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齋藤潤の経済バーズアイ (第3回)

欧州の財政、日本の財政

 

2012/06/14

【低長期金利のパラドックス】

 現在、南欧諸国の動向が世界経済上の焦点となっています。しかし、日本の財政状況が、南欧諸国の財政状況より悪いということはよく知られています。国際比較によく用いられる経済協力開発機構(OECD)の数値で比較しますと、2011年の一般政府債務残高のGDP比は、例えばギリシャでは170.0%であるのに対して、日本では205.5%となっています。ギリシャ以外の国々、例えばスペインなどはさらに低いのですが(75.3%)、スペインのように金融機関への支援による潜在的な債務増加要因を抱えている国は実態としてはもっと高いという見方もあります(この見方によれば政府債務だけでなく民間債務も合わせて見るべしということになります)。しかし、仮にそうした調整をしたとしても、日本の財政状況が悪いという事実が覆されることはないでしょう。

 ところが、こうした財政状況にもかかわらず、日本の長期金利(例えば10年物国債の流通利回り)は極めて低い水準に止まっているのが現状です。それどころか、政府債務残高GDP比率は上昇しているのに、長期金利は横ばいか、むしろ低下するような傾向さえ示しているのです。これは明らかに、南欧諸国において、長期金利の上昇が財政状況に対する警告となっているのとは大きく異なる点です。このような「パラドックス」はなぜ起きるのでしょうか。

【パラドックスについての説明】

 「パラドックス」についての説明としては、マーケットの非合理性で説明しようというものと、マーケットの合理性を前提に説明しようとするものがあります。

 マーケットの非合理性を前提にした考え方の例としては、国際通貨基金(IMF)のFiscal Monitor (2011年9月) が挙げられます。それによりますと、本来、長期金利は、財政状況を織り込むべきだが、いまだ織り込んでない、これから織り込んで上昇するはずだということになります。しかし、これほど財政状況が悪化しており、マーケットでもそれに注目しているはずなのに、いまだにそれが長期金利に織り込まれていないというのは、あまり説得的であるとは思えません。

 マーケットの合理性を示すような分析例としては、経済財政白書(2010年版)のものがあります。確かに長期金利の水準は低いわけですが、それにはすでに財政リスクプレミアムが織り込まれているというのが分析結果です。本来の長期金利(均衡長期金利)は、潜在実質成長率と期待物価上昇率の和と等しいと考えられますが、現在の日本の潜在実質成長率は1%に満たず、しかも期待物価上昇率は、デフレ下でマイナスになっている可能性もあります。そうだとすると、本来の長期金利は、極めて低いはずで、それを上回る現実の長期金利との差が、財政リスクプレミアムを含むと考えられるというわけです。それにしても、財政リスクプレミアムが低いということも事実です。白書では、このリスクプレミアムの低さは、経常収支が黒字であることと関係しているとしています。この点については、後述します。

 マーケットは非合理的だとする考え方と合理的だとする考え方の中間に位置する考え方もあります。現在のような高い国債価格(低い長期金利)には、長期的な合理性はないが、当面は国債価格が上昇すると考えて、多くの投資家が国債を購入しているので、実際にも国債価格は上昇しているような状況にあり、短期的な合理性はあるというものです。言い換えると、国債価格はバブル的な状況にあるというのがこの考え方です。

【国債バブルを支える構造】

 このような現象は、日本の国債保有構造によって支えられていると考えられます。日本の国債等の主体別保有割合を2011年末でみますと、国債等の9割以上を国内投資家が保有しています。特に、約65%を国内の民間金融機関が保有しています(図)。良く知られているように、日本の家計は多額の金融資産を保有していますが、大半は預金として金融機関に集まっていきます。しかし、金融機関の貸出先であるべき大手企業は手元流動性が豊富で、「銀行離れ」を起こしているために、金融機関からの借入需要はあまりないのが実情です。そのため、金融機関は運用手段として国債を大量に購入していると考えられます。国債がリスクウエートゼロとされていることもそうした傾向を支えているのでしょう。

 このように大量の国債を抱え込むと、金融機関はそれを市中に売却できなくなります。国債の値崩れを招き、金融機関のバランスシートに大きな影響を及ぼす危険性があるからです。国債は、金融機関に「抱え込まれてしまっている(ロックインされてしまっている)」とも言えるでしょう。

【財政再建のための時間的余裕】

 もっとも、外生的な要因によっていったん値崩れが起こってしまうと、話は違ってきます。損失が拡大する前に早めに身軽になろうとするインセンティブが存在するので、われ先にと売却競争が起こる可能性があるからです。短期的な売却益を求める海外投資家の保有割合が高まってくると、そのような可能性は高まると考えられます。現在は、海外投資家の国債保有割合は、約8%に止まっています。しかし、経常収支の黒字が縮小し、やがて赤字になるとすると、その時には資本収支は黒字(外国資本の流入)になっているはずなので、海外投資家のプレゼンスは高まることになります。そうなると、今は低い長期金利が急騰する可能性のある環境が形成されることになるわけです。

 経常収支が赤字になるような状況は、人口高齢化の下で、そう遠くない将来にやってくると考えられています。昨年の東日本大震災の影響の一環で、エネルギー供給構造が変化することによって、経常収支が赤字になる時期が早まるという見方も多くなっています。

 しかし、仮にそうだとすると、注意しなければいけないのは、国債市場における変化がその時になって初めて起こるわけではないということです。将来のある時点で国債価格が下落をするリスクが高まると、投資家はそれまでみすみす待つのではなく、それを見越して早めに(価格の高いうちに)国債を処分しておこうとするはずです。つまり、長期金利の高騰は、経常収支が実際に赤字化するより前に起こる可能性があるということになります。問題は、それがどのくらい前かわからないということです。

 欧州政府債務危機のようなことが日本でもやがて起こるのではないかと危惧されています。そして、しばしば、「時間的余裕が限られている」ので一刻も早く財政再建を進めることが必要だとされています。一刻も早い財政再建が必要なことはその通りですが、これまで考えてきたことを基に考えると、怖いのは、財政再建のための「時間的余裕が限られている」というよりは、むしろ、「時間的余裕が読めない」ということなのかもしれません。