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齋藤潤の経済バーズアイ (第5回)

アジアは世界の成長センターであり続けられるか

 

2012/08/14

【アジアの将来についての見方】

 アジアは、恵まれた人的資本と輸出志向型発展戦略の採用によって成長能力を高めてきました。その結果、今やアジアは「成長センター」として世界経済をけん引するに至っています。それでは、今後はどうでしょうか。中長期的にもアジアの経済成長は持続し、21世紀は「アジアの世紀」になるとの見方が多くあります。

 しかし、果たして簡単にそう言えるのでしょうか。そこに落とし穴はないのでしょうか。筆者は最近アジアに関するいくつかの国際会議に出席する機会がありました。今回は、そうしたなかで浮き彫りになってきたいくつかの論点を中心に、アジアの将来について考えてみたいと思います。

【アジアにおける高齢化・人口減少】

 アジアの経済成長を長期的に考えてみた場合、注意すべき第1の点は、今後、急速に高齢化・人口減少が進展することです。例えば、韓国を例にとると、65歳以上人口の生産年齢人口に対する比率は、2010年の時点ではまだ15%と日本の36%に比してかなり低い水準にありますが、2030年には39%、2040年には57%、2050年には71%と上昇を続け、そして2060年には日本の78%を上回る81%になるものと予測されています。

 しかも、こうした高齢化は、人口減少と並行して進展します。韓国の人口は、2010年の4940万人から2030年には5220万人へと増加を続けますが、それ以降は減少トレンドに転じ、2040年には5110万人、2050年には4810万人となり、2060年には4400万人にまで減少すると予測されています。2030年から2060年にかけての韓国における人口減少スピードは、日本が2010年からの30年間に経験すると見込まれている人口減少スピードに匹敵することになります(Statistics Korea, Population Projection for Korea: 2010-2060 , December 2011)。

 当然、このような人口動態は、韓国の経済社会に大きな影響を及ぼすことになります。この結果、韓国の中長期的な成長能力は鈍化し、1981~2007年の年平均実質成長率が6.3%であったのが、2011~2020年には4.4%に、そして2021~2030年には3.4%にまで低下するとの予測が示されています(Asian Development Bank, Long-Term Projections of Asian GDP and Trade, November 2011)。

 韓国では、こうした高齢化を見越して、1988年に公的年金制度が導入され、順次対象が拡大されてきています。また、介護保険制度も2008年に導入されています。しかし、果たして実際の高齢化・人口減少に直面した時に、この制度が持続可能性を維持できるのかどうかが懸念されています。本年3月に開催されたアジア開発銀行研究所(ADBI)と韓国NEAR財団共催のコンファレンスでも、「日本の教訓:日本は韓国の将来か?」をテーマに、社会保障制度のあり方を含む広範な問題についての議論が行われました。

【アジアにおける労働生産性の伸び悩み】

 アジアの長期的な経済成長を展望した時に注意すべき第2の点は、アジアにおける労働生産性の伸び悩みです。仮に人口増加率が鈍化し、減少に転じたとしても、労働生産性が高まっていけば、経済成長は維持できるし、国民の生活水準に対応する一人当たりGDPを高めることもできます。しかし、アジア、特にASEAN諸国では、この伸びが停滞している兆候が見て取れるのです。例えば、下の二つの図は、NIEs経済とASEAN経済の各国・地域について、労働生産性の相対的な水準の推移をグラフで示したものです(なお、労働生産性の水準比較には技術的に多くの困難が伴うので、ここでもその値については幅を持ってみて頂きたいと思います)。これをみますと、NIEs経済においては(第1図)、韓国や台湾で、少なくとも2000年代初頭までは、生産性水準が最も高いシンガポールの水準への収斂傾向が示されています。ここからは、NIEs経済が比較的に同質的であり、そこでは経済成長モデルが予想するようなメカニズム(conditional convergence)が働いている可能性が読み取れます。

 しかし、ASEAN経済では(第2図)、そのような労働生産性水準の収斂傾向は読み取れません。ASEANで最も労働生産性水準が高いのはマレーシアですが、これに対して、タイやベトナムは乖離幅をあまり縮小させておらず、フィリピンは長期的にみるとむしろ乖離幅を拡大させています。このことは、マレーシアの伸びを上回る労働生産性の上昇率が、その他のASEAN諸国ではみられていないことを示しています。このような労働生産性上昇率の伸び悩みは、ASEANの持続的な経済成長を懸念させる要素です。この点は、本年7月に開催された東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)主催のシンポジウム「人的資本の拡大と生産性の上昇」の中心的なテーマの一つでもありました。

 それではなぜ労働生産性上昇率は伸び悩んでいるのでしょうか。タイを例にとってみると、その理由は全要素生産性(TFP)の上昇率が低水準に止まっていることにあります。かつてクルーグマン教授が「東アジアの奇跡」に対して警告していたようなことが起こっているのです。アジア生産性機構(APO)によると、2005~2010年における労働生産性上昇率は、マレーシアの2.4%に対して、タイは1.8%とそれを下回っていますが、その差はTFPによってほぼ説明できます。TFP上昇率(それは労働生産性上昇率に対する寄与度にもあたる)をみると、マレーシアの1.6%に対して、タイは1.1%に止まっているのです(Asian Productivity Databook 2012, July 2012)。

 こうした問題点は政策当局も認識しています。タイの第11次経済社会開発計画でも、期間中(2012~2016年)に、TFP上昇率を3%に引き上げることが目標とされています。このための方策としては、研究開発投資の拡大や、アジア経済共同体(AEC)を通じた生産性上昇などが強調されています。

【アジアにおける財政余力】

 注意すべき第3の点は、短期的な財政拡大への誘惑です。以上のような長期的な課題に加えて、アジアは、欧州政府債務危機を発端とする世界経済の低迷からくる短期的な課題にも直面しています。世界経済からの大きな下押し圧力を受け、ほとんどの国で実質GDP成長率が低下をしています。そうした中で、短期的なマクロ経済政策に対する要請が強まっています。金融政策の機動的な運営はもちろんですが、財政政策の面でも何かできないのか。この点が本年4月に開催された国際通貨基金(IMF)主催のセミナー「アジアにおける景気循環対応型の財政政策(countercyclical fiscal policy)」の主題でした。 

 アジアの財政は相対的な余力(fiscal space)があるので、その余力を活用して拡張的な財政政策を採用することはできないか、それは世界経済の下押し圧力を相殺することにもなるので、アジアにとって好ましいだけではなく、世界経済に対しても貢献することになるのではないか。これがセミナーの問題意識です。IMFがこれまで裁量的な財政政策に対しては否定的な見解を示してきたことを考えると、2000年代末以降の世界経済の激変が経済政策上のパラダイムシフトをもたらしたことを改めて痛感させられます。確かに国際政策協調の面からすると、そのようなオプションもあるのかもしれません。

 しかし、次のようなことも併せて考えておく必要があると思われます。一つは、アジア経済には最近まで強いインフレ圧力が存在したので、財政政策を拡張的にすることはそれを再燃させる危険性はないのか、という点です。また、リーマン・ショック以降の内需拡大策の結果、金融システムに強いストレスが加わった国もありましたが、そうした金融システム上の不安はすでに払拭されているのか、という点も重要だと思われます。

 加えて、既にみてきた長期的な課題との関係でいいますと、今後長期的にはかなりの財政需要が見込まれるものと考えられますが、今、財政政策を拡張的にすることがそうした長期的な対応力を損なうことにならないか、という懸念があります。これは我が国が過去にたどってきた道でもあるだけに、とても気になるところです。

【おわりに】

 以上のように、アジアの経済成長が持続し、世界の「成長センター」であり続けるためには、様々な課題があることが分かります。もちろん、アジアには人的資本が蓄積されていることなど、強みも多くあります。しかし、これらを活かしながら、長期的な課題に確実に対応していけるかどうかは、これからの政策対応によるところが小さくありません。その意味で、アジアの将来については、慎重ながらも楽観的(cautiously optimistic)にはなったとしても、過度に楽観的(overly optimistic)にはならないよう、注意すべきだと思います。