社会保障制度に行動経済学を活かす
2016/01/27
日本では財政的な余裕がない中、高齢化の進展、相対的貧困率の上昇が続き、医療、公的年金、生活保護など様々な社会保障支出が増えている。高齢者の人口が増えているだけでなく、貧困率が高まっている若年層を中心とした育児支援、貧困対策、教育や訓練、就職支援に今まで以上に公的な支援が必要となっている。限られた財源をより有効に使うということがますます重要になっているが、その際、行動経済学の視点で制度を見直せば、日本の社会保障をより効果のあるものに変えることができるかもしれない。
「まとめ支給」問題
いくつかの社会保障の給付は数ヶ月分まとめて支給される。例えば、子どもの貧困対策として児童手当と一人親世帯向けの児童扶養手当が存在するが、どちらの制度も4ヵ月ごとにまとめて年3回手当が支給される。
この制度のもとでは、現金の支給があったときに過剰な消費をしてしまい、次の支給日近くになったときには十分なお金をもっていないため、消費水準が低下するということが生じる(錦光山雅子「ひとり親 波打つ収入、綱渡り児童扶養手当4カ月ごと、低所得世帯への公的手当、毎月支給が有効」『朝日新聞』2015年12月27日朝刊)。家賃支払いのためのお金がなくなり、それを消費者金融から借りてしまうということも発生する。極端な場合は、家賃の支払いができなくてホームレスになってしまうということもあるかもしれない。
計画的に消費できていたら、借金に伴う金利支払いをせずに、より高い生活水準が維持できたはずである。実際、公的年金の支給が年3回から年6回に支給頻度が高まったとき、消費支出の変動が小さくなったことが、宇南山卓一橋大学准教授らの研究でも示されている(Stephens and Unayama (2011))。
これについては、計画的にお金を使えばいいはずだ、という批判がある。しかし、私たちが計画的な消費行動をとることが難しいことは、「現在バイアス」という行動特性として、行動経済学では知られている。現在バイアスとは、常に現在の利得を重視してしまうということである。長期的には将来のことを考えて貯蓄をするという計画を立てることができるが、現在時点でお金を使うという満足度が高く、貯蓄計画を先延ばししてしまうことを言う。長期的には健康を考えて来週からダイエットや禁煙をするという計画を立てることはできても、来週になると、その計画を先延ばししてしまうというのも現在バイアスの例である。
特に、貧困家庭では、毎日の生活がぎりぎりの決断の連続であるため、数ヵ月という消費計画を立てることは難しいし、視野が短期的になってしまう。最近の研究では、貧困者は金銭的に合理的な計算が裕福な人たちよりできないわけではなく、貧困によって認知能力が長期的な意思決定よりも短期的な意思決定に集中してしまうことが知られている(Mani, Mullainathan,, Shafir, & Zhao(2013), Shah, Shafir, & Mullainathan (2015), Shah, Mullainathan & Shafir(2012)等)。つまり、貧困に陥れば、誰でも長期的に計画的にお金を使うということが難しくなるのである。「まとめ支給」をなくすことで、貧困状態にある人が、貧困状態から脱出することを容易にし、より悲惨な状況に陥ることを防ぐことができる。
以前なら事務手続きが面倒であったかもしれないが、現在は事務手続きのコンピューター化で毎月払いに変えることは大きなコストがかからないはずだ。同じ金額を給付するのであれば、頻度を高めることが重要である。
社会保障の非受給者と手続き先延ばし
生活保護などの社会保障の受給要件を満たしていても、受給していない人たちの存在をどう解釈するかという点も考え直す必要がある。日本の社会保障制度は、公的年金も生活保護も申請主義である。しかも、面倒な手続きをしなくてはならないことも多い。これは、本当は貧困状態にない人が貧困だと偽って受給したり、努力すれば貧困状態から逃れることができる人が受給したりするということを防ぐために行われてきた。しかし、貧困状態にある人は、そもそも制度に関する知識をもっていなかったり、受給手続きを先延ばししてしまったりした結果、受給そのものをしていないことがある(Congdon, Kling, and Mullainathan,(2011))。マイナンバーが整備されるこの機会に、貧困状態にある人を的確に見つけ出して、行政の方から手を差し伸べる、そういう仕組みの構築が必要となるだろう。
貧困状態に陥った場合に、そこから脱出する努力を先延ばしする傾向が強くなりがちなことを考慮することも必要だ。毎日の生活に目一杯であれば、長期的には望ましいと思っている行動でも、先延ばしすることになる可能性が高いからだ。実際、先延ばし傾向をもった人の方が、消費者金融を利用する傾向や、派遣労働に就く傾向が高いという研究結果もある(筒井他(2007)、Lee and Ohtake(2014))。先延ばし傾向による貧困の長期化を防ぐには、職探しや訓練受給などの貧困脱出に向けた行動を起こすことを条件に給付したり、あえて給付に期限をつけたりして行動を促すこと、行動を促すための支援を行うことが大切になる(Babcock, Congdon, Katz, and Mullainathan(2012))。
世代間の協力を高めるために
現在の若者や子どもの貧困が深刻化することによって、日本の成長率が下がってしまうことが生じるとしても、それは将来の話である。しかし、長期的には将来のことを重視すべきだと分かっていても、つい現在の消費を重視してしまうという「現在バイアス」は、誰にでもある。そのため、現在の公的年金制度や医療保障の水準を下げたり、それらの保険料や税金を、現在時点で上げたりすることに多くの人は反対する。
公的年金の現在の受給者のほとんどは、自分が支払った保険料よりも、生涯でもらう年金給付の方が多い。しかし、受給者に送られてくる「ねんきん定期便」には、どれだけの金額が若い世代からもらっている移転額かが分からない。そのため、自分で支払った部分に見合った給付をもらっていると思っている受給者が多いはずだ。給付額のうちいくらが移転額なのかを明記したり、他の世代であればいくらの保険料を支払わないとその受給額がもらえないかを明記したりすれば、年金を受給する高齢者の意識も変わるかもしれない。
行動経済学の政策活用
政策に行動経済学の成果を活かす動きは海外では既に始まっている。米国では、2015年9月15日に、オバマ大統領がアメリカの人々のための政府の政策をよりよくするために、行動経済学や心理学などの行動科学の知見を活かすべきだ、という大統領令を出している(Obama(2015)。英国でも内閣府を主体にした行動経済学洞察チームが設置され、様々な政策への応用が始まっている。
日々の生活をやりくりすることで目一杯の状態になると、長期的には何をすべきか分かっていても、それを実行する余裕がなくなってしまう。社会保障の受給対象者の多くは、そういう私たち誰もがもつ行動特性が顕在化している。そうした人々には、行動経済学的なアプローチが有効である。日本でも政策応用を本格化すべきなのではないだろうか。
文献
Babcock, Linda, William J. Congdon, Lawrence F. Katz, and Sendhil Mullainathan, “Notes on Behavioral Economics and Labor Market Policy,” IZA Journal of Labor Policy, vol. 1 (2012), article 2.
Congdon, William J. ,Jeffrey R. Kling, and Sendhil Mullainathan,(2011) Policy and Choice: Public Finance through the Lens of Behavioral Economics (Washington, DC: Brookings Institution Press, 2011).
Haushofer, Johannes, Daniel Schunk, and Ernst Fehr (2013) “Negative Income Shocks Increase Discount Rates,” mimeo.
Lee, Sun Youn, and Fumio Ohtake (2014) “Procrastinators and hyperbolic discounters: Transition probabilities of moving from temporary into regular employment,” Journal of the Japanese and International Economies, Volume 34, 291-314,
Mani, A., Mullainathan, S., Shafir, E., & Zhao, J. (2013). “Poverty Impedes Cognitive Function” Science, 341(6149), 976-980.
Obama, Barack (2015) “Executive Order – Using Behavioral Science Insights to Better Serve the American People“
Shah, A. K., Shafir, E., & Mullainathan, S. (2015). “Scarcity Frames Value,” Psychological Science, 26(4), 402-412.
Shah, A. K., Mullainathan, S., & Shafir, E. (2012). “Some Consequences of Having Too Little”. Science, 338(6107), 682-685.
Stephens, Melvin, and Takashi Unayama (2011) “The Consumption Response to Seasonal Income: Evidence from Japanese Public Pension Benefits.” American Economic Journal: Applied Economics, 3(4): 86-118.
筒井義郎・晝間文彦・大竹文雄・池田新介(2007)「上限金利規制の是非:行動経済学的アプローチ」 、 『現代ファイナンス』 、 22巻 (頁 25 ~ 73)。
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