企業の利益と一般国民の利益は乖離してきているのか?
2013/05/16
1.グローバル人材
「大学は企業が必要とする人材を育てていないのではないか」、という疑念は、産業界に根強いものがある。実際、政府の2013年4月2日の日本経済再生本部では、人材育成について「文部科学大臣は、人材育成機能強化、人材のグローバル化推進のため、意欲と能力に富む全ての学生に留学の機会を与える環境整備を進めること。特に、国立大学のグローバル化、イノベーション人材育成、若手登用の観点から、運営費交付金の戦略的配分、年俸制の抜本的導入など人事給与システムの改革、大学での外国人教員の採用拡大を軸とした具体的な改革パッケージを早急に取りまとめること」という指示が、本部長の安倍総理大臣から出されている。
この宿題に対して、下村文部科学大臣は、4月23日の産業競争力会議で「人材力強化のための教育改革プラン」 という回答をしている。主な内容は、「国際バカロレア導入、入試へのTOEFL活用、日本人の海外留学支援」などというグローバル人材育成策と「外国人研究者の積極的採用、年俸制の導入」などからなる国立大学改革である。
こうした産業界からのグローバル人材育成の要求は、企業活動がグローバル化していることを背景にしている。グローバル化した企業では、当然、事業所の立地は日本国内だけではない。従業員も日本人だけではないし、株主にも外国人が多い。そうすると、グローバル化した企業の成長を促し、利益を高めるという政策が、必ずしも日本人の利益に繋がらないのではないか、という疑問が出てくるのは自然だろう。そうした、人々の疑念をうまく表しているのが、「壊れゆく日本という国」という内田樹氏が朝日新聞(2013年5月8日朝刊)に寄稿した文章である。
私なりにその趣旨を大胆にまとめると、「グローバル企業からグローバル人材の育成をはじめ様々な要求がでるが、そうした要求に応えて、グローバル企業の利益が増えたところで、それは日本人の利益になるとは限らないのではないか。グローバル企業を助けるという名目で、日本人が犠牲を払っているだけではないか。TPP、消費税増税、低賃金、サービス残業もすべて日本人が払う犠牲だ。ようするに、グローバル化した日本企業を支援する政策は、『日本の国富を各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス』だ」ということになる。
「諸悪の根源は、グローバル化した企業であり、私たちが貧しくなっているのは、世界の富裕層に資産を移転しているためだ」という議論は、分かりやすい話だ。グローバル人材養成と言われて英語を勉強し、低賃金に耐え、長時間労働しなければならないのは、グローバル企業の所有者である富裕層に所得を移転するためだ、と言われれば、グローバル企業が要求することに反対したくなる気持ちもよくわかる。
2.国民の利益とは
グローバル企業を支援することが国民の利益になるかならないかは、国民の利益をどのように計測するかに依存する。数字で厳密に国民の利益を表すことは難しい。しかし、マクロ経済の統計である「国民経済計算」で、国民の利益を考えてみよう。私たちがもっとも普通に使うマクロ経済指標は、国内総生産(GDP)である。これは、日本人か外国人かは無関係に国内で生産された付加価値の合計である。日本人ではなく、日本国内の経済の活動レベルが高いことが望ましいのであれば、GDPはそれにふさわしい指標である。グローバル化した日本企業の海外生産による付加価値はGDPに含まれない。GDPを政策目標にするのであれば、グローバル企業への支援がGDPを増やすか否かで判断することが望ましい。
日本人ということが大切であれば、GDPよりも国民総所得(GNI)の方が指標として望ましい。GNIは、GDPに海外からの資本所得や賃金などの要素所得を日本人が受け取るものを足して、逆に国内から外国人に支払われる要素所得を引いたものである。グローバル企業が海外で生産したことによる利益は、日本GNIには含まれるのである。日本人の利益が、日本国内での生産活動のレベルではなく、日本人の所得で測るべきならば、GDPよりもGNIの方が望ましい指標になる。グローバル企業に有利な政策が、日本人の利益と乖離するか否かは、そうした政策が日本のGNIを増やすか否かを検証すればいい。
国民の利益という意味では、国民がより豊かな生活を楽しめるようになることが大切かもしれない。その指標としては、消費額が代理変数になるだろう。GDPが増えても、十分に消費に使われず投資に向かいすぎると、過剰な資本を抱えてしまうこともある。それなら、より少ない資本や所得のもとで、豊かな消費を楽しんだ方がいい。いずれにせよ、国民の利益を測る指標を正しく用いれば、政策の評価はできるはずだ。
3.国民の利益の多様化
そもそも、グローバル化した企業の利益と国民の利益が乖離してきたという印象を人々がもつのはどうしてだろうか。もし、企業の利益と国民の利益は今よりも昔のほうが密接に関係していたと感じられていたとすれば、それはなぜなのか。企業がグローバル化したということも一つの理由かもしれないが、むしろ、国民が多様化したことが大きな理由ではないか。
第一の多様化は、人口の少子高齢化である。第二次大戦直後の日本の人口構成は、ピラミッド型をしていた(図1)。この頃の日本人の多数派は若年層である。その後、少子高齢化の進展で、各年齢別人口は均等化していった(図2、図3)。特に、65歳以上の人口比率が1990年代から上昇を続け、現在では25%を越えている。人々は、老後の生活を賄うために勤労期に資産を蓄積している。その蓄積した資産をもとに老後の生活を送るのである。そのため、引退直後の60歳代の人々の金融資産残高は高くなる。『全国消費実態調査』から推定すれば、60歳以上の人々が、日本家計金融資産の60%以上を保有していることになる。
勤労者が大多数であった場合には、勤労者の利益が日本人の利益だと言えたかもしれない。しかし、25%が65歳以上の人々になり、これからもその比率が上昇を続け、40年後には4割を占めるようになると、勤労者の利益は必ずしも日本人の利益ではなくなる(図4)。むしろ、資産所得を高めることによって利益を得る人々が大きなグループとなってくる。
資産を保有しているとしても、株式をもっている人は少ないという批判があるかもしれない。しかし、私たちは公的年金資産という形でかなりの株式を保有している。厚生年金と国民年金の運用を行っている年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、2012年末で約112兆円を運用しているが、そのうち約13%にあたる14兆円は国内企業の株式で運用されている。ほぼ同額が外国株式で運用されているのだ。つまり、グローバル化した企業の利益は、日本の公的年金の運用収益にもなっている。確かに、勤労者に比べると、平均的には高齢層は富裕層である。グローバル企業が利益を増やした場合、その恩恵を受けるのは例外的な一部の富裕な日本人だけではなく、公的年金を受給する多くの平均的な日本の高齢層もそうなのである。
第二の日本人の多様化は、技術革新が賃金に与える影響によって引き起こされている。現在の技術革新は、労働者のタイプ別に異なる影響を与えている。コンピューターの能力の拡大によって、定型的な事務作業をはじめとするコンピューターと代替的な技能をもった労働者に対する需要は減り、創造的な仕事をはじめとするコンピューターが苦手とする技能をもった労働者への需要が増え、賃金格差が高まっている。かつては、経済成長によって労働者全員が一律に賃金上昇を得られた傾向が高かったかもしれない。しかし、現在の技術革新による経済成長は、企業が成長しているにも関わらず、労働者の間の格差が拡大するということが発生している。
第三に、グローバル化の効果も日本の労働者間で異なる影響をもたらす。海外の低賃金労働と同じ仕事をする労働者の賃金は相対的に低下する一方で、そうした海外で作られる製品やサービスと補完的なものやサービスを作る人たちの賃金は高くなる。
こうした日本人の多様化は、「日本人の利益」の合計が増えたとしても、その利益の分配が平等にはならないことを意味している。利益の分配が平等にはならないからといって、日本人の利益の合計額を減らす政策をめざすべきではないだろう。技術革新やグローバル化による格差を縮小するためには、コンピューターの苦手なことができる人材や海外の労働者と補完的な仕事ができる人材を増やしていくしかない。
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