損失回避と財政破綻
2012/12/14
財政破綻の危機感がなくなった?
衆議院選挙の政策論議を見ていても、日本の財政についての危機感はあまり感じられない。実のところ、消費税の増税が決まって、日本の財政問題は解決すると思っている人が多いのではないだろうか。むしろ、増税しなくても、景気さえ回復すれば、やっていけるのではないか、と思っている人が多いように思える。そういう国民の声を反映してか、衆議院選挙においても、消費税増税をやめて景気対策を重視すべきだという議論もなされた。しかし、実際のところ、日本の公的債務は莫大なものになっていて、消費税が10%に増税されたところで、公的債務を解消するには程遠いことはあまり認識されていない。
日本の政府債務の対GDP比率は214%もある。公的債務の対GDP比率が拡大しないためには、少なくとも、国債の償還や利払い以外の政府支出額(政策的経費)が税収額よりも小さくなっている必要がある。この税収額と政策的経費の差がプライマリーバランスと呼ばれるものだ。金利と経済成長率が等しければ、プライマリーバランスがゼロの場合で、公的債務の対GDP比率は一定になる。ところが、2011年のプライマリーバランスの対GDP比は約7%の赤字である。政府の予測によれば、2016年度でも2.8%の赤字が残るとされている。つまり、今後も日本の政府債務の対GDP比率は上昇を続けていくということだ。
低い国債金利
債務危機に陥ったギリシャでも公的債務の対GDP比は約170%、イタリアは約120%である。日本はそれよりも高い債務比率にあるのだ。ところが、私たち日本人は、財政状況が悪化していることを実感することはない。だからこそ、日本人は国債を安心して買っている。私たち一人一人が国債を買っているという実感がなくても、日本の金融機関は資金の運用先として大量に国債を購入しているのである。金融機関に国債購入意欲があるために、国債金利は1%よりも低い水準で推移している(図1)。つまり、1%以下という低い金利であっても日本の国債はほぼ確実に償還してもらえるという確信があるから、日本の金融機関が購入するのである。そのような日本の金融機関に安心してお金を預けているのが、私たち日本人である。日本の財政は破綻しないことを私たちが確信しているからこそ、国は低金利で国債が発行できるのである。
低金利だから安心なのか?
では、低金利で国債が発行できているということは、財政が破綻しないということの証拠になるのだろうか。「財政が破綻しないと人々が信じているから低金利で国債が発行される」ということと、「低金利で国債が人々に購入されているから財政が破綻しない」ということとは違う。人々の財政破綻の可能性に対する予想が正しく、国債金利が低ければ、財政破綻の可能性が低いということになるが、現時点での人々の予想が正しくても、新たな情報が入って来ればその予想が変わることも多い。
図2に、ユーロ圏の国の中で財政危機が伝えられる国について、最近の国債金利の推移を示した。
この図でわかることは、ギリシャの財政赤字に関する統計が真実でなかったことが発覚した2009年10月以前は、どの国の国債金利も5%程度であったということだ。財政危機が発覚してから国債の金利は上昇しはじめ、2012年3月2日は、37.1%という水準にまで上昇した。イタリアについては、財政状況に大きな変化がなかったにも関わらず、2011年11月には7.26%まで国債金利が上昇した。同じような財政赤字の水準であったとしても、将来の国債の償還可能性について疑問が発生すれば、国債の金利はその時点で上昇を始める。国債の金利の上昇というのは、国債の市場価値の下落を意味する。
財政破綻が生じた国について膨大な歴史的データを集めて分析したラインハートとロゴフの『国家は破綻する』という本によれば、財政破綻をインフレによって解消した国では、財政破綻によるインフレの発生が始まるのは、実際に財政が破綻する1年半ほど前からにすぎないとされている。
国債金利の動きや、インフレと財政破綻の分析からわかることは、現在インフレがなく、国債金利が低いからと言って、5年先、10年先に財政が破綻する可能性がないとは言えないということだ。
現在の日本の国債金利が低いのは、次のいずれかの理由からだろう。
第一に、国際的にみると日本の租税負担率が低いので、まだまだ増税の余地があると信じられている。第二に、将来財政支出の削減が行われると信じられている。第三に、経済成長がおこり、現在と同じ税率であっても税収そのものが増えると信じられている。おそらく、第一と第二の理由が大きなものだと考えられる。このような期待に基づいているわけなので、その期待が裏切られる情報が入れば、国債の金利は上昇する可能性が高い。
しばしば、日本はギリシャと違って、国債を保有しているのが日本人なので、ギリシャのような財政破綻は生じないと言われる。しかし、現在国債を保有している日本人が、日本政府の国債償還力に疑いを持ち始めれば、国債以外の資産をもつことになる。国債を売却して、外国の株式や国債を持ち始めれば、日本の国債の金利が高騰して、価格が下落することは同じである。
資産価格というのは、将来の収益の予測から成り立っているので、その予測が明日になって変わってしまえば、明日の資産価格は大きく変化する。国債もまったく同じである。将来の日本の財政状況が改善しそうにないという予想が、明日から広まれば、その時になって財政破綻がリアリティをもって感じられるようになる。しかし、それでは大きな経済危機を防ぐには遅すぎるのではないだろうか。
損失回避と財政破綻
客観的にみれば、日本の財政は、人々がいつ財政破綻の可能性を信じ始めて、破綻状態に陥ってもおかしくない状態にある。それにも関わらず、私たちは、債務返済にまじめに取り組もうとしないのはどうしてだろうか。これは、行動経済学で知られている損失回避で説明できるように思う。損失回避とは、損失による価値の減少を、利得による価値の上昇よりも、人々は非常に大きく感じることを言う。
そのため、人々は次のような行動をとってしまう。少しの損失を確実に被る選択肢と、現状を維持できる可能性もあるけれど大きな損失を被る可能性もあるという選択肢に直面した人を考えよう。多くの人は、確実に損失を被るという選択肢を避けて、現状を維持できる可能性があるギャンブルに賭けてしまうのだ。
具体的には、次のような選択課題だ。2万円をもらった人が、「そのまま、2万円を手に入れることができるか、それとも2万円を返却するのかを決める半々の確率のくじを引いてください。でも、1万円払ってもらえれば、そのくじを引かなくていいですよ。」と言われた場合である。
最初から考えると、1万円払っても手元に1万円残るので、十分に得なはずだ。しかし、多くの人々は、2万円を一旦手にしたら、それを失いたくなくなってしまうので、現状を維持できる可能性を狙って、ギャンブルをしてしまう。現在の日本もそれに近いのではないだろうか。一旦に手に入れた低い税率の暮らしを守るために、将来の経済成長というギャンブルをしようとしているように見える。
こうした損失回避行動は、生物学的にも説明がつくように思う。損失局面で、現状を維持できる可能性に賭けないで、確実に損失を被る方を全員が選ぶ生物がいたとしたら、その種は環境の変化によって全員が滅亡する可能性がある。しかし、現場維持の可能性があるギャンブルを選んでいたとすれば、大きな損失を被って生存できない個体もいれば、ギャンブルに成功して生存できる個体もいる。そうすれば、損失回避の選択をした種は、生物としては、生存し続けることが可能である。
財政破綻についても、このような危機に直面した場合に、損失回避の特性によって、将来の経済成長を信じて低税率、高歳出を続けるというギャンブルをすれば、それで成功する国もあれば、失敗して滅亡する国もある。人類としては生き残りに成功する。確かに、生物として人間をみれば、それでいいのかもしれないが、そういう覚悟が私たちにできているのだろうか。
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