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齋藤潤の経済バーズアイ (第7回)

移行過程の管理工学

 

2012/10/17

【新しい経済システムをどのように実現するのか】

 日本の経済成長の低迷は、「失われた20年」と言われることが象徴しているように、構造的な問題に由来しているとの認識が共有されつつあります。その構造的な問題を突き詰めていくと、これまでの成功を支えてきた日本の経済システムが環境条件の大きな変化についていけなくなり、行き詰まりが見られるようになったことに原因があることが分かります。

 そうだとすると、現在求められているのは、新しい環境条件に相応しい経済システムの再設計ということになります。そのような観点から、これまで、このコラムでは、あるべき経済システムの姿を明確にしていくことの重要性を指摘してきました(7月13日の経済バーズアイ(「成長鈍化と経済システム」参照)。そうした新しい経済システムは、高齢化・人口減少やグローバル化、IT化に対応したものでなければならないこと、一部だけでなく様々なサブシステムを含む包括的なものでなければならないこと、そしてインセンティブと整合的な、持続性のあるものであることが必要です。こうした要件を全て備えた経済システムを設計することは、簡単なことではありません。比較制度分析やメカニズム・デザインなどを総動員した、「経済システムの設計工学」とも呼べるようなものに支えられる必要があると思います。

 しかし、実は、それと同じくらい重要なのは、そうした目標とすべき経済システムの設計が完成した暁に、どのようにその設計図通りに経済システムを実現するのか、その実現方法を具体的に考えることです。いくら素晴らしい目標ができても、それが実現できなければ、まさに「絵に描いた餅」に終わってしまうからです。現在の問題は、これが全くと言っていいほど、手が付けられていないことにあるように思います。

【経済自由化のシークエンシング】

 この点については、経済学はあまり多くを語りません。唯一、新しい経済システムから新しい経済システムへの移行を論じたものとしては、「経済的自由化政策のシークエンシング(順序付け)」の経済学があります。

 経済学からすれば、市場経済が最も効率的で、それに向けた自由化政策は、一気に押し進めるのが望ましいことになります。言い換えれば、一挙の自由化、つまり「ショック・セラピー」がファースト・ベストの政策ということになります。しかし、実際には、経済的自由化によって、衰退産業が現出し、生産要素の移動が必要となり、調整コストが生じることになります。したがって、自由化政策を一挙に進めることは難しく、実際には自由化を、徐々に進める(「グラジュアリズム」)ということにならざるを得ません。しかし、一連の自由化政策をどのような順番で行うかによって、調整コストはかなり違ってくることになるはずです。「シークエンシング」の経済学は、南米などでの自由化の経験を踏まえ、どのような順番で自由化政策を進めれば調整コストを最小化できるかについて指針を得ようとするものです。それによると、国内市場の自由化は、対外関係の自由化より優先させるべきだということになります。さらに、国内市場の自由化では、財市場や労働市場の自由化が金融市場の自由化より優先すべきだし、対外関係の自由化では、貿易の自由化を対外資本移動の自由化よりの自由化より優先すべきだということになります。実際、戦後の日本の自由化は、おおよそこのような順序を辿ったように思います。

【ニュージーランドの事例が示すこと】

 しかし、例えば、1980年代後半から1990年代にかけて大胆な構造改革を実施したことで有名なニュージーランドにおける経済的自由化政策は、この順序とほぼ正反対の順序を辿りました。真っ先に対外資本移動を自由化し、通貨の変動相場制への移行を行っています。他方、財市場、労働市場改革は遅れました。これは、自由化政策が、単なる経済的なコスト計算だけで行われるわけではないことを示しています。実際、ニュージーランドの経済改革は労働党政権によって行われましたが、そのために、労働党政権に警戒感を持っていたビジネスを早く味方に付ける必要があったことから、対外資本移動の自由化を戦略的に最優先させたとも言われています。他方、労働党政権だからこそ、労働市場改革は遅れたとの指摘もあります。

 このように、新しい経済システムを実現するためのプロセスを考えるにあたっては、経済的な要因だけでなく、政治的な要因も考慮しなければなりません。経済システムの改革をするのであれば、そのような要因も考慮した上で、戦略的な実現方法を練り上げる必要があります。

【「移行過程の管理工学」のすすめ】

 政治的な要因ということで言えば、現在の社会保障制度の改革に関連して、高齢化すればするほど、高齢者の投票を通じた発言力が強くなるので、世代間の受益と負担を大幅に変えるような制度改革は難しくなるといわれます。しかし、例えば投票については、「カオス定理」が存在します。それによれば、投票の繰り返しによって、どのような結果でも得られることになる場合があることになります。これは通常は投票の問題点として指摘されるわけですが、捉え方によっては、実現困難と思われる制度改革も、その順序によっては実現可能になることを示唆しているようにも思えます。

 そのような点も考慮しながら、旧い経済システムから新しい経済システムへの移行過程をどのように管理するかを考える、「移行過程の管理工学」とも称すべき研究を蓄積していく必要があるように思われるのです。