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大竹文雄の経済脳を鍛える

教育の効果を測ることの難しさ

 

2012/10/19

 教育を受けることは、どのような経済的なメリットをもたらすのか。これを計測するには、どうすればいいだろうか。大学に進学した場合の生涯所得と高卒で働いた場合の生涯所得を比較して、その差が大学教育を受けるために必要な入学金や授業料といった直接費用を上回れば、大学に進学した方がいいというのが、標準的な経済学の回答だ。大学教育を受けるコストは、入学金や授業料だけではなく、高校を卒業して働いていたら得られたであろう賃金(機会費用)になる。したがって、統計データから、大学に進学した方が得か否かは、大卒者と高卒者の生涯所得を計算して、その差をとればいい。

 『賃金構造基本統計調査』(厚生労働省)には、学歴別、年齢別、性別の賃金が調査されている。少し古いが、2006年の男性のデータを用いて、高卒者と大卒者の64歳までの生涯所得を計算してみると、高卒は約2億2000万円、大卒は約2億9500万円となる。両者の差は7500万円なので、授業料が7500万円以下なら大学に進学した方が得ということになる。ということは、4年間で7000万円の授業料を払っても、平均的には大学に進学してもいいということだ。大学の授業料を年間300万円程度に引き上げたところで、学生は生涯所得が上がるのだから、進学してくれるはずだ。

日米で教育による生涯所得は違うのか

 日本経済新聞の記事によれば、ハーバード大学、コロンビア大学などの米国の私立大学の授業料は、300万円を越えている(「米大の学費、高騰やまず」日本経済新聞2012年10月18日朝刊)。この記事の中で、スキッドモア大学のサンディー・バウム教授は、米国で急増する大学教育のための学費ローンについて「高卒と大卒では生涯年収に大きな差がある。就職難とはいえ、ローンが3万ドルまでなら将来の投資として悪くない。卒業後の収入を見極め、支払い可能な大学を選ぶことも重要だ」と述べている。

 しかし、年間300万円の授業料をとるような大学は、日本では非常に少ないだろう。第一の理由は、大卒者と高卒者の年収格差は、日本より米国の方が大きいということだ。日本でも平均では、年間300万円の授業料をとって元が取れるといっても、ばらつきが大きいので、元が取れない人もそれなりに多い。米国なら、もっと大きな格差があるので、元が取れる可能性が高いのだ。

 第二の理由は、大学を卒業してから将来得られる所得を担保に授業料を借りるのが難しいということがある。学費ローンとして借りることができる額には限度がある上、金利も高くなる。

 第三の理由は、大学を卒業後、高卒者よりも所得が高くなるのは、ずいぶん先の話ということである。将来の所得は、現在の同額の所得よりも価値が低い。多くの人は、将来の所得を割り引いて考える。したがって、将来所得がより多く得られるからといって、現在、高い授業料を払うということにはならないのだ。

 もう一つ大きな問題がある。大学を卒業した方が、7000万円以上得になるという計算のもとになったのは、現実の大卒者と高卒者の平均賃金のデータだった。この計算の前提になっているのは、大卒者も高卒者も平均としては、同じタイプの人間で、たまたま大学を卒業した人と高校を卒業して働いた人がいるということだ。

人々は学歴を選んでいる

 自然科学で、マウスを使った実験をする際には、同じようなマウスを普通に育てるコントロールグループと生育条件を一つだけ変えたトリートメントグループの二つのグループを比較して、生育条件の差がマウスの成長や行動に与える影響を分析する。この場合、マウスのグループ分けは、研究者がランダムに行うので、平均すると同じような性質をもっていたはずだ。それで、二つのマウスのグループの行動の平均値の差は意味をもつ。

 もし、特定の餌の効果を調べるのに、もともとその餌が好きだったマウスと嫌いだったマウスによって、マウスをコントロールグループとトリートメントブループに分けていたとすれば、この実験は意味がない。その餌が好きだったマウスのグループは、彼らにとって何か生育にいい影響を与えるタイプのものだったからこそ、その餌が好きだったという可能性が排除できないからだ。

 ところが、先ほど行った大卒者と高卒者の生涯所得の比較というのは、人々が学歴を選んでいるということを無視していたのである。大卒で働いている人と高卒で働いている人が、平均的には潜在的に同じような人達だと仮定しているのである。実際には、大学に行った人は、大学に行くことが得だったからそうしたのである。高卒で働いている人は、資金制約の問題に加えて、高卒で働いた方が得だったからそうした可能性が高い。そもそも、大卒の人達と高卒の人達が違うタイプだったら、両者の生涯所得を比較してもあまり意味がない。私達個人にとって、進学すべきかどうかの決定は、仮に自分が高卒で働いたらどんな人生になるか、ということと、大卒で働いたときの人生を想像して、比較検討しなければならない。

 政策担当者が知りたいのは、進学率を引き上げたとき、どれだけ平均的に人々が豊かになれるのかということだ。ところが、現実のデータは、そのような比較をするには適していないのである。実証分析を行う経済学者は、この問題を解決するために、様々な工夫をしてきたのである。ここでは、その工夫については詳しく述べないが、工夫をしないと間違った解釈をしてしまうということを、例を使って説明してみたい。

現実の学歴間賃金格差にはバイアスが存在

 単純化のために、次のような状況を仮定しよう。人は第1期、第2期の2期間だけ働くことができるとする。高卒者であれば2期間とも働き、大卒者であれば1期目は働かず教育を受けて2期目だけ働く。人々は生涯所得が最大になるように行動しているが、その際の将来所得の割引率はゼロであるとする。大学にいくための授業料はかからないし、進学を希望すればだれでも大学に入学して卒業できる。

 今、世の中にはAとBの二つのタイプの人が同数だけいて、それぞれのタイプの人が高卒で働いたときと大卒で働いたときの将来所得は、つぎの表1のようになっている。それぞれのタイプの人は大学に進学するか否かを決定する際に、自分のタイプとそのタイプに関する学歴別所得を知っている。

 タイプAの人は、高卒の生涯所得は500万円で、大卒の生涯所得は400万円なので、高卒で働くことになる。タイプBの人は、高卒の生涯所得は600万円だが、大卒だと900万円になるので、大学に進学する。そうすると、世の中の高卒者はタイプAで生涯所得500万円、大卒者はタイプBで生涯所得900万円ということになる。

 このことを知らないで、大卒者は高卒者よりも生涯所得が400万円高いので、大学進学率を引き上げるべきだと、政策担当者が意思決定したり、授業料を350万円にしても進学率は変わらないという判断をすることは間違っている。

 現実のデータを分析すると大学の効果を常に過大に評価してしまうというわけでもない。表2の場合を考えてみよう。

 このとき、タイプCは高卒だと生涯所得が300万円、大卒だと600万円になるので、大卒を選ぶ。高卒では一人前にはなれないので、大学教育を受けてやっと一人前になれるというタイプだ。大学教員の中には、このタイプが多いのではないだろうか。タイプDは、高卒だと600万円だけれども、大卒だと450万円なので、高卒で働くことを選ぶ。高卒でプロになるかを悩んでいるスポーツ選手なら十分に考えられるだろう。ハーバード大学を中退して起業したビル・ゲイツもこの例にあたる。高卒で職人になった方が、大学を出るより活躍できる人もいるだろう。この場合、世の中には、タイプDの高卒者とタイプCの大卒者しかいないから、大卒の生涯所得も高卒の生涯所得も同じ600万円になる。

 現実のデータから作成された統計データをみた政策担当者が、大学に行っても豊かにならないので、大学を廃止すべきだと判断してしまったとしたらそれは間違いである。

 では、現実には表1と表2のどちらの可能性が高いのだろうか。経済学者の多くは、表1の方がありそうだと考えていた。しかし、学歴の自己選択バイアスを考慮した推定を行った結果、表2の方が成り立っていることを示唆する研究結果も外国では報告されている。

 経済学的思考で重要なことは、人々は常に自分が望ましいような意思決定をしていて、データとして得られるのは、その意思決定の結果だけであるという事実を認識しておくことなのである。その事実を忘れて意思決定をしてしまうと、政策担当者なら間違った政策を行ってしまう可能性があり、個人ならより豊かになれたチャンスを失ってしまう可能性がある。特に、日本の政策は、モデル事業を行うところを公募して、それが成功すれば、その事業を拡大するという手法が取られることが多い。そのような政策評価の問題点をよく理解しておく必要がある。