GDPと内需・外需(下) 内需主導の成長を考える
2023/10/24
前回は、2023年4-6月期のGDPを素材として、「GDPの計算をする時に輸入はなぜ控除されるのか」、「GDP成長率を内需と外需の寄与度に分けることに意味はあるのか」、「輸入が減るとGDPが増えるという因果関係はあるのか」といった問題について考えた。その結果、次のような意外な結論が導き出された。
①GDPを計算する際には、輸入は輸出から控除されているのではなく、総需要から控除されている②外需(輸出-輸入)という区分をする理由はない
③輸入が減るとGDPが増える、輸入が増えるとGDPが減るという因果関係はないと考えた方がいい
こうした考え方をさらに進めて行くと、さらに意外な結論が導かれてくるのだ。
内需と外需の寄与度について考える
前回述べたように、外需(輸出-輸入)という区分がおかしいということになると、内需(国内需要)という区分はおかしくないのかという疑問が生まれる。もちろんその区分自体は全然おかしくない。国内の生産を巡って形成される需要(総需要)は、国内需要と輸出に分かれるのだから、この区分自体に問題はない。
なお、やや横道に入るが、例えば、大学の授業でGDPの「外需」が登場した時に、学生に「外需とは何だと思いますか」と質問すると、「輸出のことです」という答えが返ってくることが非常に多い。どうやら一般の人も、同じように考えている場合が多いようだ。「外需で成長しました」というと、だれもが「輸出が伸びて成長したんだろう」と考えるのは、「外需とは輸出のことだ」と考えているからだ。
総需要を区分した時、国内で生まれている需要を「国内需要」と呼ぶのであれば、輸出は海外で生まれている需要だから「海外需要」と呼んだ方が誤解を招かないだろう。つまり、多くの人は「外需」と「海外需要」を同じものだと考えているのである。
以上のように、内需という区分そのものに問題はないのだが、内需がどの程度成長をリードしているかという話になると問題が出てくる。いわゆる「内需主導の成長かどうか」という議論である。問題は二つある。一つは、内需がどの程度成長をリードしているのかをどうやって測るのか、という問題であり、もう一つは、内需が成長をリードすることが望ましいのかということだ。
最初の問題から考えよう。前回、外需(輸出-輸入)という区分で成長率の寄与度を見るのは意味がないということを指摘した。すると、成長率を内需と外需の寄与度に分けることそのものが意味がないということになる。成長率から外需の寄与度を引いたものが内需の寄与度となるが、外需の寄与度が無意味であれば、成長率から外需の寄与度を引いたものも無意味になるからだ。
具体的に見た方が分かりやすいだろう。例えば、戦後日本の高度成長はいかにして実現したかを考えてみよう。高度成長期の日本は平均9.3%(1956~72年度平均)もの高成長を実現した。これを寄与度で内需と外需に分けてみると、内需の寄与度が9.5%、外需が-0.2%となる。すると、高度成長は完全に内需主導で実現したように見える。
しかし実際はそうではない。輸出は年平均14.0%もの増加をして経済をリードしたからだ。それでも外需がマイナスになったのは、輸入もまた14.7%増加したからだ。高度成長期には、輸出と輸入がともに急増し、それが需要の拡大と経済の効率化を招いて高成長をもたらしたのである。
成長率を内需と外需の寄与度に分けることに問題があることが分かった。ここで議論を終わらせてもいいのだが、読者の多くは「ではどうするのだ?」と思うだろう。そこで、まだ十分検討し切れていないが、とりあえずの私の代替案として、総需要の伸びを内需と輸出に分ける案を提案してみたい。前回説明したように、経済は需要と供給からなっており、総需要と総供給は等しく、その総需要を構成するのが内需と輸出なのだから、内需がどの程度経済の拡大に貢献しているかを見たければ、総需要の伸びに対する寄与度をみればいいのではないか。
実際にやってみよう(多分、本邦初演)。以下、計算を簡単にするため、以下では年率表示ではなく、単純な増加率を使う。最新の2023年4‐6月期の場合、通常の「GDP成長率を内需と外需の寄与度に分ける」という方式だと、GDP成長率が1.2%で、内需の寄与度が-0.6%、外需が1.8%となる。これをそのまま解釈すると、「内需は低迷したが、外需にリードされて高めの成長が実現した」ということになる。これを総需要方式で考えると、総需要の伸びが0.2%、内需の寄与度が-0.3%、輸出が0.5%となる。今度は「内需が低迷し、輸出が下支えしたが、経済の拡大テンポは緩やかなものにとどまった」ということになる。かなり印象が違う。
過去に遡ると、2022年7‐9月期もかなり印象が違う。通常の内需と外需に分ける方式だと、GDP成長率が-0.3%、内需の寄与度が0.3%、外需は-0.6%だ。「内需はある程度成長したが、外需が大きく足を引っ張ってマイナス成長になった」という解釈になる。これを、総需要方式で見ると、総需要の伸びは0.6%、内需の寄与度が0.1%、輸出が0.4%となる。今度は「内需の伸びは鈍かったが、輸出が高めの伸びだったため、経済の拡大テンポは高めとなった」となる。全く違うストーリーになるのだ。
もちろんGDPは最重要の経済指標である。私の提案する総需要方式は、GDPそのものを説明するものではないので大きな限界がある。参考にしていただけるとすれば、GDPの動きを、需要面から補足するものだと受け取って欲しい。
内需主導という考え方について
次に、内需主導の経済成長ということを考えてみよう。なお、この点については、本連載の 「内需中心の経済成長という考え方―日米構造協議と経済摩擦(4)」(2015年3月24日)で述べたことがあり、以下で述べることは重複があるが、その後私の考えも変わってきているので、改めて議論してみよう。多くの人が当然のように「内需主導の成長」が重要だとするのだが、私はこの考え方に以下のような違和感がある。
まず、どうして内需中心の成長が望ましいのだろうか。「内需中心が望ましい」ということは、逆に「外需中心は望ましくない」ということになる。どうしてだろうか。私の見るところ、これには二つの理由があるようだ。一つは、惰性で何となく「内需中心が望ましいものだと」考えてしまっていることだ。
私は、そもそも内需中心という考え方がいつごろから始まったのかを確かめるために、歴代の経済演説(経済政策担当大臣による国会演説)を調べてみたことがある。すると、古いところでは、1983年1月の演説に登場しており、「内需中心の経済の着実な成長は、貿易摩擦の解決のためにも、また、雇用の安定を図るためにも肝要であります(一部略)」と述べられている。
ここから、内需中心の成長は貿易摩擦の解決のために必要だと考えられていたことが分かる。つまり、外需(輸出マイナス輸入)による成長は経常収支黒字を拡大させ、日米経済摩擦をさらに悪化させると考えたのである。私の見るところ、この議論は「どの程度の内需中心の成長によって、どの程度経常収支の黒字が減るのか」という実証的な検討なしに出てきたもので、当時から私自身は、内需中心の成長が実現しても、それによって経常収支の黒字が目に見えて減るようことはないと考えていた。いずれにせよ、現在は経常収支の黒字が増加して、それは経済摩擦の原因になっているということはないわけだから、これが「内需中心が望ましい」という理由にはならない。内需主導を唱えている人たちは、80年代の経済摩擦の時代の意識から抜け切れていない可能性がある。
内需主導が望ましいと考えられているもう一つの理由は、輸出主導の成長は望ましくないという考えがあることだ。つまり、外需主導が望ましくないと考えている人たちは、外需(輸出-輸入)ではなく、海外需要(輸出)主導の成長が望ましくないと考えているということである。
なぜ輸出主導は望ましくないのか。それは変動が激しいからだ。輸出が増えると、当然ながら景気にプラスである。しかし、日本の輸出はしばしば突然激減することがあり、それが経済の不安定性をもたらしてきた。
例えば、2008年9月のリーマン・ショックの時には、2008年度の輸出(実質、以下同じ)が10.2%も減少し、09年度も9.0%減少した。これによって、日本経済は大打撃を受けた。また、2020年以降の新型コロナ感染症の影響を受けた時には、世界経済の低迷、国際的なサプライチェーンの断絶などにより、2020年度の輸出は9.9%も減少した。いずれの場合も、こうした輸出の減少により、GDP成長率はマイナスとなっている。
輸出は国際環境の影響を受けるから、日本の政策ではコントロールできない。これに比べれば国内需要は、突然大きく増減することは少ない。すると、安定的な経済を実現しようとすれば、内需主導が望ましいということになる。しかし、そういう理由で「輸出の拡大に力を入れる必要はない」と考える国はない。国際競争に揉まれながら、輸出を増やしていくことが日本の経済力を高めることに疑いはない。私は、不安定だからという理由で輸出への依存を減らそうとするのは間違いだと思う。付加価値の高い輸出品を増やしていくことで、国際情勢の変化にも強い耐性を持つ輸出品を増やしていったり、財政金融政策で輸出減の影響を小さくしていくことが経済政策の王道だと思う。
もう一度内需について考える
以上のように、私は「内需主導の経済成長が望ましい」という考えには反対である。しかし、人一倍、内需が重要だとは思っている。私独自の考え方なので、やや分かりにくいと思うから以下で解説しよう。
GDPを考えた時に、経済には需要と供給があることを指摘した。この点を改めて考えてみると、需要とは、色々な物・サービスを購入して、人々の福祉が向上することを表わしている。消費という需要の実現は国民生活を豊かにし、民間住宅投資、民間設備投資という需要の実現は住宅ストック、設備ストックの充実をもたらし、政府支出という需要の実現は、公共サービスや社会資本の充実をもたらす。同じように、輸出という需要は、海外の人々の生活を豊かにしている。一方で、供給はその需要を実現するための手段だから、それ自体が国民の福祉水準を高めるわけではない。GDPは、内外の人々の福祉を高めるために国内で行われた生産活動であり、輸入は主として日本人の福祉を高めるため海外で行われた生産活動である。なお、このように考えてくると、「輸出」とは、海外の人々の福祉向上のために日本人が働いているということであり、「輸入」とは、日本人の福祉向上のために海外の人々が働いているということだということが分かる。私も含めて経済学者が「経済にとって重要なのは、輸出よりも輸入だ」と考えるのはこのためである(もちろん、そうは考えない経済学者もいる)。
すると、日本国民にとっての豊かさは、もっぱら国内需要(内需)によってもたらされることになり、内需の拡大こそが経済政策の究極の目標の一つだということになる。つまり、「内需がどの程度経済成長をもたらすか」が重要なのではなく、「成長によって内需がどの程度拡大したのか」を見るべきなのである。
なお、最後にお知らせがあります。この連載「私が見てきた日本経済史」が、『私が見てきた日本経済』(10月26日発売、日本経済新聞出版)という本になりました。私のエコノミスト人生の一つの区切りとして、いずれは書籍化したいと思っていたのですが、このたびそれが実現して、感慨深いものがあります。
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