策については、「各省に多くの政治家が配置されたため、説明して了解を求める幹部が増えて事務が煩雑化した」「閣僚委員会というアイディアも、『話し合いをすれば調整がつく』という安易な発想だったため、ほとんど機能しなかった」「もともと事務次官会議は意思決定の場ではなかったため、これを廃止してもあまり意味はなかった」など多くの問題があるのだが、これ以上論じるのはやめておこう。
最後に、私も官僚だったので、官僚の立場からの意見を述べておこう。民主党の姿勢は、強い官僚不信に基づいていた。「政治が決めるから従え」「官僚は記者会見をするな」「天下りも、退官後の就職の斡旋も禁止する」と言われた官僚たちは、これをどう思っただろうか。全て政治で決めると言っても、政治は政治で、ともすれば国民の人気取りに向かうことも多く、官僚がそれを軌道修正してきたこともまた多い。もちろん官僚だから、面と向かって政治に反することはしない。しかし、不信感を持って接すれば、不信感を持たれた方も政治に不信感を持つだろう。前回述べたように、当時から私は、民主党政権の政策運営を強く批判していた。当時のある現役幹部は、私のこうした発言を見ていて、私に「小峰さんの発言を見て、多くの官僚は陰で喝采していると思いますよ」と言った。政治と官僚が相互の役割を認識して、相互に信頼しながら政府を動かしていって欲しいものだ。(続く)
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