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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第118回)

1994年の経済白書(5) 白書ではこだわりのテーマをどう扱ったか

 

2023/07/24

 前回、前々回と、公共投資の経済的な役割についての私の考えの変遷を紹介した。全体のストーリーが分かりにくくなってしまったが、公共投資の話が始まったのは、私が担当した最後の経済白書である1994年白書に、私がそれまでこだわってきたテーマをまとめて盛り込んだという話をしていたのだった。そして、なぜそういう話をしたかというと、当時の経済白書は、担当する課長の裁量の度合いが大きく、基本的には課長が書きたいことは書けるという時代だったということを言いたかったからだ。さらに言えば、当時の経済企画庁では、所属する官庁エコノミストの行動の自由度がかなり大きかったということでもある。

1994年白書と公共投資の経済分析

 私にとってのこだわりのテーマである公共投資について、94年白書ではどんな分析と主張が展開されたのか。94年白書が主に分析の素材としているのは93年の日本経済なのだが、この時は景気刺激のための積極的な財政支出が行われた時だった。93年度予算については、一般会計規模は前年度当初予算比0.2%増だったのだが、公共事業関係費は、景気に配慮して4.8%増加している。さらに、93年度においては、「総合的な経済対策」(93年4月)、「緊急経済対策」(同年9月)、「総合経済対策」(94年2月)と景気対策が相次いで策定され、そのたびに公共事業費が上積みされていった。要するに、公共投資の経済効果を議論するにはうってつけの時だったのである。

 そこで白書では、公共投資の乗数効果についての議論を展開している。まさに私のこだわりのテーマである。ここでまず、次のような指摘が登場する(論旨を変えない範囲で一部修正)。

 「ここで注意しなければならないのは、産業連関上の波及効果を通じた生産誘発額が変化したとしても、公共投資の乗数が変化するとは限らないことである。それは、原材料の調達構造が変わって付加価値を生み出す産業が変化しても、また迂回生産の程度が変化して川上の産業でより多くの付加価値が生み出されることになったとしても、いずれにしても各産業が生み出す付加価値の増分の合計は同じであり、公共投資乗数(公共投資1単位の増加によって最終的に生ずるGDPの増分)は変化しないのである。」

 かなり回りくどい表現で、一読しただけでは何を言っているのか分からないかもしれないが、言っていることは、本連載の前々回( 第116回 こだわりのテーマ 公共投資 ①)で書いた「生産誘発係数の大きさと、1兆円の公共投資によって何単位のGDPが増えるかは無関係である」「どんな種類の公共投資でも、規模の大小や事業の種類とは関係なく、総額が同じであれば景気刺激効果も同じである」ということである。

 既に書いたように、この命題を発見した私は「これはすごいことを思いついてしまった」と一人で盛り上がっていたのだが、私以外の人はあまり盛り上がらないので、ややがっかりしていた。そこで白書執筆の機会を利用して、私の考えを書き込んでみたのである。

 原案を書いた時は「何か議論になるかな?」と思ったのだが、課のスタッフからも反対意見は出なかったし、経済企画庁の中からも、さらには政府全体の中からも、何も異論は出ず、私が書いた原案はそのまま経済白書に残ることになった。それまで、せっかくの発見があまり注目されず、不満だったのだが、こうして政府の公式文書に残ることになったのだから、私はやや溜飲を下げたような気がしたのだった。

 続いて94年白書では、「公共投資乗数の低下をもたらしたと考えられる要因についての検証」が行われている。この部分では、公共投資の乗数が低下しているとすれば、①付加価値の増分のうち雇用者所得に回る割合が低下する場合(この場合は生産が増えても消費につながりにくい)、②限界消費性向が低下する場合(この場合は家計の所得が増えても、消費は増えにくい)、③公共投資の増加が設備投資を刺激する程度が低下する場合(公共投資を増やしても設備投資が誘発されない)、④限界輸入性向が上昇する場合(国内での付加価値の増加が海外に漏れ、国内の経済活動につながらない)のどれかだとしている。

 白書では、この4つの可能性を順次点検し、次のように結論付けている。「公共投資乗数が低下しているとすれば、日本の限界輸入性向が上昇し、日本経済が所得の増加に対して輸入が増加しやすい構造へと変化してきたため、公共投資によって誘発された需要の一部が輸入によって賄われ,海外への所得流出になる割合も高まったことが主たる原因であると考えられる。しかし、平均輸入性向が7%程度にすぎないことから明らかなように、輸入構造が変化したとしてもそれが公共投資の波及効果を大幅に減殺するほどのインパクトはないといえよう。」

 要するに「公共投資の乗数が低下したとしてもその程度はわずかであり、公共投資の経済効果に影響するようなものではない」というもので、長々と議論してきた割には、どうということのない結論のように見える。

 しかしこれも私が長い間こだわっていた論点なのである。これも本連載の前々回で述べたように、私は計量モデルを使った乗数の分析を行っているうちに、世の中で流布している「公共投資の効果が小さくなっている」という議論が実にいい加減であることに気が付き、「やるのであればもっと丁寧に議論すべきだ」と考えてきた。その丁寧な議論を経済白書で展開したのである。

白書では書くのを控えたこと

 さて、ここまでは、私のこだわりのテーマである公共投資の経済効果について、私がかねてから考えていたことを白書に書いたということを述べてきた。ここで注意して欲しいことは、「言わなかったこと」もたくさんあるということだ。

 本連載の前回で説明したように、私は、経済政策として公共投資を増やしたり減らしたりするという政策には反対であった。主な理由は、①公共投資を増やせという議論はすぐ出るが、減らせという議論は出ないので、結局財政赤字が累積してしまうこと、②経常収支の黒字を減らすために公共投資を増やせといった、間違った政策割り当てに使われてしまうこと、③景気刺激という名のもとに、社会資本を建設するために行われるという本来の目的が見失われがちなこと、などであった。

 しかし、こういうことは94年白書には書いていない。理由は簡単だ。そんなことを書いたら、政府批判になってしまうからだ。政府の公式文書である経済白書が、政府とは異なる考え方を書くことはあり得ない。また、公務員の行動規範としても、政府という組織の一員である公務員が、組織として決めたことと異なる考えを公表するのは避けるべきであろう。

 経済白書の担当課長になると、基本的には自分の好きなテーマを経済白書に書くことができる。しかしその内容には、「政府の方針には反しない範囲で」という制約が付いているのである。最近、この点について考える機会があったので、最後に紹介しておこう。

国会の参考人質疑での議論

 私は、2023年2月22日に参議院の「国民生活・経済及び地方に関する調査会」に参考人として招致を受け、意見を述べる機会を与えられた。

 わき道にそれるのだが、やや詳しく書いておこう。なお、以下、発言の一部を省略したり、読みやすいように書き直した部分がある。

 この調査会ではまず、会長である福山哲郎議員(立憲民主党)が、立ち上がって次のように発言した。

 「本日は、3名の参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。なお、御発言は着席のままで結構でございます。」

 これに続いて、最初の発言者である私は、次のように発言してから説明を始めた。

 「着席のままで失礼いたします。本日は、このような場で私の意見を申し述べる機会を与えていただきまして、大変ありがとうございました。」

 もちろんこうしたやり取りは形式的なもので、シナリオ通りだともいえるのだが、私は形式的であっても、こうして相互に敬意を払い会う発言をすることは重要なことだと考えている。国会における与野党間の議論でも、形式的でもいいから、お互いにもう少し敬意を払い会う発言があってもいいように思われる。

 さて、議論の中身だが、私には、やや長いタイムスパンで日本経済の推移と課題について、20分程度のプレゼンテーションを行うことが求められていた。これは、私が2019年に『平成の経済』(日本経済新聞出版)という本を出したことを受けての注文だと思われる。このプレゼンテーション中の小泉改革について触れた部分で、私は次のようなことを述べたのだ。

 「私自身、かつて経済企画庁の役人をしておりましたので、この小泉改革の中でいろいろ行政的な仕組みの見直しがあった中で、新しく出たもの、またそのときに失われたものがあるということを一言申し上げたいと思います。(以下、失われたものの例として、経済審議会と経済計画について説明した後)それから、私は官庁エコノミストとして活動していたわけですけれども、こういった存在もなくなってきました。それから、経済白書、これは私も書いていましたけれども、かつては経済白書というのが出るたびに日本の経済はどうなっているんだということについて各方面でいろいろ議論が巻き起こったのですが、最近は経済財政白書になって、基本的には政府の方針を追認するような内容のものになっていきました。こんな具合に、それぞれ得たもの、失われたものがあったのではないかというふうに思います。」

 この後、議員からの質疑があるのだが、何人かの議員のかたが、私のこの部分に関心を持ち、質問してきた。例えば、自由民主党の加田裕之議員からは、次のような質問があった。

 「小峰先生に是非お伺いしたいのは、コロナ後の日本にとりまして、よく言うグランドビジョンが見えない、そして政策的にどのようにこれから進んでいけばいいのかという声が多々あります。このように羅針盤を失った日本という中におきまして、私は、やはりこれは、先ほど先生がおっしゃいました官庁エコノミストという存在、経済政策を発表する人材の枯渇がある。また、政府の施策については、各方面から批判が出るわけですが、その批判を批判するという切り口も必要だと思います。

 私、兵庫県なんですけど、かつては、神戸出身の香西泰先生とか金森久雄先生みたいな、官庁エコノミストと言われる方々が、中立的な議論を展開していた。それが、経済企画庁が内閣府に吸収されてから、何かそういう視点が失われてしまったのではないかと思います。そういうものの失っている今の日本の現状ということについての先生の御所見をまずお伺いしたいと思います。」

 また、立憲民主党の小沼巧議員からは、次のような質問があった。

 「小峰先生のところで一番面白いなと思ったのは、新たなガバナンスの陰には失われたガバナンスありというところでありまして、やっぱり経済企画庁とか経済審議会の失われたものの中にあるところについて伺ってみたいと思うんです。

 先生の言葉を借りますと、バブルにいたときは分からなかったということがありました。また、不良債権に対しては認識の甘さということもありました。しかし、こういった中でも経済企画庁という官庁自体は存在をしていたということを考えてみると、そういった制度があったとしても、どうして分からないとか、あるいは認識が甘いということになってしまうことになったのか。役所という箱があったとしても、その議論をしていく調査研究の観点でありますとかミッション設定そのものに改善の余地が実はあったのではないだろうかと思うところなんですけれども、それについてお伺いしたい。」

 こうした質問は、官庁エコノミストの在り方についてのいくつかの重要な論点を含んでいる。

 まず、加田議員の質問にある「批判の批判を」という観点である。政府の政策は批判されることが多い。これに対して、政府の経済政策のねらいを、きちんとデータと経済学のロジックに基づいて説明することが必要である。それが「批判の批判」ということであろう。ただし、これが行われるためには、政府の政策そのものが、データと経済学のロジックに基づいたものでなければならない。つまり、望ましい官庁エコノミストの役割は、経済政策を立案するときに、その意義と効果の程度をロジカルに把握しておくことと、それに対する反対意見に、ロジカルに反論することだということになる。

 小沼議員の質問も重要な論点を含んでいる。小沼議員は、「経済企画庁、官庁エコノミストの役割といっても、経済企画庁や官庁エコノミストが存在した時にも、必ずしも適切な対応が行われなかったこともあったのではないか」と言っているのだ。この指摘は、経済企画庁や官庁エコノミストの役割の限界を示している。

 企画庁のような組織に官庁エコノミストが存在していたことは、それなりの役割を果たしていた。したがってそれがなくなったことによって失われた機能もあったことは間違いない。しかし、それは政府の一部なのだから、その行動には限界がある。企画庁のような役所や官庁エコノミストにスーパーマンのような正義の味方を期待されてもそれは困るのである。