世界経済は「失われた10年」に向かっているのか
2012/09/18
【経常収支構造の変化】
2007年夏にサブプライム住宅ローン問題が顕在化して以降、世界経済は不安定な状況にあります。当初、アメリカの金融システムの動揺として始まった危機は、やがて欧州も巻き込み世界的な金融危機へと発展していきました。そしてそれは、リーマン・ショックを契機に、貿易の急激な縮小をもたらし、世界的な経済危機を引き起こすことになりました。さらに欧州では、そうした金融・経済危機が引き金となって政府債務危機が次々と域内に伝播し、ユーロ圏の存続が危ぶまれるような事態にさえ陥っています。
このようなグローバルかつオーバーオールな危機は、同時に世界の経常収支構造における変化を伴っています(下図参照)。中国の大幅な黒字とアメリカの大幅な赤字がいずれも縮小傾向を示しています。その一方で、産油国を含む中東・北アフリカ地域の黒字は大幅に拡大をしていますし、アジアの新興工業経済地域も黒字基調を続けています。このような経常収支の構造変化は、これまで期待されながら実現されてこなかったグローバル・リバランシングに向けた動きなのでしょうか。
これについては、否定的な要素が多いように思います。なぜなら、それと表裏一体をなす経済構造面での安定化が見えていないからです。
例えば、欧米では、様々な経済主体が、バランスシートを調整するために、ディレバレジング(負債の削減)を行っています。バランスシート調整の目途があれば、このようなディレバレジングも早晩終息するはずです。しかし、その行く先は必ずしも明確ではありません。例えば金融機関についてみると、米国の大手金融機関の巨額損失、LIBORの不正操作問題、スペインの金融システム不安などのために、欧米における金融規制の今後のあり方はまだ不透明で、金融機関のバランスシート調整がどこで落ち着くのかが見えにくい状況にあります。金融機関のディレバレジングは、当然、実体経済に対する下押しを続けることになります。しかし、そうなると、家計にとっては、雇用の先行きや住宅価格の動向についての見通しが立たないので、バランスシート調整のめども見えてこないことになります。政府においても、前提となる景気の先行きが見えてこないために、財政再建の道筋を立てにくいものになっています。
欧米以外でも、例えば中国でも、世界経済の状況を反映して外需が低迷する中で、景気が減速しています。経済政策の軸足も、物価重視から景気重視に移りつつあるようです。しかし、そうした中で、不動産価格がどうなるのか、金融システムへの影響はどうかといったことは見通しにくい状況にあります。これまでの経済構造が大きく変わってきていると思わせるような兆候もまだありません。
つまり、世界経済を取り巻く不確実性が高いので、世界経済が、持続可能な新しい均衡に終息しつつあるとは断言できない状況にあるのです。むしろ、2008年以降、世界経済の不安定性が収束を見せておらず、「失われた10年」に入ってしまっている可能性があるように思います。ラガルドIMF専務理事も、世界経済が「失われた10年」になる可能性を指摘していますが、経済構造面に着目すると、すでに以前からそうした時期に突入している可能性があるように思います。
【「熱狂の10年」の帰結】
それでは、なぜ世界経済は「失われた10年」を迎えることになったのでしょうか。それを考えるためには、なぜアメリカでサブプライム住宅ローン問題が起きたのかを思い出す必要があります。その最も重要な要因は、移民の増加などで住宅に対する需要が増加を見せた中で、2000年代央における金融緩和による低金利を背景に、新しい収益機会を求めていた金融機関が、当時の金融規制の下では認められていたオフバランスの投資事業体(SIV)などを利用して、サブプライム住宅ローンの証券化、再証券化を軸に収益を上げるビジネスモデルを確立したことにあります。そのためにはサブプライム住宅ローンが供給され続けることが前提になりますが、それが住宅価格の上昇をもたらし、そのことがさらに価格は上昇を続けるはずだという「根拠なき熱狂」を呼び起こし、それによる住宅購入が実際にも住宅価格の一層の上昇をもたらすことになったのです。自己実現的な期待が重要な役割を果たすこのようなメカニズムが、アメリカの経済活況を支えていたわけです。
そうしたアメリカでの不動産バブルを可能にしたのが、欧州の金融機関のビジネスモデルです。当時の金融規制のもとで可能であった高レバレッジをきかせて、アメリカからMMFなどを通じて短期で低利の資金を取り込み、それをアメリカの証券化・再証券化商品に投資をしたのです。「謎」とされたアメリカにおける長期金利の低下を支えたのもこのような構造でした(いわゆるglobal banking glut)。もちろん欧州の金融機関の資金は、アメリカだけでなく、高収益をあげることができたユーロ圏の周縁国にも向けられました。これがアイルランドやスペインにおける不動産バブルをもたらしたのです。このように見てくると欧州の金融システムの不安定化は、決してアメリカから一方的に「飛び火」した結果ではないことが分かります。むしろ、アメリカにおける金融市場の異常な膨張は、欧州におけるそれと同時併進的かつ補完的な関係にあったと考えられます。
「熱狂の10年」とも特徴づけられるこの時期の経済構造、あるいはそれを支えた経済システムには持続可能性はありませんでした。したがって、それが一旦崩壊すると、新たな経済システムが構築されない限り、世界的な経済構造は容易には転換せず、「失われた10年」への道をたどることになるわけです。
【世界経済の将来に関する3つのシナリオ】
もちろん、「熱狂の10年」があったからと言って、「失われた10年」が運命づけられるわけではありません。応急措置的な対応に終わらせず、「熱狂の10年」をもたらしたような金融規制のあり方、金融政策の運営等を見直すことで、経済システムを再構築することができるならば、新しい世界的な経済構造の姿は早い時期に見えてくるはずです。世界経済の将来に関する第1のシナリオは、新たな経済システムの構築により、「失われた10年」が杞憂に終わるというものです。
しかし、経済システムの改革を怠ると、「失われた10年」になってしまいます。これが第2のシナリオです。そうした危険性は、日本自身の過去の経験が示すところです。日本は、1980年代末におけるバブルの後遺症で、1990年代初頭からの長期にわたる「失われた10年」を経験することになりました。確かに、改革も見られましたし、不良債権処理はその代表例だと言えるでしょう。しかし、雇用システムや金融システムは、高度成長期型の経済システムが限界に突き当たっているにもかかわらず、それに代わるものが構築されていないままになっています。そのために、その後の景気回復も、外需主導に止まってしまい、世界経済が変調をきたすと日本経済もすぐにそれに振り回されるという、脆弱な経済構造が持ち越されてきてしまったわけです。
第3のシナリオもあり得ます。経済システムの転換に手をつけることなく、経済の回復だけを急ぐと、過剰流動性が経済システムの歪みを再び利用して「熱狂の10年」をもたらすかもしれません。それは当面する「失われた10年」を回避することにはなるかもしれません。しかし、その代償として、次の「失われた10年」を準備することになる可能性があるのです。ECBが新たな国債買い入れプログラムを発表し、FEDも追加的な量的緩和策(QE3)を決定したことは、当面の景気対策としては重要なことです。しかし、世界経済にとっては、金融制度改革、財政構造改革を含めた経済システムの改革が並行して進められることが必要不可欠なのです。
「失われた10年」から一刻も早く脱出するためには、様々な制度・政策を見直して、経済システムを改革し、新たな経済構造への転換を実現することが必要です。それは、一時的には経済の下押しをもたらすことになるかもしれません。しかし、そうしたことがあってこそ、初めて世界経済の長期的な繁栄への展望が拓けてくるのではないかと思います。
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