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大竹文雄の経済脳を鍛える

気づかない偏見

 

2019/01/15

1.誰にでもある偏見

 私たちが文章を理解する際には、文章に書かれている情報だけで理解しているわけではない。背景となっている様々な既知の情報を知っていて初めて理解できることも多い。逆に、自分の思い込みや偏見が文章の理解を妨げることもある。それを実感してもらうために、次の文章を読んでみてほしい。

 父親と息子が交通事故に遭った。父親は死亡、息子は重症を負い、救急車で病院に搬送された。運び込まれた男の子を見た瞬間、外科医が思わず叫び声を上げた。「手術はできません。この子供は私の息子なのです。」(注1)

 状況がうまく理解できなかった人が多いのではないだろうか。複雑な家庭環境の人なのではないか、と思った人もいるかもしれない。私自身もこの文章を初めて読んだ時は、頭が混乱した。

 この文章を読んで混乱してしまうのは、外科医と言われただけで男性の外科医を想像するからだ。この文章の場合、外科医が女性なら自然に理解できる。私たちは、無意識のうちに様々な思い込みをしていて、それがかなり重要な意思決定にまで影響を与えているのである。

2.オーケストラにおける女性差別

 このような偏見が重要な意思決定に与える影響については、アメリカのオーケストラの演奏家の採用試験に関する経済学の研究が有名である。ハーバード大学のゴールディン氏とプリンストン大学のロウズ氏が行ったものだ(注2)。オーケストラの演奏家に要求されるのは、より高い技術をもった演奏家であり、性別は無関係である。オーケストラにとっても聴衆にとっても、優れた演奏家が採用されることが望ましい。演奏技術の評価はプロであれば的確にできる。だとすれば、男女差別の入る余地はなく、演奏能力だけで採用が決まっているはずである。

 実際、米国の有名オーケストラの演奏家の採用者の女性の割合は、現在、35%以上になっている。しかし、かつては、米国のオーケストラの採用者の女性比率は約5%であったという。この女性比率の拡大をもたらした大きな要因は、音楽大学における女性比率が拡大したことではなく、採用試験で演奏者の性別も含めて誰かわからない状態(ブラインド・オーデション)で行うようになったことだとゴールディン氏らは採用データから明らかにした。明確な実力差が比較的容易に判断できる職種であっても、候補者の性別がわかる場合には、男性を採用する比率が高かったのだ。

 このような無意識の男女差別によって被害を受けているのは、女性演奏家だけではない。良質な音楽を聴くことができない聴衆と優れた演奏ができないことからオーケストラの両者も損失を被っている。

3.統計的差別

 偏見による差別の問題は、医学部の入学試験で女性受験者が不利な扱いを受けていたという問題にもあてはまる。医学部が、女性受験生に対して不利な扱いをした理由として経済合理性が主張されることがある。女性医師が出産・子育てで労働時間が短くなるため、男性に比べて医師の生産性が低くなるというのだ。訓練費用を企業が負担する場合に、勤続年数が平均的に短いと予測されるグループに対して採用差別をすることは、経済学では統計的差別として知られている。

 仕事をしながらの職業訓練(OJT)にしても職場外での職業訓練(OffJT)にしても様々な訓練費用がかかる以上、企業にとっては企業負担で訓練をするためにはその訓練費用が回収できることが必須である。それには、訓練によって能力が高まることに加えて、その企業により長く勤務してくれることが重要な判断材料になる。しかし、個々の労働者が、どのくらいの期間その企業に勤続しそうかははっきりわからない。一方で、性別や学歴別には、平均的な勤続年数がわかっているとすれば、平均的に離職率が低いグループの社員に訓練をより多くすることが合理的になる。こうした統計的差別によって、男女間格差が発生しているとすれば、その解決は、訓練費用も労働者が負担して生産性に見合った賃金を支払うということになるだろう。しかし、訓練の一部は、当該企業でしか活用できない技能であって、その場合の生産性の上昇が大きいということであれば、訓練費用の労働者負担も難しい。それが、統計的差別の理由である。

4.医学部入試における女性差別は合理的か

 医師の場合も似ているかもしれない。確かに、大学医学部が医学部付属病院や連携先の病院に派遣するための医師の養成機関であるなら、上記の議論が成り立つように見える。そのためには、医師養成費用の一部を、医学生本人や公的資金だけではなく、大学病院や関連病院が負担しているという部分が必要になる。大学医学部へ寄付したり、医学部教員を病院で雇用したりするといった手法で医師の訓練費用の一部を実質的に負担していると解釈できる。そうすると、企業が統計的差別を女性従業員にすることと同じではないか、ということになる。それが、医療関係者の本音だろう。

 ただし、それだけでは、議論は終わらない。医師の技能は、特定の系列病院だけで有効な技能ではない。どの病院でも通用する一般的技能である。そうであるなら、医師の訓練費を企業側が負担することはないはずだ。なぜなら、大学付属病院や関連病院が訓練費を負担したとしても、生産性が高まった時点で、医師は当該病院に勤め続けて生産性よりも低い給料をもらい続ける必要はない。他の病院では高い生産性が発揮できないのであれば、この仕組みで、関連病院は訓練費用を回収することができる。ところが、医師の技能は、どの病院であっても通用する一般的技能である。そうであるなら、訓練費用の返却を必要とする関連病院に勤め続けるのではなく、他病院に移動して高い給与を得ることが理論的にはできる。つまり、統計的差別で議論されているような訓練費用の回収が目的という議論は、医師の場合なりたちにくい。

 一般的訓練であっても、労働市場が不完全で、医師の転職が難しい状況になっているのであれば、企業特殊熟練のケースと同じになる。病院は医師が転職しないことを前提に、訓練費用を負担し、その後回収する。そうであれば、長期勤続が望める医師を採用したい。つまり、医学部入学段階で統計的差別をしたい、ということになる。

 ここまで考えてくると、本来一般的技能である医師の場合に、男女間で統計的差別が発生しているのは、医師の転職市場が十分に発達していないことが理由だということになる。女性医師の方が、労働時間が短いから採用したくない、ということであれば、それを反映した賃金になっていれば、病院の収益にはそれほど大きな影響を与えない。

 また、女性医師が働きにくい職場になっているのは、女性医師に対する偏見があるためかもしれない。男女別役割分担意識が無意識にあるために、女性医師だけが働きにくくなっている可能性がある。男性も女性も同じような労働環境にするということをまず考えるべきだろう。

 さらに、女性医師の方が男性医師よりも優秀だという研究もある。カリフォルニア大学の津川友介氏らによれば、内科医の場合、女性医師の方が男性医師よりも担当患者の死亡率が低いということだ(注3)。女性医師の方が、治療に関する医学的なガイドラインを守る傾向が高いことが、この理由として考えられている。

 女性医師がいると生産性が下がるから、医学部の入学段階で、女性を不利にするのは合理的だ、という意見はいかにも説得的なように見える。しかし、よく考えてみると、このロジックには無理なところが数多くある。女性医師に対する見方は、オーケストラの演奏家の採用試験の際のような偏見に基づいているのかもしれない。かつては、オーケストラでは、演奏家は男でなければならないという偏見が強かったことが、女性比率が低かった理由であった。それがブラインド・オーデションに変わって、女性比率が上昇し、オーケストラの演奏レベルの上昇につながった。世界各国で、医師の女性比率が低い国は少ない。日本の女性医師だけ生産性が低いということを正当化することは難しい。

 無意識の偏見によって引き起こされている問題は、組織的・制度的に意識的な対応をしないと解決できない。そのためには、データをもとに、合理的に説明できない格差を明確にしていくことが必要だ。医学部の入学試験における女性受験者差別の実態が明らかになったことは、このような偏見による差別を解消していくことにつながるだけではなく、より生産性が高い社会にしていくための第一歩である。

(注1)この話は、イリス・ボネット(2018)『WORK DESIGN 行動経済学でジェンダー格差を克服する』NTT出版、をもとにしている。

(注2)Goldin, Claudia, and Cecilia Rouse. 2000. “Orchestrating Impartiality: The Impact of ‘ Blind ’ Auditions on Female Musicians.” AMERICAN ECONOMIC REVIEW 90 (4): 715–41.

(注3)津川友介(2018)「なぜ医師の診療パターンに違いがあるのか」、大竹文雄・平井啓編(2018)『医療現場の行動経済学』東洋経済新報社所収。