国際的なサプライチェーンの行方
2012/05/14
【東アジアとの国際分業関係】
昨年の東日本大震災は多くのことを私たちに気づかせてくれましたが、その中の一つに、サプライチェーンを通じて、日本国内の各地域間はもとより日本と海外諸国との間も、生産面で密接に結びついているという事実がありました。例えば、東北地方のある電子部品工場が被災して、部品供給が止まってしまったために、日本各地の自動車生産が滞ると同時に、海外における自動車生産にも支障をきたす事態に発展したことは、まだ記憶に新しいところではないでしょうか。このような国際的なサプライチェーンの存在は、タイにおける洪水のときにも浮き彫りにされました。
こうしたことの背景にあるのが、日本を中心とした東アジアにおける国際的な分業関係です。それは長期間にわたって徐々に築き上げられてきたものです。今回のコラムでは、ゴーギャンの絵のタイトル「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」ではありませんが、その国際的な分業関係のこれまでの歩みを整理した上で、その行方について展望をしてみたいと思います。
【国際分業関係の第1ステージ】
これまでの東アジアとの国際分業関係の歴史は、二つのステージに分けることができます。
第1ステージは、1990年代末までの時期です。この時期は、プラザ合意を契機に日本の対外直接投資が拡大をみせた時期です。プラザ合意以降、円高が急速に進行し、我が国における生産コストが相対的に上昇しました。そのため、企業は東南アジアや中国を中心に生産拠点を移転させるための直接投資を拡大させることになりました。新たに設立された生産拠点は、低賃金を活かして労働集約的な組立作業等を行い、そこで生産された最終製品を外国に輸出するという役割を担うことになりました。
このことは、日本の貿易にも影響を及ぼすことになりました。直接投資先の輸出は日本からの輸出を代替した面もあります。しかし、新たに海外の生産拠点向けの生産財や資本財の輸出を増加させることにもなりました。また、生産拠点の製品を日本に逆輸入するという現象も見られました。日本と東アジア各国との貿易関係は、直接投資の増加を背景に、双方向で深まっていったのです。
こうした状況を自転車の車輪に例えて言うと、日本が中軸「ハブ」になり、東アジア諸国との間に「スポーク」が何本も張られたようなものです(第1図)。ただし、この時期には、東アジア諸国間の貿易関係はまだ稀薄でした。自転車の車輪のうちの回りの部分である「リム」はまだなかったのです。この状況が変わってくるのが、第2ステージです。
【国際分業関係の第2ステージ】
第2ステージは、2000年代以降、現在に至る時期です。アジア危機を経たこの時期には、日本との貿易関係が深まっていた東アジア諸国の経済発展が著しく進んでいきます。韓国はもとより、中国が台頭し、さらにインドネシアが注目されるようになった時期です。この時期になると、東アジア諸国それぞれにおいて中間層が育ち、市場として輸入を拡大させることになります。さらに、各国で大企業が成長し、直接投資を行う主体として登場するようになってきます。その結果、東アジア諸国のなかには、かつての日本のように近隣諸国に直接投資を行い、貿易関係を緊密にしていくという国も現れてくるようになりました。この傾向は、AFTA(ASEAN自由貿易地域)の誕生によってさらに加速されることになりました。
そうした中で、日本の貿易や直接投資も変容してきています。まず輸出面でいうと、中国をはじめとする東アジア諸国の国内市場での販売を目的とした輸出が増加していきます。また、直接投資も、東アジア諸国の国内市場での販売を目的としたものが増加しています。その中には、輸出型の製造業だけでなく、小売業のような内需型非製造業も含まれています。
先の例でいうと、日本を中心とした車輪の「リム」の部分が形成されてきたのがこのステージです(第2図)。また、スポークの先が、それぞれ直接投資を介して新たな車輪の「ハブ」を形成するようにもなっています。
【「ものづくり」を巡る環境変化】
それでは、今後はどのような姿になっていくのでしょうか。現在のような姿が続くと考えていいのでしょうか。それとも、何らかの変化が見られていくのでしょうか。
この点を考えるにあたっては、次のような二つの大きな環境変化を考慮に入れておく必要があります。
第1に、東日本大震災によって確認されたように、日本は様々な自然災害リスクにさらされているということです。その影響を分散立地などによって極小化することは可能ですが、その結果、どうしてもコストは相対的に増加せざるを得なくなります。
第2に、これまでのように原子力発電に大きく依存することができなくなることから、長期的には電力供給面からの制約を受ける可能性が高いことです。これも、火力発電の増強、自家発電の拡大、再生可能エネルギーの開発等によって緩和することはできますが、その代わりにコスト増は甘受しなければなりません。
以上のようなコスト増加要因は、日本製品の価格競争力を低下させ、日本が、これまで通りの「ものづくり」を継続することを困難にする可能性があります。長期的には、我が国の産業構造は大きく変わらざるを得ないように思います。
【産業構造の将来像と第3ステージ】
新しい産業構造の将来像については、三つの道が考えられます。
第一の道は、これまでの延長で考えられるもので、製造業製品の付加価値を高め、価格競争に頼らなくても輸出できるようにすることです。日本の製造業は、為替の変動や輸入価格の変動を輸出価格に転嫁することが困難なことに現れているように、これまでも非価格競争力はありませんでした。その意味では、すでに今の「ものづくり」は限界に突き当たっていると考えられます。そうした状況を打破するには、イノベーションを積み重ね、付加価値を高めることにより、価格以外で競争できる品質面、性能面での質的な強みを強化することが必要です。
もしさらに大きな転換に踏み切るとしたら、第二の道は、財貿易ではなく、サービス貿易を強化することです。サービスの生産は、物理的な生産に依存するわけではないので、資源に制約されたり、工場の立地・生産のコストに縛られたりすることは少なくなります。むしろ、サービス貿易は、人材(人的資本)に依存するところが大きいので、日本の比較優位に合致しているようにも思われます。なかでも技術貿易は、これまで企業で培われてきた技術力を生かすことにもなり、大きな潜在力を秘めている分野ではないでしょうか。
第三の道は、活発な直接投資を通じて海外における経済活動を拡大し、多国籍企業化していく企業の収益が、国内に還元され、我が国経済の経済成長に役立つようにすることです。これは財やサービスの貿易に頼らない、全く新しい産業構造の構築を意味します。こうした方向性は、部分的には所得収支の大幅な黒字としてすでに現れてきています。しかし、これがさらに経済成長につながっていくためには、海外で生み出された所得が最終的に家計に還元され、それが消費を刺激して企業収益に結び付くという好循環が形作られることが必要です。しかし、その点で我が国は大きな課題を抱えています。家計の金融資産に占める現預金が大きく、株式や投資信託が少ないために、配当やキャピタル・ゲインを通じて、国外で生み出された所得が家計に還元されにくい構造になっているのです。この点を克服できるかどうかがこの道の成否の鍵を握っていると言えます。
仮に第2、第3の道に進んでいくのが第3ステージだとすると、国際分業の姿はどのようなものになるのでしょうか。三度、自転車の車輪の例で言うと、「スポーク」の部分がサービス貿易(invisible trade)や所得収支に置き換わっていくということになります(第3図)。財の動きを見ているだけでは分からない、新しい関係の構築です。
こうした国際分業上の新しい関係が、日本の経済成長力の強化を伴うかたちで形成されるためには、長期的な展望を持ちながら、着実に政策的準備を進めていくことが必要です。今後の取り組みの強化が求められます。
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